大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和62年(あ)356号 決定

本籍

金沢市横山町二七八番地

住居

同所五番二八号

医師

土用下和宏

大正一三年一二月一〇日生

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件について、昭和六二年二月二六日名古屋高等裁判所金沢支部が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人勝尾鐐三、同依田敬一郎、同合田昌英の上告趣意のうち、憲法三九条違反をいう点は、第一審判決判示第一及び第二の各事実は別個独立の犯罪であって、同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問うものではないから、所論は前提を欠き、その余は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、弁護人依田敬一郎の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高島益郎 裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巌)

昭和六二年(あ)第三五六号

土用下和宏に対する所得税法違反、詐欺被告事件の上告趣意書

被告人 土用下和宏

○上告趣意書

被告人 土用下和宏

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件の上告趣意は、次のとおりである。

なお、本趣意書については別途補充する所存である。

昭和六二年五月一四日

弁護人 勝尾鐐三

同 依田敬一郎

同 合田昌英

最高裁判所第一小法廷 御中

目次

はじめに-現代社会と老人問題・・・・・・一〇五二

第一 被告人の経歴・・・・・・一〇五五

第二 社会はそれにふさわしい犯罪を生む・・・・・・一〇五七

第三 本件所得税法違反事件の社会的背景・・・・・・一〇五八

一 税率構造・・・・・・一〇五八

二 税負担の不公平について・・・・・・一〇五九

第四 本件詐欺事件の社会的背景・・・・・・一〇六三

一 高令化社会の進行・・・・・・一〇六三

二 高令者の罹病率(老人性痴呆症を含む)の上昇・・・・・・一〇六五

三 寝たきり老人性痴呆者の各家庭における看護の困難性・・・・・・一〇六六

四 高令者の入院希望者の増加・・・・・・一〇六七

五 日本医療制度全般についての民間依存型の特色・・・・・・一〇六八

六 本件犯罪当時における看護婦の絶対的不足・・・・・・一〇六八

七 本縣行政における老人福祉対策のおくれ・・・・・・一〇六八

第五 動機・・・・・・一〇七〇

一 両事件を通じての動機・・・・・・一〇七〇

二 所得税法違反の動機・・・・・・一〇七〇

三 本件基準看護加算金の不正受給に係る詐欺事件の動機・・・・・・一〇七三

四 本件当時の老人患者の実情及び看護の実情について・・・・・・一〇七五

第六 詐欺の犯意について・・・・・・一〇八二

一 被告人の供述・・・・・・一〇八四

二 第一審証人上口昌徳の証言・・・・・・一〇八七

三 同証人大戸宏の証言・・・・・・一〇八八

四 同証人平松昌司の証言・・・・・・一〇八八

五 同証人吉村敞の証言・・・・・・一〇八九

六 同証人宮下正次の証言・・・・・・一〇九〇

七 同証人岡本八重子の証言・・・・・・一〇九二

八 同証人阿部健吉の証言・・・・・・一〇九三

九 同証人荒川敦子の証言・・・・・・一〇九三

十 同証人清水芳子の証言・・・・・・一〇九四

十一 原審証人浅野繁尚の証言・・・・・・一〇九四

十二 同証人今村ミヨシの証言・・・・・・一〇九六

第七 違法性の意識について・・・・・・一一〇〇

第八 “二重の危機”について・・・・・・一一〇七

第九 情状一般について・・・・・・一一〇九

一 金銭欲に基づく犯行でないことについて・・・・・・一一〇九

二 基準看護一類の承認取消後における被告人の態度・・・・・・一一一五

三 本件の影響-その功罪・・・・・・一一一七

四 本件事件について金銭的後始末を完了したことについて・・・・・・一一一八

第十 本件所得税法違反事件の情状と量刑について・・・・・・一一一八

第十一 被告人の生活、人物、社会的功績等・・・・・・一一三一

むすび 刑の執行猶予の恩典に浴せしめられ、その余生を老人医療に献身する機会をあたえられたい・・・・・・一一三六

原判決には適用すべからざる刑罰法令を適用した判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、経験則に反して証拠判断をし、その事実認定には合理性に欠けるところがあり、その結果判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、刑の量定が甚だしく不当であり、刑事訴訟法四一一条に定めるこれを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる場合に該当するものと信ずる。

はじめに

被告人は、原審第三回公判において「今はこうして失意のどん底にあるんですけれども、何とかこれからの余生を、医療、特に老人医療を通じて、社会に貢献したいと思っております。私のささやかな知識と経験をフルに活かして、社会に貢献したいと思っております。」と、その余生を老人医療に捧げる決意を述べている。老人医療ひいては老人問題は、被告人にとって、医師として、人間として全力を挙げて取り組んで来、又現に取り組んでいる問題である。本件所得税法違反および詐欺事件は、その根底に今日の老人問題が現存することをおもわずにはおられない。

人間にとって老いは、何時いかなる時代においても大きな問題であった。だが今日あらためて老いが問題にされるのは、二つの大きな社会的な波が、私たちの生活をつつみだしたからである。その第一は、“高令化社会”の到来であり、その第二は、“家族制度の変容”である。

(急速な高令化)

欧米における平均寿命は一九世紀のはじめから終わりにかけて、四〇才から五〇才へと上昇した。一九世紀末の一九〇〇年、アメリカ人の平均寿命は四七・三才(白人は四七・六才、黒人は三三・〇才)であった。同じころわが国のそれは四五才を下まわっており、その値は戦前はほとんどかわるところがなかった。今戦前(昭和一〇~一一年)の日本をとり、高等小学校を卒業した人、専門学校を卒業した人に近い年齢-一五才と二〇才をとると、平均余命は、前者は男四三・八五才、後者は四〇、四一才である。つまり、五九才と六〇才まで生きるというのであり、戦前、多くの会社の停年が五五才であったというのは、こうした人生六〇才に対応していたものだったといえる。

今人生を三つの時期に分け、第一期を子供から大人への成長、教育期と職業につき働く第二期と、リタイア後の第三期とに分けるならば、戦前の社会は、この第三期が極めてわずかであったことがわかる。それは数年であり、文字どおり余りものの人生=余生だったのであり、それゆえに、社会システムそれ自体が、第二期のためにあり、第三期のためにはなかったといってよい。教育しかり、社会通念しかり、文化しかり、社会制度しかりであった。

もちろん、このような状況は国により異なっている。欧米諸国をとるならば、六五才以上の人口が七%を占めたのは、フランスでは一八六五年、スウェーデンでは一八九〇年であった。だがイギリスもドイツも六五才以上の人口が七%を占めたのは一九三〇年であり、イタリアでは一九三五年、アメリカでは一九四五年であった。わが国では戦後高度成長開始後一〇年の一九七〇年である。

日本は戦後急速に平均寿命が高まっていく。所得水準の上昇と医学の進歩に支えられて、それは七〇才をまたたく間に突破し、現在、男七四・二才(一九八三年)おんな七九・七八才-スウェーデンをしのぐ世界一、二の長寿国となったのである。

問題はそれだけではない。長寿国への突入の速さ、あるいは高令化社会へのスピードが日本ほど急速な国はないのである。いまよくひかれるそのための指標(六五才以上の人口比率が七%~一四%に高まるまでの年数-国連の資料によれば、六五才以上の老年人口割合が七%以上なのを「老年」国として取り扱っている。)をとるならば、わずかに二六年と予想されている。六五才以上の比率は一九五五年五・三%、六〇年一〇・二%、二〇一五年二一・一%-三〇年毎に二倍になっている(厚生省人口問題研究所「世界の人口変動の概観」)。

高令化のスピードが急速であるということは、それに社会システムが適応することの難しさを意味している。しかも二〇二五年には六五才以上のわが国の人口比率は二一・三%と予測されているけれども、この時イギリス、フランスは一八-一九%、アメリカが一七%つまり、老令化率は欧米を凌駕するのである。と同時に、このような状況に達していない二〇〇〇年(六五才以上の比率一五・五七%)において六〇才の時の平均余命を計算すると、男一九・四八年、女二三・一三年であるから今まで余りものにすぎなかった人生の第三期が、六〇才の停年を迎えてのち約二〇年という、人生の第一期に匹敵する長さになっているのである。

従来の社会科学、社会システムは、西欧においても我が国においても、人生の第三期を無視することが出来る時代の通念の上に生まれ発展したものにすぎない。とすると、今われわれは、高令化社会を前に、人生の第三期を前提したものに改変する必要があるかもしれないのである(京都大学経済学部教授・伊藤光晴、老いの政治経済学、岩波書店)。

(家族制度の変容)

高令化とともに我が国におしよせている第二の波は“家族制度の変容”である。かっての日本の家庭は相続家族であった。代々の家があり、その家で生まれ成長した子供が結婚してその家に両親とともに住み、生活し、そこで子供が生まれるという三世代が一つの家のもとで家族共同体を営むというものであった。

だが、一九六〇年代にはじまるわが国の高度成長は、多くの人を都市に吸引した。その多くは若年者であり、親もとを離れ、都市で家庭を持った。それは親の家に若い夫婦が住むという相続家族ではなく、自分たちで新しい家庭をつくる創設家族であった。

日本における資本主義の発展は地方から単身型若年労働者を大都市に送り出し、それが定着し家族を持つという形として、すでに戦前から続いていた。それが高度成長とともに、今までにない大きな波となって押し寄せたのである。問題はそれだけではない。この創設家族のもとで育った子供たちが結婚し、親もとを離れ、新しい家庭を作る-つまり、創設家族が創設家族をつくるという一世代家族が生まれだしたのである。かって高度成長期に創設家族を創った団塊の世代を中心に、二〇世紀から二一世紀にかけて、一世代家族は大量につくり出されていく。

一世代家族が作りだされていくということは、同時に老人世帯の数が増すことを意味している。それは旧来の家族共同体によって支えられて来た老後が変容し、また変容せざるを得ないことを意味している(伊藤光晴、前掲)

老人に対する医療のあるべき姿について、被告人は原審第三回公判において次のように述べている。「今この社会情勢というものが、いろいろ家族制度の崩壊とか、あるいは共稼ぎというようなことになってくると、お年寄りを若い人らが見守ったり介護したりするという、なかなかそういう余裕がなくなってきたということもあると思いますし、また、そういう家族制度の崩壊ということもつながっているんゃないかと思うけれども、本当の姿はやはり、家庭でおくりたいなというのが本当の姿じゃないかなと思っております。そうすることが、医療費による国家財政の圧迫にもならないんじゃないかと思います。」

第一 被告人の経歴

被告人は五人兄弟姉妹の長男として生まれ(姉二人、妹一人は現在も健在)、石川県立金沢第二中学校を卒業、軍医を志望し、昭和一二年に金沢医科大学医学専門部に入学し陸軍委託学生として教育を受けた後昭和二〇年四月に陸軍軍医学校において衛生部見習士官として教育中同年八月に終戦となったものである。昭和二〇年九月金沢医科大学専門部を卒業するとともに金沢医科大学第一内科に副手専攻生として入局し診察研究に従事、同年一一月医師免許証を取得(医籍登録一一七二六三号)し、昭和二五年四月金沢市立病院内科兼伝染病院に勤務、同二九年六月医学博士の学位を授与されたものである。その間昭和二七年現在の妻欣子と結婚し、昭和三一年に岳父井村重推が院長をしていた大手町病院(現在の丸の内病院、金沢市大手町五番三二号)に招かれ、昭和四七年三月大手町病院の開設者、院長となったものである。同四七年四月旭ヶ丘サナトリウムの開設者となり、昭和五五年五月土用下保険福祉相談所を開設(労働衛生コンサルタント事務所登録)所長となり、同五五年六月敬愛病院を開設常任顧問として現在に至っている。この間昭和四七年四月から同四九年三月の間石川県医師会予備代議員となり、同五五年二月労働衛生コンサルタント試験に合格している。前科、前歴はない。昭和五四・五六・五七年の三回、学校教育、民生、司法に功労があったということで紺綬褒章を授与され、なお昭和五八年に法務大臣感謝状を受けている。家庭は妻欣子との間に長男(高校生)和之、長女(北里大学医学部研修生)がある。釣、園芸を趣味とし、煙草はピース一日約五〇本、ウイスキー水割一杯位を嗜む。

ところで、上記丸の内病院で老人(六五才以上)の占める割合は九割五分であり、敬愛病院では九割であるが、元々内科医である被告人が老人医療に関心と興味を持ちこれに力を注ぐようになったのは昭和四五年頃である。このことに関し被告人は原審第三回公判において裁判官の問いに対して次のように述べている。

もともとは内科医ですか。

内科です。そして初めは非常に結核患者がその時分は多かったですから、結核の診療とか検診とか、非常に私は重視しておったんです。ところがだんだんと寝たきり老人を取ってくれと、社会福祉事務所から言うてくると。そういう老人医療でそういう寝たきり老人なんかを収容してやっておったのは、私のところがまず一番初めなんです。これをやはりもう少し充実していかなきゃいかんなという気持ちはあったんで、生意気なことを言うけれども、そういうことは国の思っておられる前からそういう気持ちで実行しておりました。

大手町病院、今の丸の内病院もそうかもしれませんが、そこはほとんどがそういう老人の患者さんばっかりだったんですか。

そうです。

そういう状態になるようになったのは、いつごろからですか。

それは大体五〇年ごろからだと思いますけれども。

第二 「社会はそれにふさわしい犯罪を生む」

といわれている。

弁護人等がその冒頭陳述書第一の一、二項にも述べた如く、犯罪現象は具体的人間の属する特定の時代の特定の社会における現象であるので、犯罪原因として個人的原因のみならず、社会的原因をも究明すべきことは、具体的な犯罪事件の審判においては勿論のこと、犯罪の予防及び鎮圧に関する刑事政策上からも要請されるところである。ところで、犯罪の原因を大別すると、個人的原因と社会的原因に大別されるが、これら二つの原因は個別的、独立的に作用するものではなくして、相互の間に交互作用が存在し、しかも複雑な放射的系列を形造っているものとされるのである。さらに、太平洋戦争後においては、我が国の犯罪情勢にも、大きな変遷があり、政治社会情勢の変動、経済生活の向上、これに伴う物質万能主義の風潮、精神生活の荒廃現象の外、文化水準の高度化、価値感の複雑多様化、科学技術の進歩等を反映して、発生した犯罪は、その種類においても、その態様や手段、方法においても、大きく変容して来ているのである。以上申し述べたことからして現代の犯罪現象を考察する上で、先ず第一に当該犯罪発生時期における政治、経済、その他の社会的背景(以下単に社会的背景と称する)を考察する必要があるもの思料する。

敢えて本件のこれら社会的背景に触れるのは、「省みて他を言う」の心底は毛頭無く、先の第二次大戦の末期から敗戦にかけて、軍医として勤務し、復員後医師として再起し今日に到った激動混乱の時期にその青春時期を過ごした被告人の人間に対し裁判所の深く且つ温かい洞察を願うからに他ならない。

第三 本件所得税法違反事件の社会的背景

一、税率構造

日本の所得税の税率は、一五段階に分かれ、一〇%から七五%迄の累進税率である。下の方はフランスは別として上の方は一番高くなっている。住民税も合わせると最高税率は九三%になってしまう。そのために、所得が二倍になると税額では三倍にもなるというように、両者のピッチが著しく違う。これでは勤労意欲を害し、あるいは租税回避の行為を促進させるということになる。(福田幸弘 税とデモクラシー 弁護人請求第五九号)。税理士地藤久治作成の賦課制限の調査表(弁第五号)によると、課税所得五億円の場合、所得税三億六〇七六万円(七二・一五二%)、県市民税三、九二四万円(七・八四%)、税額合計四億円(八〇%)であるとされ、そのほか病院関係では自費患者、検診料、売店その他の雑収入に対し、税率五%の事業税が課せられることが明らかであり、更に同税理士作成の税額計算表(弁第四号)の記載によると、右所得税、県市民税以外の税負担として、昭和五八年分で見ると、医師国保三四万八〇〇〇円、事業税二六万五四〇〇円、固定資産税二・二一二万円であると記載されている。

所得を平準化すべきであるという「平均課税」あるいは「調整課税」の主張にたいしては現実論としては確かに耳を傾けるべきものがある。「外国の財政学者と話していて、所得税の最高限界税率というのはどの位が望ましいだろうかと言ったら、その人が七〇%がせいぜいだと、それ以上になると租税回避行為が起こってくる。かえって不公平になってしまうと言っていた。私は六〇%くらいが最高の限界の税率としては適正なところではないかという考え方はあると思う」と東京大学金子宏教授は言われる。前記前国税庁長官、日本損害保険協会副会長福田幸弘は「税率カーブの高いことが、“法人成り”の現象を生んでいる。法人が一五〇万もあるというのは異常である。ヨーロッパでは各国とも五〇万以下です。実質は法人ではないのに、税率が原因となって法人形態を利用することになる。税率の高くなり方がこういうおかしさと不公平感をよんでいる。」と説かれる。高い税率は脱税を誘発し、税務当局の実際調査率の低さもあって“リスクはあるけれどもやりがいのある脱税”が横行する。(前出福田、税とデモクラシー、ジュリスト増刊総合特集33号84・1号 日本の税金)。非常識な税率を税率構造としてもつべきものではなく、わが国の最高九三%などというのは国際的にも異常といわねばならないであろう-五九年度の改正で所得税の税率が五% 賦課制限が二%引き下げられたが、なお不充分といえる-一〇万円ふえたら九万三〇〇〇円を国が持って行くというのは、これは仕組みとしてもおかしいのである。イギリスでは最高税率の八三%を六〇%にしてるし、アメリカは七〇%を五〇%にしている。見返りなどはない。自由主義活性化を政治目標にしているからである。

(前出福田税とデモクラシー、日本の税金)

二、税負担の不公平について

一ツ橋大学石弘光教授によると「総理府広報室の調査結果は、不公平だとの回答割合が、四五年の六〇%から五三年の六七%をへて、五六年の七三%にまで高まっている。ちなみにこの七三%の内訳を業種別にみると、自営業者は七〇%、サラリーマンは八一%となっている。……このように税に対する不公平感が高まった背景には五三年以降所得税が減税されていないという事実があるのであろう。(前出日本の税金八八頁)また昭和六〇年四月三日付北国新聞は、同新聞社加盟の世論調査会が実施した世論調査の結果「税金が重く納め方に不公平があると感じている人が全体の八割を超え、税金の改革が必要であると考えている。」旨報道されている。(弁第九号)。米国シャウプ博士(昭和二四年のシャウプ使節団日本税制報告書作成の中心人物)が最近日本の新聞記者との会見の席上で日本の所得税に関し、「一般論としても、最高税率七〇%は、いかにも高すぎる。五〇%でも充分ではないか。」主に「累進税率区分の一五段階も、五乃至一〇段階で充分。」との判断を示し、「先ず所得税の最高税率緩和と簡素化への取り組みを必要とする。」旨の見解を表明している。(昭和六〇・三・一九付読売新聞弁第九八号)。

三、何れにしても、日本の所得税及び県市民税が高く、税に対する重圧感が強いこと、及び税負担が不公平であるとの強い国民感情の存在は勤務意欲減退と租税回避を促進させ、ひいて所得隠し、脱税誘発を招く結果となることも、まことに遺憾なことながら、世相の一端を語るものといわざるを得ない。

四、このような世相下において、最近我が国で個人所得税及び法人税について脱税容疑で、国税当局の査察を受けた事犯が各階層、各業種に亘り、相当広い範囲で発生していることは次の如き資料からも窺うことができるところである。

1 国税庁作成に係る「昭和五八年度査察事績」検察官請求に係る第三三一号)

右によると、国税当局が査察処理した脱税容疑事件は

一 五七年二三七件(内告発件数一七一件)

五八年二四三件(内告発件数一九〇件)

二 次に総脱漏所得額は

五七年四八四億八一〇〇万円(総脱税額三〇二億四七〇〇万円)、五八年総脱漏所得額五一二億二三〇〇万円(同上脱税額三三二億六六〇〇万円)。

三 その業種は製造業、卸小売業その他数業種であることが明らかにされている。

2 国税庁直税部長作成に係る回答書(弁第六八号)及び北国新聞(昭五九・九・二九付弁第六九号)所載の「申告漏れ史上最高一兆八〇〇億円」(法人税白書)との見出しのある記事。右回答書や記事によると、昭和五八年事務年度(同年七月-翌五九年六月)における法人税の課税事績に付、国税当局が法人一九万八〇〇〇社に付実地調査した結果、その約四分の一に当たる五万一〇〇〇社で、所得の不正計算が行なわれており、右実地調査の対象となった法人企業の申告漏れの所得金額は、総計一兆八四九億円で、前年度より三・六%増加していること等があきらかにされている。

3 昭和五九年三月二日付読売新聞の、国税庁がまとめた「五七年度分譲渡税白書」からわかったものであることとして「譲渡税ごまかし最高三一〇〇億、調査の七割、不動産業者入れ知恵も」と題する記事の存在。

4 同年一一月七日付北国新聞所載の「石川島播磨五年間で一五〇億円申告漏れ、追徴額は七〇億円(東京国税局)」と題する記事の存在。

5 同日付北国新聞(夕刊)所載の「大企業相次ぐ巨額税逃れ、三井物産六五億円追徴、二年間の外国税過大控除」と題する記事の存在。

6 同年一二月二七日付北国新聞所載の「二年で三〇億円申告漏れ、大阪国税局調査、近畿二府四県の農協」と題する記事の存在。

7 昭和六〇年一月二五日付北国新聞所載の、奈良市内の事例として、「執行猶予また脱税、二年間に三億円も(法人税)社長夫婦ら三人逮捕」と題する記事の存在。

8 同年二月一四日付北国新聞(夕刊)所載の「弁護士の所得ごまかし、近畿でも一〇億九〇〇〇万円 五一一件調査」と題する記事の存在。

9 同年三月七日北国新聞所載の「東京国税局が管内の一都三県(東京、神奈川、千葉、山梨)に住む内科、産婦人科、外科、歯科の主要四診療科目の個人開業医を税務調査したところ、調査対象の九割から、所得隠しや申告漏れが見つかり、ごまかし所得の総額は、約六四億円(一人平均四二〇万円余)にも上ることが六日分かった」と題する記事の存在。

10 同年三月一五日付読売新聞所載の「民宿脱税二〇七件も、東京国税局が摘発、富士五湖に集中」と題する記事の存在。

11 同年五月一四日北国新聞所載の、兵庫県淡路島の歯科医師二人の事例として、「この二人が三年間に計三億九〇〇〇万円の所得隠し、計二億三〇〇〇万円を脱税していたことが大阪国税局の査察で分かった」旨の記事の存在。

12 同年五月二五日付読売新聞所載の、東京国税局が申告疑惑の七五〇〇社に付調査した結果として「赤字法人の四分の一は黒字、所得ごまかし八四%、目立つ建設、料飲業」と題する記事の存在。

13 同年六月八日付北国新聞所載の国税庁発表の五九年度脱税白書によるものとして「史上最高五五〇億円、三億円異常六一件も、目立つパチンコ業界」と題する記事の存在。

14 同年六月八日北国新聞所載の、国税庁が七日まとめた五九年度脱税白書によるものとして「現ナマを隠せ、悪知恵絞る、タンスの中に抜け道も、秘密の地下室へ」と題する記事の存在。

15 何れにしても減税を軸に税制改革を実施することは、内外において焦眉の急とされているのである。

(アメリカのレーガン大統領は昭和六〇年五月二八日(日本時間二九日朝、全米テレビ演説を通じ、本年二月一般教書で公約した歴史的な税制改革の大統領提案の内容に関し、それは一九一三年以来の所得税制を根本的に改正するもので〈1〉個人所得税の最高税率を現行の五〇%から三五%に引き下げ、税率区分も現行の最高一五段階(一一~五〇%)を三段階(一五、二五、三五%)に簡素化する。〈2〉法人税の最高税

五、医師という社会の指導的立場にある被告人が本件の所得税法違反罪を犯したことは、極めて遺憾であり、その責任は船端を叩いて責むべきものがあると思料するものであるが右の如き諸事情下においておこなわれたものであることを思う時、被告人も弱点の多い一人の人間であることを思う時、一人被告人のみを責めることに躊躇せざるを得ないものがある。

この点に関し、岐阜地方裁判所が所得税法違反被告事件につき、昭和五六年三月二七日言い渡した判決において、「脱税は見方をかえれば、極めて誘惑的な国に対する債務不履行と言い得る。そして遺憾ながら、我が国では率先して範を垂れるべき為政者が、ほとんど誠実にこの義務を尽くしていないのは公知の事実と言ってよい。又農業、自由業、給与所得者等各職種によって、税負担の不公平が存在するとの国民感情は根強く、これが納税意欲を著しく減退させていることも否定できないであろう。従ってかかる世相の中にあって摘発された被告人のみひとり厳しい責任追求するのは当を得ない云々」と判示していること(弁第一九号税務訴訟資料のNo.27参照)は、税制全般に対する批判としてその実相に迫るものがあるということができるであろう。

第四 本件詐欺事件の社会的背景

一、高令化社会の進行

昭和五〇年の日本の老年人口(六五才以上)は八八六万人で、総人口に占める割合は七・九%であるが、昭和五八年一〇月一日には、老年人口は九・八%うち七〇才以上六・四%である(官報資料版No.一三四〇昭和五九・四・一一)。厚生省の調査によると、日本人の平均年令は、男性にあって、〇才は七四・二〇年、二〇才は五五・二五年、四〇才は三六・二〇年、六五才は一五・一九年であり、女性にあっては、〇才は七七・七八年、二〇才は六〇・五六年、四〇才は四一・一〇年、六五才は一八・四〇年である。一方死因別死亡確率は、男性にあっては、悪性新生物二二・八六%、脳血管疾患一九・七一%、心疾患は一八・三八%であり、女性にあっては脳血管疾患二三・二二%、心疾患二三・三二%、悪性新生物一五・六八%である。(昭和五九・八・八官報資料版)。医療や年金など高令者の生活を支える社会的諸制度が不十分なままで高令者は確実に増加しつつある。昭和七五年には日本の老年人口は一九〇六万人、一四・三%にまで増加する。欧米諸国の場合にこの比率が五%から一二%になるのに、フランスでは一七〇年、スウェーデンでは一〇五年という長い期間をかけているのに対し、日本は四五年という短期間のうちに、老年化社会に突入することになる。又老令人口指数(生産年令人口-一五~六才人口)に対する老令人口(六五才以上人口の割合)を見ると、昭和五〇年は一一・七%で、生産年令人口九人に対し、老人一人の割合となっているのに対し、昭和五七年は二一・七%で、五人に一人となるが、昭和五〇年から同五七年迄の伸び率を比較すると、六五才~七五才人口が二倍になるのに対し、七五才以上人口は二倍半となると見込まれている。

厚生省(五九年度厚生行政基礎調査の概況、日本経済新聞昭和六〇・一・九参照)の発表によると、高令者世帯(男六五才以上、女六〇才以上の者のみで構成するか、又はこれらに一八才未満の者が加わった世帯)は前年より二二万九〇〇〇世帯八・二%増となり三〇二万一〇〇〇世帯と初めて三〇〇万台を超えた。高令者世帯と全世帯の年次推移をみると、昭和四五年に比べ高令者世帯は二・五倍となり、全世帯の一・二倍を上廻る増加となっている。六五才以上の者は、一一七一万八〇〇〇人であるが、これを家族形態別にみると、子供夫婦と同居している者が五七〇万八〇〇〇人四八・七%、配偶者のいない子と同居している者が一九四万八〇〇〇人一六・六%で合わせて七六五万六〇〇〇人六五・三%が子と同居しておりその割合は年々減少している。また、全国の寝たきり者の数は七〇万人(男三〇万八〇〇〇人、女三九万二〇〇〇人)であり、人口一〇〇〇人に対して六・四人の割合となっている。前回(昭和五六年)調査の結果と比べると、この三年間に一〇万一〇〇〇人増加している。これを寝たきりの期間別にみると、六ヶ月以上の寝たきり者は四九万人で寝たきり者全体の七〇%を占めている。又年令階級別にみると、六〇才以上の者については五四万三〇〇〇人で人口一〇〇〇人に対し三二・三人が寝たきり者である。更に「寝たきり老人(六五才以上、六ヶ月以上寝たきり)」は三六万六〇〇〇人であり前回調査時より四万二〇〇〇人の増加となっている。これらは何れも高令化問題が深刻化していることを裏付けるものである。

二、高令者の罹病率(老人性痴呆症を含む)の上昇

日本における生活水準の向上、医学、医術の進歩や、制度の改善は、平均寿命を著しく向上させ(人生八〇年時代といわれる)老人の健康にも好ましい影響を及ぼしてきた。しかし、かなりの老人が老化現象というさけ難い生物的特性もあって病気にかかり、その機能が低下している。昭和五〇年の国民健康調査によれば、老人の有病率は成年層の五倍に達し、医師による精密な診断の結果、治療を要する老人は半数以上に達している。また老人の疾病は、高血圧性疾患、脳血管疾患、心疾患など長期慢性化しやすいものが多く、また幾つもの疾病が同時に存在し、更に生理的老化と疾病が共存するため、複雑な症状が現れやすい。

次に、老人が、疾病に罹った場合、治癒後も何らかの機能障害を残すことが多い。また、たとえ疾病にかからなくても、老化により日常生活の適応能力が低下していくため、次第に介護を要する状態になってくる。前記厚生省の厚生行政基礎調査によると、現在家族が行っている寝たきり老人への介護の種類(複数回答)については、入浴六五・七%、衣服の着脱六一・〇%、排便五四・一%、今回から初めて調査項目に加えた寝返りなど体位交換にも三六・三%が介護を必要としていることがわかった。一方寝たきり老人の介護者は「同居の子の配偶者」が三四・四%でトップ、性別では八八・八%が女性であることから、一家の主婦に重い負担がかかっていることがはっきりした。ちなみに石川県の調査によると昭和五八年四月一日現在で県下の各市町村における六五才以上の者のうち調査対象八六二名中、治療中の者は五四一人、六三・六%で、その疾患を見ると高血圧症が二八・三%と最も多く、心臓病一〇・八%、白内障八・四%、神経疾患六・六%、糖尿病四・六%となっている。更に調査対象八六二名に付既往症があると答えた者は七二七人、八五・五%、その中で高血圧症が最も多く三二・五%を占め、心臓病一六・八%、神経疾患一〇・五%、脳血管障害五・八%等となっている。

三、寝たきり老人性痴呆者の各家庭における看護の困難性

老人性痴呆いわゆるぼけについて今日のアメリカにおける老人性痴呆研究の第一人者ジェーローム・ストーン(Jerom Stone)博士は最近こういった「この病気は罹った人からマインドを奪い、家族のハートを破る」と。実感のにじみ出た言葉である。(日野原重明「老いを創める」朝日新聞社、一三一頁 弁第一〇七号)。痴呆状態が進行すると部屋の中で大小便をたれ流しにしたり、寒い夜に外出するなどと言い出してきかない。それを止めようとする大変な暴力沙汰になり、男の老人だと女手ではどうしようもなくなる。家族の名前を忘れたり、朝食をとったのにしばらくして、まだ朝食をたべさせない等と言ったりする。自分の家にいるのに夜になるとこれから家に帰るなどと言い出す。時間の識別やお金の勘定もだんだんできなくなる。このように病気が進行すると、家族の精神的負担はもちろん、夜間もずっと起きて世話をしたり、外出しようとするのを止めたりするなどの肉体的負担もますますひどくなる。このような老人を見ると長生きするのも考えものだと家族はただ嘆息するばかりである。厚生省人口問題研究所の推定では二〇〇〇年には六五才以上の人口は一、九九四万人となり、現在のぼけ出現率がこのまま推移し、これに五〇才代から始まる場合があるぼけを加算すると、約一〇〇万人ものぼけ老人が生まれることになる。ぼけ老人で悩み、その家族が崩壊するというケースが日本では少なくない。病む老人や、その家族が苦労を心からいとおしむ感性、援助の手をさしのべようという意欲が、同じ社会をつくる人々の間に乏しいというのは大きな問題である。どこかの施設に入れようと思っても、手のかかる老人であればあるほど収容は困難である。どこかの病院に入院させても、そこでは全身をしばられ、四六時中静脈内点滴注射をされるようなことも少なくない。(前出「老いを創める」一四七頁)。

近次、日本でも人口の都市集中や都市の住宅事情等により核家族が増加し、また若い世代では夫婦共稼ぎの家族が多いので、親である病気老人をその卑属が、私的に扶養する割合いは次々に低下して行くことは勿論、むしろこれを嫌う傾向が強くなる。このまま推移すれば、親を扶養する気持ちが薄れていくものとみられる。前出厚生省の調査によると、我が国の世帯総数は三七三三万八〇〇〇世帯で五八年に比べ八四万一〇〇〇世帯、二・三%の増加となった。世帯の構成割合は四人世帯が全体の二四・八%で最も多く、以下一人世帯一九・四%、二人世帯一八・二%の順で平均世帯人員は三・一九人。夫婦と子供の核家族は全体の六〇%とあたる二二六〇万八〇〇〇世帯で、前年からほぼ横ばい。ただ、一人暮らし世帯が七二四万三〇〇〇世帯と、前年と比べ六四万五〇〇〇人、九・七%増となったのが目立った。これに対し両親と夫婦、その子供で構成する三世代世帯が五五〇万八〇〇〇世帯と前年の五六三万二〇〇〇世帯を更に下回り、我が国の核家族化、単独世帯化が更に進行していることを示した。更にこのような傾向に伴い高令者のみの世帯も大幅な増加を示している。欧米諸国の場合、別居していても家族との接触は極めて濃密であるといわれているが、日本は別居すれば子供との接触は少なくなる。したがって、このような状況であれば、家族とのふれあいによる老人の扶養、介護の問題に大きな影響を及ぼして行くものと考えられる。

四、高令者の入院希望者の増加

前述のように病気の老人をその子や孫達が家庭において介護、看病することが困難だとしてこれを嫌う傾向がある外、昭和四八年一月の老人福祉法の改正により、特に七〇才以上の老人の医療費が無料となった事情も加わり、国公立の病院は付添人のない病気老人の入院を嫌う傾向にあることから、その後老人自身は勿論、その家族や民生委員その他地区老人会等からも疾病又は独り暮らしの老人の病院入院希望が逐年増加する状況であった。

五、日本の医療制度全般についての民間依存型の特色

日本の医療制度の最大の特徴は、自由開業医制にある。特に病院の経営を諸外国に比べると、その特徴が一層はっきりするといわれている。(医師不足と医師の偏在、ジュリストNo.五四八 浅野健輔)。すなわち米国でも欧州でも、病院の経営が私的な営利の対象となっている例は極めて少なく、ほとんどの病院は国又は地方団体、あるいは宗教団体が運営している。ところが、日本の場合は七五・六%(昭和四六年時点)の病院が、本件大手町病院のような私的病院であり、しかもこの割合は徐々に増大している。また全体の医師の四八%は診療所の開設者、つまり開業医である。しかも日本の場合、全く自由放任主義と言ってよく、地域の病院や診療所を組織化する政策的努力はほとんどみられないといってもよい状況である。

六、本件犯罪当時における看護婦の絶対的不足

本件詐欺罪の時期においては、石川県下の看護婦が絶対的不足の状況で、しかも資格を有する看護婦は、待遇等の面から国公立の病院に勤めることを好み、その為私的病院では、必要な数の看護婦を確保することは大変困難な状況にあったといわれている。

七、本縣行政における老人福祉対策のおくれ

石川県の調査によると、昭和五六年の県下における六五才以上の老令人口は一二万〇〇四六名(全人口に占める割合一〇・六%)。同五七年における同様老令人口は一二万二四一三名(同上割合一〇・八%)。同五八年における同様老令人口は一二万六四七九名(同上割合一一・一%)であり、その内六五才以上在宅寝たきり老人(以下前者と称する)及び六五才以上独り暮らし老人(以下後者と称する)は、昭和五六年は前者は一八六二名(六五才以上老令人口に対して占める割合一・六%)後者四二八七名(同上割合三・六%)。同五七年は前者一八二一名(同上割合一・五%)。後者四七四五名(同上割合三・九%)同五八年は前者一八一〇名(同上割合一・四%)。後者五二七七名(同上割合四・二%)であるが、右三カ年における各老人病棟整備の状況は、県下三ヶ所で合計三〇〇床であり、県下の公立病院に対する老人病床設置依託の状況は、昭和五六年、同五七年各合計五〇〇床、同五八年合計五二〇床の程度であり、養護老人ホームは五ヶ所でその定員合計六〇〇名、特別養護老人ホームは、昭和五八年末で一二ヶ所その合計定員一一〇〇名の程度であることが判明する。右五六年の六五才以上在宅寝たきり老人と六五才以上独り暮らし老人の合計数は、六一四九名、同五七年の同様合計数は、六五六六名、同五八年の同様合計数は、七〇八七名であるのに対し、同年度における県下の公立の病院での老人病棟及び老人病床の整備設置の状況は八〇〇床乃至八二〇床程度であり、又五ヶ所の養護老人ホームの入所定員六〇〇名、一二ヶ所の特別養護老人ホームの同五八年度末の収容定員数は一一〇〇名程度であることを考えると、本件詐欺罪の犯行当時における石川県行政当局の老人福祉政策は、相当立ち遅れていたものといわなければならない。(以上「一乃至三項」については、弁第九号「老人保険法の解説及び弁第七〇号昭和五九・八・二一付北国新聞の記事。「四項」については原審公判における証人宮下正次、同岡本八重子、同清水芳子、同荒川敦子の各証言。「五項」については弁第一〇号「ジュリスト臨時増刊号五四八号」一一二項、原審公判における証人平松昌司、同大戸宏の各証言。「六項」については、同証人岡本八重子、同平松昌司、同上口昌徳の各証言、弁第一〇〇号の被告人陳述書一一丁一二丁。「七項」については、弁第一二号の中村正人作成の調査表、弁第六一号の石川県厚生部民生課、衛生部総務課作成に係る資料及び原審公判における証人上口昌徳の証言参照)

第五 動機

一、両事件を通じての動機

1 本件所得税法違反及び詐欺罪は、医師である被告人が病院経営に関して行った多額に上る事案であるが、過去及び最近に起きた医師の犯した悪質な事案に比べて、最も大きな相違点は本件の動機である。本件及び病院経営に関連して、患者に対して不当な医療行為が行われていたような痕跡は全くないのみならず、かえって患者のためを考えて、医療及び病院経営がなされていた。

2 本件及び病院経営に関して、関係公務員に対する腐敗不正な行為が行われていない。

3 本件は患者や関係機関を犠牲にして、自己の利益を追求した行為ではない。すなわち、本件はいずれも、決して被告人が贅沢豪奢な生活や、そのための蓄財をするという動機でなされたものではない。被告人が老人に対する医療とその向上に精魂を傾け、被告人の病院に治療を求めてくる患者すべてに対し、十分な医療をしたいということが、本件の動機である。

二、所得税法違反の動機

1 被告人は、医療が趣味と言っても過言でないほどに、(原審証人平松昌司の証言)、医療特に老人医療に情熱を傾けていた者であり、そのことが本件事案の動機そのものになっている。すなわち、本件所得税法違反の動機は、決して贅沢豪奢な生活をするとか、そのための蓄財をするためのものではない。同法違反当時大手町病院は、いわゆる老人病院の特色を有しており、老人の入院希望者が極めて多数で、押しかけてくるような状況であったが、(検第一五号捜査報告書添付の表参照)医療が趣味であると言っても過言でなく、老人に対し敬愛の念の深い被告人は、これら老人患者に対し少しでも良い治療をするため、清潔な病室を確保する外、細心の設備、優秀な医師、看護婦、看護助手の配置を期待し、病院建物の拡充、医療機械等の設備の充実を心がけた。その為、多額の資金を必要とする状況にあった。ちなみに、その詳細は後述するところであるが、昭和四九年一二月頃に大手町病院の管理棟、病棟の増築が完了し、病棟ではこれ迄の鉄筋コンクリート四階建が五階建となり、更に五〇年七月に鉄筋コンクリート六階建一部七階建の増築工事が行われ、一般病棟も従前の一七四床(結核病棟六六床)から一般病棟三棟(二階乃至四階)二三四床、結核病棟五階全部に増床しており、同病院における備品の整備には、昭和五五年に四、三四九万円余、同五六年に一六〇万円の費用を支出し、また医療機械の整備強化の為五五年一、九八五万円余、五六年に二、五九〇万円、五七年三、〇八〇万円を支出している。なお、同五六年一月から多額の資本(合計後述一四億七、三〇〇万円)を投下して、右大手町病院の近距離の場所に、敬愛病院(現在この病院も殆どが老人の入院患者である)を開設したのも、単に個人的利益を追求する事業欲とみなすべきものではなく、被告人の上記の様な老人に対する敬愛の念に発する医療の充実を願う気持ちがあってこそ始めて可能なところであり、以上大手町病院の医療機械その他の備品の拡充、強化及び敬愛病院建設の為その資金の調達に苦慮していたものということができるのであって、被告人が贅沢な個人生活を送りたい為の単なる利己的動機から本件所得隠しの所業に出たものではない。

2 右のような被告人の医療に対する情熱が本件事案の動機であったことは、検察官においても冒頭陳述において「被告人はかねてから、患者に良い治療を受けさせるために、大手町病院等の人的、物的設備をより充実させることを切望していたところ、敬愛病院を開設するに当たり、その建設資金として株式会社北陸銀行賢坂辻支店から九億円を借り入れたことから、所得の一部を隠匿して簿外資金を形成し、右負債の返済に充てようとした。」と述べていることからもうかがわれるところである。

3 本件の所得税法違反の犯行時においては、特に大手町病院の入院患者も、一カ月約四二六名から約四五〇名余(その八割は老人患者)を数え、更に多数の入院希望者があり、同病院だけでは、到底このような要請に答えることができず、医師としての社会的責務を果たすことができないと考え(原審における証人上口昌徳第一〇回公判、同大戸宏第九回公判、同平松昌司第九回公判における各証言)大手町病院の外に多くの病気の老人の入院を可能とするような新たな病院(敬愛病院)の新設を計画するに至ったのである。被告人は敬愛病院の建物建設用地として、昭和五二年三月頃これを確保し、(弁第七九号土地登記簿謄本)、その後同五五年一・二月にかけて同病院の建物として、鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階付七階建建物を建築し(弁第八〇号建物登記簿謄本)、同年六月一日敬愛病院を開設したものであるが、同病院の開設に要した資本は、建物建築費一一億二、七〇〇万円、医療機械器具、備品の整備費三億四、八〇〇万円の合計金一四億七、三〇〇万円を要している(被告人の陳述書一九項)。同病院の昭和五九年一〇月三一日現在の入院患者総数二五四名中、七〇才以上の老人患者は二二〇名(八七%)である(弁第二〇号証明書)。

4 大手町病院自体についても、被告人は昭和四二年一二月から同五〇年八月にかけて三回にわたり、改築工事を実施し、第二期の改築工事(同四九年一二月)にその工事費約三億円、第三期改築工事(同五〇年八月)にその工事費約一億八、〇〇〇万円を投下していることがみとめられる(原審における証人宮下正次の証言、被告人陳述書第一の四~八項)。

5 税理士地藤久治に係る昭和五五年から同五七年までの三年間の大手町病院の建物、車両、医療機器備品についての「年別投資額調査表」(弁第一五号)によると合計一億一、〇二三万二、五五〇円を使っていることが認められ、又同人作成に係る敬愛病院の前記同様期間における「年別の投資額調査表」(弁第一五号)によると、右三年間に同病院の建物、構築物、機器備品関係の費用として、合計一五億五九万九、五〇〇万円を支払いしていることが認められる。以上両病院関係の二口の投資額は、総計一六億一、〇八三万一、〇五〇円となる。

6 ところで、被告人は右敬愛病院建設資金として(株)北国銀行賢坂辻支店から、昭和五四年六月三〇日から翌五五年二月一五日迄の間に、前後六回に亘り、合計金九億円を借入れているが、この借入金は同年七月一九日から、同五七年一〇月二三日迄の間に、全額返済されていることが認められる(弁第一〇一号敬愛病院建設資金借入明細)

7 以上のとおり、被告人が本件所得税法違反で三年間に夫々所得隠しを為し、それによって免れた所得税合計八億一、四三五万一、九〇〇円の金は、大手町病院の建物、医療機械等の整備資金や、敬愛病院の建設資金と一部又は同建設資金の借入金の返済に当てられていることが認められる。

三、本件基準看護加算金の不正受給に係る詐欺事件の動機

1 本件詐欺は、被告人が豪奢な生活や、そのための蓄財をするという動機でなされたものではない。そのような金銭欲のために、基準看護一類の申請をしながら、雇うことのできる看護婦をわざわさ雇わないで、看護婦数及びそれに伴う人件費を少なくすることによって、敢えて不法に基準看護料を取得することを敢行したというような事案ではない。本件基準看護一類の看護加算金の受給は、以下に述べる諸事情、経緯によって患者本位の立場でなされたものである。

2 本件に至るまでの社会的背景として、前記のとおり、

(1) 高令化社会が進行し、老人が増加していた。

(2) 高令者の罹病率が上昇し、老人患者が増加していた。

(3) 寝たきり老人又はボケ老人に対する各家庭における看護の困難性が強まっていた。

(4) 医学及び医療器具施設の進歩により、家庭におけるよりも、病院での入院治療の必要性が増加していた。

(5) 以上の結果、当然に、高令者の入院希望者が増加していた。

(6) しかも、核家族化の進行及び高令者の経済的能力不足の実情から、自費で付添看護人を付けられない老人入院希望者が増加していた。前記厚生省の「五十九年度厚生行政基礎調査」によると、公的年金を受給している者は一、五一三万六千人で全人口の一二・七%を占め、ほぼ八人に一人の割合となっている。年令別にみると、六〇才以上では八二・三%、六五才以上では九二・三%が受給している。国民年金がもっとも多く、つづいて厚生年金、福祉年金となっている。不十分と言わざるを得ない現行の年金制度の下で、高令の老人にとって入院付添費用を捻出する余裕は到底考えられないところである。

(7) 日本の、医療制度全般についての民間依存型の特色及び石川県における老人福祉対策の遅れ等の事情から、高令者の入院希望者は、本件大手町病院のような限られた私的病院に受け入れて貰うしかなかった。

(8) 一方において、看護婦の絶対数は不足しており、私的病院で看護婦を確保することの困難性は強まっていた。

等の事情が存在していた。

3 本件に至るまでの、大手町病院における経緯として、次のような事情があった。

(1) 前述のような社会的背景の下に、大手町病院には、昭和四八年一月以降特に老人の入院希望者が逐年増加しており、しかも右入院希望は患者本人は勿論のこと、その家庭においても甚だしく熾烈であった。

(2) 被告人は医師として、医療行為に極めて熱心であり、とりわけ老人に対して親切で思いやりの深い人物であり、老人医療に並ならぬ情熱を抱き続けていた。

(3) 右のような人柄の被告人としては、前記のような病気老人の入院希望者を容易に断り切れない実情にあった。断れと言う方が無理というべきであろう。

(4) 大手町病院は昭和四三年二月基準看護二類の承認を得ているが、その前からも、被告人が岳父井村重雄当時から、いわゆる「完全看護」の病院として、患者が自費で付添人をつけなくても、同病院において完全看護を実施する病院経営を行い、右のような患者の希望を受け入れて、患者の治療を全うしてきていたものである。

(5) 昭和五三年四月から、基準看護二類が廃止となり、基準看護一類か、無類で基準看護一類の承認を受けないかの択一が迫られた。

(6) この当時の病院経営の実情からみて、基準看護の承認を受けないで、自費で付添人を付けられない老人患者を受け入れて、完全な治療看護を実施する病院経営は、甚だしく困難であった。

(7) 結局、国公立病院等他の病院から入院を断られてどこへも行くところのない、そして付添人も自費でつけられない入院希望の老人患者の入院を断って、基準看護を受けないでおくか、基準看護を受けて、これらの入院希望患者を受け入れるかの二者択一に迫られていた。

四、当時の老人患者の実情及び看護の実情について重ねて詳述すると以下のとおりである。

1 被告人が昭和四七年三月二三日本件大手町病院の開設者及び管理者となった当時においても、大手町病院は既に老人患者が多かったのであるが、その後同四八年一月老人福祉法の改正を契機として、逐次老人の入院患者が激増し、同五三年四月一日以降一般病棟二三四床に付、基準看護一類、結核病棟六六床に付、基準看護二類の承認を受けた当時は、大手町病院の実際の入院患者数は、毎月四〇〇人を超える状況で、特に一般病棟については、その入院患者の多くは、病気の高令者で占められるという実情であった。更に昭和五六年一〇月一五日以降一般病棟三八〇床に増床(この時結核病棟廃止)し、且つ石川県知事から基準加護一類の承認を受けた後においても、病気老人の入院希望者がおびただしく、しかも常時四〇〇人を超える高令者の入院患者中、その約八割が、いわゆる寝たきり老人及び痴呆性老人(ボケ老人)であり、大手町病院はいわゆる老人病院の特色を一層明確に現して来たのであった。

2 被告人は老人に対し、敬愛の心情が厚く、病気老人の入院患者の為身を粉にして働くタイプである外、近代医療を身に付けることにも格別の熱意を有し、学会やシンポジウム等にも欠かさず出席し、近代医学の知識や技術の修得にも不断の努力を続け、その人生を病人の医療看護に捧げているものといっても過言ではないことが認められる(第一審における証人大戸宏、同平松昌司の第九回公判における各証言)。

被告人が同五三年四月前記のように一般病棟二三四床に付、無類制度が廃止の機運にあったことを機会に石川県知事から基準看護一類の承認を受けたのも、全て入院治療看護を要する病気の老人のことを考えて措置したものであることが肯認できるのである(弁第一〇〇号被告人陳述書)。すなわち、当時国公立の病院等に入院している病気老人が病状が重篤になったり、ボケ症状が進行した場合、入院先の国公立病院等は、患者又はその家族に対し自費で付添婦を付けることを求め、それが困難な場合は、自宅に引き取るように暗に強要するという状況であった為、その措置に困った患者の家族が、国公立病院等をはじき出された病人を、是非大手町病院に入院させて欲しいという熾烈な希望を有し、又行き倒れ老人や、病気の独居老人等については、県下各地の市町村民生課、福祉事務所又は婦人団体からも、これらの病人を大手町病院に何とか入院させてほしい旨の申出もあった(第一審における証人岡本八重子第六回公判、同上口昌徳第一〇回公判、同清水ヨシ子第八回公判における各証言)。そのような際にも、被告人は医師としての立場から心良くこれを引き受けて入院させ、優しく看護介護するという態度であり、しかもいわゆる完全看護の立場から、これら薄幸ともいうべき気の毒な病気老人や家族に対し、自費で付添婦を付けることを要請せず、大手町病院の従業員である看護助手(年配の女性看護助手)をして医師或いは看護婦の指導監督の下にたれ流しの糞便によごされたおむつの取り換え、その他下の世話、身体の清拭、食事の介助等の介護活動に従事させ、その為患者や家族から大変喜ばれ感謝されているという状況であった。原審における証人大戸宏は被告人のこのような態度に関して、「彼(被告人)はホスピスのほんとうの道に取り組もうと、こういう意気込みが十分あったというふうに思います」と証言(第一審第九回公判)

3 右のような状況下において、前記昭和五三年四月の一般病棟の二三四床に付、基準看護一類の承認申請を、同五六年一〇月一般病棟三八〇床に付、同様一類の承認申請を各石川県知事に提出し、当時夫々同知事から申請通りの承認を受けた時期には、夫々既に多数の入院患者を擁している場合であっても、被告人は前記のような国公立その他の病院から敬遠され、はじき出された病状重篤な老人患者や寝たきり病人、身寄りのない独居老人を引き取り、看護、介護することが医師としての責務であるとの使命感を有し(前出第一審における証人大戸宏第九回公判証言)、正規の看護婦数は足らなくても、絶えず不足する看護婦の充足に努力する傍ら(前出被告人陳述書一八丁裏)、自ら陣頭に立って、在籍看護婦及び看護助手(見習看護婦を含む)、又は雇い医師団を叱咤激励して、その協力により、正規の数の看護婦を擁している国公立病院や行政庁の施設に、優るとも劣らない看護、介護(第一審における証人平松昌司の第九回公判における証言)をなし遂げるという自信と信念を持って、大手町病院に気の毒な病気老人、特に寝たきりの老人、ボケ老人を受け入れて大手町病院を運営し、他方在籍の医師、看護婦、介護助手も被告人の上記のような使命感、信念に感化されて、多少の労働過重もいとわず、被告人の期待に応え、常時ベット数をオーバーする程の入院患者、特に老人の入院患者に対する医療上欠けることのないよう看護し介護して来たものである(第一審における証人岡本八重子の第六回公判における証言)。

4 本件詐欺罪の犯行時期の一年前の昭和五五年一月から、犯行最終時点近くの同五八年七月までの間の大手町病院の毎月の入院患者は四三六~七名から四五一~二名(最も多い月は四五五~六名に達した月も若(干存在する)いたことが認められる(検第一五五号捜査報告書)。他方その間における。看護婦及び看助手の数は、正看護婦、準看護婦は、夫々正規の数を満たしていないが、看護助手については見習看護婦(主として看護学校に通っている者)が一番少ない時で二四~五名(たとえば、五五年一月二五名、同年三月二四名)、一番多い時が五七名(同五六年四月及び五月)で、特に五六年七月から同五七年七月迄は、毎月三三名乃至四六名を雇入れており、「おばさん」といわれる資格のない年配の女性の看護助手については、少ない時で二二名(同五五年一月)、本件詐欺罪の五六年一月から同五八年七月迄の間は、毎月二八~九名乃至三六~七名を確保していることが認められる(検第一五九号捜査報告書)。而して、前記見習看護婦の看護助手は年も若く病院の勤務時間も比較的短いのであるが、これらは、資格ある看護婦の指導のもとに、その補助をする外、おばさんといわれる看護助手の入院患者の世話、特に食事、寝具、寝衣の着替えの手伝い、体位の転換、身体の清拭等の比較的軽度の世話については、おばさん達の指導のもとに、これを手伝うことは可能であったと認められる。そして右おばさん達ないし見習い看護婦について、前記の如く本件詐欺罪の犯行時期においては、看護助手の正規の数を上回る二倍乃至三倍の人数を、被告人は常時確保していたことが認められる。

5 「老人保健法の解説(弁第九号、老人の特性(1)心身上の特性七四六頁以下)は、次のように説く。「昭和五〇年の国民健康調査によれば、老人の有病率は成年層の五倍に達し、同五二年の老人健康調査によれば、医師による精密な診断の結果、治療を要する老人は半数以上に達している。また老人の疾病は、……長期慢性化しやすいものが多く、また、幾つもの疾病が同時に存在し、更に、生理的老化と疾病が共存するため複雑な病状が現れやすい。次に疾病に罹患した場合、治癒後も何らかの機能障害を残すことが多い。また、たとえ疾病に罹患しなくても、老化により日常生活の適応能力が低下していくため介護を要する状態になってくる。」

伊藤光晴教授(前出)は次のように指摘されている。「高令化社会は、万一の病気の可能性をかかえる社会でもある。有病率は高令者ほど高い。しかも高次医療の比率が高く、その医療費は医学の進歩、医療技術の進歩とともに増大する。また寝たきり老人、痴呆老人の出現率もしかりである。(昭和五五年東京都の調査をもとにすれば、六五才以上の寝たきり老人は、四~二%、二四人に一人、しかし、七五才から八四才までは一六・六人に一人、八五才以上は四人に一人である。また痴呆老人は六五才以上が四~六%、二二人に一人、七五才から八四才までが七、八人に一人、八五才以上が四人に一人である。)」「小林一茶の辞世句を借りていえば、「ぽっくりと 死ぬが 上手の 佛かな」という願いは、高令社会でこそ一層切実になる。しかし、ポックリとは往かず、病にふし、寝たきりになり、あるいは「老心」(ぼけ)となって介護の手を必要とする高令者は年々増えていく。」(中央社会福祉審議会委員大森彌)のである。

6 日野原重明「老いを創める」(弁第一〇七号)は「今日の日本の老人医療は、ピントがはずれている。老人には、検査や薬より、訴えをよく聞いてあげ、世話(ケア)することが一番大切だ」(なおこの点については、弁第六〇号「高令者問題の現状第四章第三・四節参照)「人間がもつ温かい思いやりの感情は、痴呆老人にも伝わるものである。患者を愛し、温かく抱擁する態度でケアをすると、ボケ老人も心を開く。

老人に昔話を思い出させ、その思い出を分かち合おうとする態度も、老人の心をなごませ、病気の進行にブレーキをかけるのに効果があろう。」「痴呆老人は、発病後の余命が短い。……痴呆老人も第二の幼児だと考えて、家庭にあっても、施設にあっても、温かい心と言葉と態度で示しながら看とり、保護したいものである」「老人には、完全に治療できない老化現象や慢性の病気がほとんどの人にあるが、これは治しきれないまでも、症状をなごめる手当てや看護の手段は多々あるのである。痛い関節を温めたり、入浴させたり、体の表面や陰部を清潔にしたり、頭髪を洗ったり、老人が心身ともにさっぱりして気力を出させる手段や励ましの言葉こそが、一人で悩みがちな老人の心を支えるのである。云々」と説く(一五一頁一六九頁)。

7 千葉大看護学部中嶋紀恵子助教授は説かれる。「世話をするとか、看るとかの行為は、自分の身体活動の一つ一つを掘り起こして、相手の身体に起こっている命の維持の不足分をつかみとり、どうすることで補えるかを、自分の身体を通して探索することである。それは世話になる、世話をする関係性に没頭しなければできない仕事である。……看るは、単にやさしさや思いやりに依據してできるような仕事ではない。身を粉にしてどんな状態のために何が起こり、それがどのように表現されているかが解決され、状態に通した手をうてる行動をしてようやく手に入る仕事である。……それにしても、昨今のやさしさとか思いやりの、古色蒼然さや身勝手な一人あるきはどういうことであろう。身体が知っていることと蓄えた知識との乖離現象がそれに拍車をかけているのではないかと思えてしかたがない。……老いる人の増加に比例して「老いる」の階層化を進んできた。つい数年前までの底辺は「寝たきりの老人」であった方が、いまは「ぼけの老人」である。……ぼけは、つらい病気である。老いの底辺におかれ、斥けられて「ぼけは何にも分からない恍惚の人でいられるから楽だ」などといわれて、ふさわしい手当てもうけられないようなひどい目にも会いやすい病気でもある。「ぼけ」とは、病気の原因はともかくとして、知的能力の低下のために周りの状況に正確に順応することが困難になることで、すでに一度獲得した生活力を落としていく状態の総称である。そのために生命力の衰退をともなう病気であるが、「ぼけて生きてゆく」老人の側に光をあててみると、このような状態にありながらも状況を変えるために苦闘して生長する姿が写し出されてくる。」(老いを看る心、老いと社会システム、岩波書店)

8 沖藤典子(作家)は「介護とは、日常生活への援助行為とでも定義しておこうか。食事、排泄、入浴、リハビリ、レジャー、この五つを介護の柱として、老人の看護とは考えられなければならない」とする。

9 このようにみると、病気の老人の世話は、人生経験の多い年配のおばさんと言われる看護助手の活動の中心である。(証人岡本八重子の第一審第六回公判における証言。同荒川敦子の第八回公判における証言)被告人も「看護婦(有免許者)は不足しているが、老人の場合、左程高度な看護技術を必要としないものが多く、看護助手(介護人)でも、看護婦の指導のもとで、充分その役割をはたすことができると思い、又実際上その通りですが、不足看護婦は、看護婦の希望があれば勿論補充するのですが、絶対数として不足しているので、看護助手を多数採用し、看護、介護に当たらせ介護の万全を期し、日夜努力してきました。老人痴呆、寝たきり老人は、精神的知能低下が著しく、その精神的な症状は自分の気持ちを受け入れられ、安心する事を求めている。思うようにならない事に対して我慢する力が弱い。「苦」を回避しようとする。環境の変化に対して敏感である。周囲の実情を敏感にキャッチし、微妙に反応する。プライドが傷つきやすい。自分のペースを固守しようとする。何でも良いから「やりとげたい」という要求をもつ。生きたいという願望がある。不自由に苦しんでいる。このように色々な症状があります。重要なことは受容的な態度で接し、患者の言動の意味を理解するように努める。ボケ老人も人として尊重することであります」旨その心情を吐露している(前出弁第一〇〇号陳述書一三項)。大手町病院に入院していた病気の老人、特に前途のとおり、その入院患者の八割が寝たきり老人、ボケ老人であったという実情を見れば、このような入院中の老人患者については、看護上絶えず著しく体調を崩すことのないよう診療治療上配慮することは勿論必要であるが、概ね心安らかに余生を送らせることが、肝要であるというべきであろう。そのためには、医師看護婦による医療行為も大切であろうが、更に老人の入院患者の処過につき肝要なことは、被告人は永年の経験に基づき「重要なことは、受容的な態度で接し、患者の言動の意味を理解するように努める。ボケ老人も人として尊重することである。看護にあたっては、相手のペースに合わせる介護、適度な刺激を与え孤立させない。規則正しい日課は必要であるが、無理に押しつけず、柔軟な対応に注意し、身の廻り、環境を清潔にし、体も清潔に払拭することが大切である。又寝たきり患者には、衣類の着脱、食事の介助、床ずれの防止、体位の交換、全身清拭、入浴の世話、リハビリに連れて行く、洗顔、洗髪、ひげそり、爪きり、糞尿の世話、オムツ交換、妄想興奮、不潔行為、やたら歩き廻る等に監視介護が必要であり、更には床ずれ、心不全、尿路感染症、老人性肺炎等も併発するため、充分な看護が必要であるが、これらの大方のことは看護助手(介護人)で充分に目的が達成されると思っている。特に若い看護婦では、とても気付かない老人の精神的悩み等に対し、きめ細かい配慮は、却って年配の看護助手の方が適当でないかと思う。とに角、基準看護病院である故に、費用患者負担の付添婦をつけず、病院で全部責任をもって看護介護せねばならないということが私の信条でした。今日では、別居や共稼ぎの家庭が多く、自費で付添婦又は派出看護婦をつけられる余裕のある家庭は極一部しかない」旨老人の看護介護の姿を説いている(前出陳述書一三丁裏)。

第六 詐欺の犯意について

原審判決は、被告人は、永年の経験を有する開業医であり、健康保険法及び国民健康保険法における基準看護の制度について十分な知識を有し、自己の経営する大手町病院における看護婦数が右基準に到達しないことを「熟知」していながら、その事務職員に「指示」し、もと従業員であった看護婦に対価を支払ってその名義を借りる等したうえ、架空の看護婦が勤務しているかのように装って虚偽の書類を作成し、基準看護婦料を不正受給した事実が認められるのであって、そのような事実関係のみからしても、被告人が違法性の意識を有していたものであることは優に推認できるのみならず、原判決に挙示の被告人の関係各供述調書、吉村敞の原審証言、岡本八重子の検察官に対する昭和五九年五月二四日付供述調書等によれば、被告人が、「違法であることを了知しつつ」各詐欺を行ったことが明らかに認められる旨判示する。しかしながら、右判示は、証拠の取捨選択を誤り、その結果重大な事実の誤認を犯し、又法令の解釈を誤ったことによるものであって、到底首肯し得るところではない。

行為者が、違法行為につき責任ありとして罰せられるためにはその行為が行為者の人格の表現であることを必要とする。行為が人格の表現であるということは行為と行為者との間における一定の心的関係を実質とする。責任ある行為の特徴は、行為の法上許されないことの認識(認識の可能)が行為動機に対する反対動機となるべきであったに拘わらず、そうなることなく、行為がなされたということである。行為の法上許されないことの認識は、通常は、構成要件にあてはまる行為事実の認識から一応の推定を受ける。行為者が構成要件にあてはまる行為事実を認識しながら、しかも行為の法上許されないことを認識しないときは、故意は成立しない。行為の法上許されないことの認識は、すべての責任行為に共通の分母であり、その事実を示すところの諸理由が分子である。責任条件はかようにして構成せられる。責任の程度は、行為の法上許されないことの認識が行為動機に対する反対動機となるべきであったに拘わらずそうならなかったことの程度即ち動機の強弱によって定まる。間断なく連続するところの責任の程度は、動機という一元的基準によって測定せられる。一元的基準によって、同質のものを量的に比較して、大小を定めるところに意味がある(滝川幸辰、新版刑法講話)。

以上縷々述べて来て、弁護人は、「被告人は、基準看護に必要とする看護婦の数が不足しているにも拘わらずその事実を偽り基準看護料を騙取したとの事実に関し、看護婦の不足は看護助手を似てカバーし、その実質は基準看護と同等のものであると信じていたのではなかろうか」との疑問を禁じ得ないものがある。すなわち基準看護料を騙取するとの認識は無かった、少なくとも極めて「薄かった」のではないかとの感を深くするものである。とすれば、本件は「行為者(被告人)がその事実を法律上違法でない許されたものと誤信し而もその誤信したことについて相当の理由があってその者に過失の認むべきものがない場合」であり、被告人ならずとも「何人に対しても違法の意識を期待できない」場合に該当するものではなかろうか。前出の各証拠からもその片鱗がうかがわれるのであるが、更にこの点に関し法廷に顕出された証拠を検討することとする。一部前出との重複をご了承願いたい。

一、まず被告人の供述をみることとする。

1 昭和五九・五・一九検面調書(検第三二三号)の供述記載

一 昭和五三年三月末頃基準看護二類が一般病棟につき廃止となり一類のみになることを知り、当時二類の要件すらみたしていないことは承知していたものの、現実に受け入れ先のない寝たきり老人を多数抱えており、それを人数的には全く不足していたものの、曲がりなりにも付添人がいなくても良いような看護をしているという自負があったので……詐欺とか「だまし取る」といった言葉自体には若干抵抗があります。

二 大手町病院は寝たきり老人が多く、病院というより養老院的色彩が強く、その世話は正看や準看でなくても、いわゆる「助手」のおばさんでも賄い切れる面が多く、確かに基準看護一類の要件を満たしていないことは承知しておりましたが、内容的には十分な看護をしていると考えていたので、一類の申請をしてもよいだろうと甘く考えてしまっていたのです。

2 陳述書(弁第一〇〇号)の記載

(一)看護婦(有免許者)は不足しているが、老人の場合、さほど高度な看護技術を必要としないものが多く、看護助手(介護人)でも看護婦の指導のもとで充分その役割を果たすことが出来ると思い、又実際上その通りですが、不足看護婦は看護婦の希望者がおれば勿論補充するのですが、絶対数として不足しているので、看護助手を多数採用し看護介護にあたらせ、看護の万全を期し、日夜努力して来ました。

(二)寝たきり患者では、衣類の着脱、食事の介助、床ずれの防止、体位変換、全身清拭、入浴の世話、リハビリに連れて行く、洗顔洗髪、ひげや爪切り、糞尿の世話、オムツ交換、妄想興奮不眠不潔行為、やたらに歩き廻る等に対する監視介護が必要であり、更には床ずれ、心不全、尿路感染症、老人性肺炎等も併発する為充分な看護が必要ですが、これらの大方の事は看護助手(介護人)で充分に目的が達成されると思っています。特に若い看護婦ではとても気付かない老人の精神的な悩み等に対し、きめ細かい配慮はかえって年配の看護助手の方が適当ではないかと思います。

(三)大手町病院の入院患者、寝たきり老人、ぼけ老人の心身の特色、これに伴う看護介護の特異性からして、形の上で正規の看護婦が多少不足しても、それを在籍の看護婦、私を中心とした医師団の努力でカバーするほか、入院患者に対し、愛情を持ち、いわゆるスキンシップ的な身の廻りの世話をする看護助手(年配の女性)を正規の枠以上の数を確保配置すれば(大手町病院では現実にこの種の看護助手は常時三〇名前後確保していました)、入院の老人患者の医療看護上決して欠くるところがなく、万全を期しうるものと心中固く信じていました。私は当時は勿論今でも基準看護で大手町病院は入院の老人の患者に対し、他の病院がなしている以上の手厚い看護介護をして来たと確信しています。

(四)加算で不正にもうけてやろうなんという事は本当に考えていませんでした。

3 昭和六〇・六・三第一審第一二回公判における供述。

(一)私は、初め実際問題として、この基準看護を十分にやっておったわけですから、それに対してそれが違法性があるということはあまり思っておらない。勿論そういうことを思っておったら、私はその基準看護の申請も、まあ、やむを得ず一類にせなきあならなかったんですけれども、それもやらなかったと思いますし、でもやはりそうなった場合には今までそういう付添を付けないで看護をするというのが基準看護の大体のやり方なんです。

(二)今考えてみるとこれは規則に違反したことをやったと思って反省はしておりますが、しかしそのときはやむを得なかったと思っております。ということは今それを全然廃止したということになりますと、付添も付けなきゃならんということになりますし、また今までおったいわゆる介護人とかそういう者もある程度やっぱり整理してしまわなきゃならんし、患者の選択というものがやはり考えなきゃならんということになってくると、大変な社会的問題じゃないかと、こういう具合に思いました。また看護婦さんにしても、基準看護が許可になっておるから、まあこれだけの看護をやはりして、手厚い看護をせなきゃならんということですけれども、基準看護でなくなったら、おのづから基準看護でないからそういうようなことの手厚い看護と言ったら語弊がありますけれども、それほどまでにせんでもいいんじゃないかとこういうふうに皆さんが思って、その点がなかなかうまくいかなかったんじゃないかと思います。

(三)最終的な知事の承認の病床は三八〇床だと、だけれども、それを守っておったんじゃそういう困った患者を入れられない。

(四)むしろ患者からも家族からも感謝されておりまして、社会的に何一つ投書されたりそういうことはないんです。

(五)無類にするということになれば、とにかくここは基準看護ではない病院だと従業員全部がもうそういう具合に思ってしまうわけです。

(六)(裁判官の、丸の内病院になって現在無類になった段階で従前と同じような手厚い看護、介護はできておるわけでしょう、との問に対し)これについて老人指定病院ということになった場合に、特定収容料というものが最近一年前から、去年、一昨年ですか、一回に、三〇点というものが付くようになったんです。やはり厚生省のほうでもこういうことをしておったら基準看護でなくても……こういう面倒な老人、指定老人収容料というものがわざわざ新設されたわけです。それを役所のほうでもお認めになったようなことなんです。

二、証人上口昌徳の第一審第一〇回公判における証言。

1 これも現在の医療制度の重大な欠陥の一つであるが、長期入院患者の医療手当の点数が……特に老人は一週間後にその点数が減っていくわけです。入院させておくと経営が非常に成り立たないという矛盾した仕組みの中で、できるだけ早く退院させたいということを特に公立病院は患者に強要するような形になっている。……付添は日当一万円から一万五千円くらいであるから、一ヶ月に約五〇万から六〇万円の負担に耐えられる人たちは国立病院に入っております。……小さな町の病院の皆さん方は……大手町病院のようにして救ってくれておる病院があることが非常に助かっておるということをおっしゃています。

2 看護婦は非常に公立病院のほうへ行きたがって民間の病院が看護婦を確保しようとした場合に難しかった。

三、第一審証人大戸宏の第一審第九回公判における証言

大手町病院に老人の病人が入院を希望する理由は、第一は院長である土用下さんのポリシーと申すか多少無理であってもかわいそうだから受け入れようといった形。それから患者の側ではむしろ身内のない、引受人のないような老人を押しつけるといいますか、又相当裕福な家庭でもまあ邪魔になったと申しますか、大手町にくっつけておけば安心だというような感じ、その裏にはやはり親切で、また、できるだけくるくる働いて院長先生自らがそういう親切な方であるというような定着した一つの見方というのがあったんではなかろうかと思います。

四、第一審証人平松昌司の第一審第九回公判における証言

1 (定員オーバーについて)実は患者さんが多くなれば待合室とかいろいろ入れて医療をするのがまあ昔からの常習といいますか常識としてそれが普通だったんですね。私らは入りたい患者がいたらできるだけ入れてやるというのが本来の常識だというふうな教育といいますか、そういうようなところからずっと育ってきました。

2 世の中世知辛くなりまして夫婦共稼ぎとかいろいろなことがありますし、それから子供の受験のためとかそういういろいろなことで老人の面倒をみるということがなかなか難しくなっております。……官公立とかそういうところでも大きなところでも看護婦一人が四人の患者をみるという体制を整えておったところでも、本当は十分なことはできませんです。重症になったり手がいるようになれば、あるいはぼけてくるとか、夜中にどこか外でも歩き回ってしまうとか、大きな声をあげるとか、昼寝ておって夜起きるとかそういういろいろな患者が来ればもう殆ど退院させられます。………その付添を付けるとなれば普通今まででしたら一日一万円ぐらいいるそうですから、それの負担に耐える家庭が少ないわけです。

3 (老人の入院患者を受け入れるのは)一般的に見まして大手町病院以外なかったと思います。大手町病院の特色は、だいたい私らが送りますのも、おむつを替えてくれるんですね。おしっこをしたいと言っておってもなかなか看護婦さんが来てくれない。大便が出て来てもなにもしてくれない。あるいはそのままにして長い間おかれると。大手町病院でしたらおむつを替えてくれるということが一番の特色だったと思うんですけれども………。付添えなしで最後まで面倒をみてくれるそういう病院がまず大手町病院だったんですね。私の聞きますところでは、くさいし汚いし面倒なことをしなきゃいかんというわけで、まず若い看護婦さんは嫌われて少ないんじゃないかと思いますけれども、特にそういう評判がありますから、看護人もどちらかというと集まらないんじゃないかと思います。

五、第一審証人吉村敞の第一審第四回公判における証言。

1 (看護人の発掘について)土用下院長のほうでいろいろな努力をしていたが、成果はほとんどなかったように思います。特に潜在看護婦の場合にはまあアタックしてもほとんどノン回答が多かったと思います。

2 看護婦の絶対数は不足しておりました。

3 (退院を勧告して入院の患者数を減らせるかということについて)………頼まれればいやとも言えないと、まあいろんなコネを通じて「ひとつ頼む」と言われれば、無下にも断れんと、それから今実際的に現実的にですよ、どこも引き取ってくれない患者が沢山いるわけですね。そういう患者に頼まれれば、やっぱりやむを得んだろうということですね。

4 金大付属病院(国立)とかいわゆる国立病院それから県立中央病院、金沢の市民病院そういうところでは老人を収容したがらないというよりは要するに完全看護に近いものができ得ないということと、もう一つは老人性痴呆については精神病院の収容の対象でないので、これの取扱いについてはいずれの病院も非常に苦慮しておったわけです。

5 (県の行政当局としては不足の看護婦を補充するために総合看護学院をつくって養成に励んだり、医師会がつくった准看護婦養成機関の石川県看護学院を県が直接運営するようになったり、あるいは潜在看護婦を発掘してそれの再訓練をしつつ現場復帰させようというふうなことはやっておりましたが)成果はちょっと、特に潜在看護婦の再発掘就職については成果は上がっておらなかったと思います。

6 患者は、見習看護婦についてはほとんど感情をもっておらないと思いますけれども、看護助手に対しては感謝の気持ちはもっておったと思います。

7 老人が多いわけですから、いわゆる介助介護を要する患者が多いわけですから、看護婦その他の絶対数が足りないわけですから、どうしても看護助手でせめて補充しておかなければどうにもならなくなりますから。

六、第一審証人宮下正次の第一審第五回公判における証言。

1 昭和四八年に老人福祉法の改正で老人の医療費が無料になるという制度ができてからはよけい入院を希望される方が多くなったと思います。年齢は老齢ではなくても結局体が自由がきかないというような患者さんもけっこういた。

2 最近では一般家庭でお年寄が病気になられたり痴呆症みたいなのが出ても家庭でみられるというケースがだんだん少なくなってきたわけです。………家庭からも頼まれるケース、それからよそにはいっていて中には公立の病院にもはいっていて、そこを退院するように言われて今日さっそく出てほしいと言われるんやけどどこも行きようがない。家には引き取れない。なんとかしてほしいというようなケースでおいでた方もけっこうあるわけなんです。………老人医療に該当する患者が増えて金沢の市役所なんかからでもけっこうそういう患者さんはうちのほうへ希望をということで、どこも引き取ってもらえないんでというケースが沢山ありました。まあその患者さんは、県の中央福祉とか県下のいろんな福祉事務所のあるところなんかからも、郡部なんかからも来たという方がある。

3 (老人患者については)治療ももちろんありますけれども、そういう日常の介護といいますか食事介助からおむつなんかの取替えそういうことが多いんです。自分でほとんどできない方が大部分なんです。

4 資格のある人も当然必要だと思いますけれども、実際その仕事に当たられる方にとっては、資格がなくてもそういうことについて熱心であれば、そういう方が沢山いてもいいんじゃないかと思います。

5 感謝される声は聞いても不満というものはあまり聞いておりません。

6 現実の問題として………それ(基準看護)がなくなった場合に、今度付添いをつけてもらわなければならんとか、あるいは費用をある程度負担してもらわなければならんということになってくると、実際今まで入っておった患者さんにとってはそういう経済的な負担は大変だということです。

7 それでその看護(基準看護)があるということで、看護助手の方なんかもそういった看護ということもできたんじゃないかと思います。一般の病院であればそういう気持ちもやっぱり違うだろうと思います。

8 それ(基準看護)があるということで看護婦なり看護助手の方なりが、これだけのことをしなければならないという、自分の仕事の上での気持ちというものが出てくると思うんです。それが無類でやっていくということになると、そこまでする必要がないということになるのじゃないかと思います。

9 実際上今確保している看護助手をずっと確保しながら継続的に体制を保っていくということが大変困難になるということなんです。………無類だったら大手町病院であんなにたくさんぼけ老人寝たきり老人を受け入れるということは経営上難しいということです。

七、第一審証人岡本八重子の第一審第六回公判における証言

1 (老人患者が増えだしたのは、)目立ったのは七〇才以上老人医療無料となったあのころだと思っております。その後はもう殆ど老人です。寝たきりのぼけ老人が多うございます。

2 もう自分の費用では付添いをつけられないという、そういう困った方が大手町病院に来られたということです。市役所の保護課、官公庁の病院、個人の開業医さん、婦人団体そういう方面が多うございました。………国立からも来ましたし、日赤からも来ましたし、県からも来ました。

3 とても普通の開業医さんでは面倒をみられないという重症、痴呆度の高い人です。

4 救急車がいきなり持って来られるんです。その救急車はベットがあってもなくてもどうしても処理をしなければ見るに耐えない患者が多うございました。またそこらで行き倒れの患者さんもよく持って来られました。でずっと病院を回って歩きましたけれども、どこもとっていただけない、何とかしてほしいと泣きつかれて持って来られた患者さんは老衰ですぐ処置しなければ死ぬような患者さんもおられました。大手町病院では院長はじめ皆が、そういうような患者さんを目の前に見ておりますと、損得にかかわらず、やはり医療業務はそのような方を助けなければならないというような信念に燃えておりました。

5 老人患者の身の回りというのは、看護助手の仕事が多うございました。

6 患者は四〇〇名くらいということになると、一応看護助手も含めると四分の一くらいはいるという体制ではあった。

7 看護助手やみんなの協力で患者さんに不満のあるような看護体制はしていなかった。

8 実質的に基準看護に恥じないような看護をしておった。

9 基準看護をしてあげられないということになると、おのずから付添いが必要になりますので、無類になると思いました。………患者さんの種類が老人でボケ老人が多いということから、若い看護婦にはあまりおもしろくないということと、華やかでないということと、話をしても相手に通じるような患者さんじゃないのでどうしても若い人には敬遠されると思います。

10 無類になると病院側はそのおばさん方を雇用しないかもしれませんです。無類になればそんなにたくさんの人員はおかないと思います。自然と病院の経営上辞めさせざるを得ないということで、それで患者の看病についても手薄になってくると、その結果が患者に対して付添えを要求したりするんだということです。

八、第一審証人阿部健吉第一審第七回公判における証言

高齢の入院患者は九五%以上で寝たきり老人は二〇〇人余(ベット数二七〇)であります。五年以上入院している患者が四三人、二年と三年はもう沢山います。付添えは食事付きで一日一万円は下らないと思います。

九、第一審証人荒川敦子の第一審第八回公判における証言

1 看護助手の仕事というのは、オムツの交換が主な仕事ですけれども寝具の交換とか、体を拭くいわゆる清拭もします。

2 (年寄りの患者)というのもありますし、おうちの方から邪魔にされたような形で入って来られたような方がとっても多いものですから、最初はかわいそうだなという気持ちと、それからだんだん愛情が移っていって、なんかかわいいなというようなそんな気持ちで接しています。

3 (看護婦が足りないことについて)看護婦さんが足りないということは現実に私どもには分かりませんので、自分達の仕事面ではそんなに足りなかったとは思いませんけれども。

十、第一審証人清水ヨシ子の第一審第八回公判における証言

1 (土用下院長は)日ごろから大変仕事熱心な方で患者さんに分けへだてもございませんで、貧困な方でも、どんな重症な方でも、もうそれこそ救急車が来てでも断るということなしに、いつでもできるだけ入院させてあげるように言われまして、私らもやっぱり見るに見かねまして家族の方々が頼まれたり、どうしてもと泣きつかれたりしますと、つい嫌やと思いましても入院させました。

2 (老人の患者というのは)状態としては脳軟化とか動脈硬化とか半身不随とか、それから老人性痴呆症とかいう患者さんが多うございました。………もうそれこそオムツをばらまいたり、自分たちが一部屋に入っておりまして、そして人のし尿を触ったり、食べたり、自分のでもそこらじゅうにばらまいたりして、それらを看護婦やおばさんたちで世話をしてきれいにお尻ふいてあげるんですけれども、またしてもそんなことをしたり、看護婦がつねられたり、たたかれたりしたことがよくありました。

3 看護婦の数が足りないというて患者さんとかその家族の方から不満など言われたことは一度もありません。「お蔭さまで本当に助かっております」という感謝の声は聞いておりますけれども、そんな不足なんて言われたこともございませんし「ここの先生は上手な人で本当に私ら安心しております」ということは聞いております。

十一、医師浅野繁尚は、原審第二回公判において次のように証言している。

1 それから私は入院患者を入れるベッドを持たないものですから、終末医療をお願いしたときに、例えば肺がんとか胃がんとか、もうどうせだめな人で、よそで嫌がっていれてくれないんですね。あるいはよそで入って手に負えないから、嫌がられる患者が帰ってくることがあるんですね。先生、あそこから追い出されましたからお願いしますと言って。そういうときに土用下先生のところへ頼むと必ず入れてくれるものですから、そういう終末医療をお願いするときにお願いしておったわけです。

2 老人は結局最後には死ぬわけですよね。つまり治らない病気を持ったまま死んでいくわけです。我々も必ず死ぬんですが、治療する上においてお金にならないんですね。いろんな検査をしようとしても、嫌がってしないとか、あるいは検査をするとき危険があるわけです。検査によって死ぬということはあります。若い人ですと無理やり検査してもうまくいきますけれども、老人ですとあまり無理するとすぐ死んでしまうんですね。そういうことで病院に嫌われるんですよね。それでよく帰ってくるんです。大きい病院におくるでしょう、帰ってくるんです。帰ってきた患者をどうするかというと、かかりつけに帰ってくるんです。今度はそこへやると、やっぱりそういうところでも嫌われちゃうんです。そして最後に家族が困ってどこかに頼むということになってくるんです。土用下先生は二つも病院を持っておりましたから。

3 結局、手数がかかりますと手が足りないものですから嫌うんですね、お金がもうかっても。ですから最初ちょっと二か月ぐらいは高いですね、診療報酬が。一か月でしたか、二か月でしたか。だんだん少なくなってくるんです。二か月越えますと診療報酬が安くなってくるんですね、入院料が。そうすると二か月ぐらいで出されてくるんです。あるいは患者がわがままで嫌われるのかも知れませんけれども。出されてくるんです。歩けんことがないというようなもので、出されちゃうんです。またよその病院を紹介しますと二か月ぐらいは黙っておるんですが、また出されてくるんです。主治医が長いこと診ているわけですから、ちょっとかわいそうで、じゃ、どこかへ入れてやろうと探さなきゃいけない。だからお金がもうかるとか、そういうことじゃなくて、床擦れができたり動けなくなったり、ベッドを占領するわけです。回転がいかないんです。患者の回転がいかないとどうしても安くなると、そういうことじゃないかとおもいます。入院料が下がってくるんですね。政府のほうが長く置いておいてはいつまでたってもベッドを占領されるから、安くしたら帰すだろうというんで、そうしているわけだろうと思います。

4 それまでちょっと医学的な興味があって、最初はどういう病気か分からないものですから、一生懸命検査したり診察したりするわけです。はっきりと分かって、もうこの患者はこういう病気で、こんな病気でもう死ぬのを待つだけなんだということが分かりますと、医者のほうとしては興味がなくなるわけですね。解明された後で、もうこういう状態で死ぬのを待つだけだとなると。そうすると、また新しい患者を入れたりで。つまり、数学の問題が解けた後のような感じで、新しい問題を解こうということになると、そういうわけですね。ですから、病院でお金がもうからんというばかりじゃなくて、もうこれはこういう病気で問題が解けた状態になりますと、興味がなくなるんじゃないかと。それでホスピスという状態が、足りない足りないと言われているわけです。

十二、大手町病院の病棟主任、病棟婦長及び敬愛病院の総婦長の経歴を有する今村ミヨシは原審第二回公判において次のとおり証言している。

1 大手町病院における看護婦の待遇は世間一般より高いレベルにあり、世間一般より悪いということは絶対なかったと思います。

2 正看や准看の普通の看護婦さんとしては、他の一般の病院よりも大手町病院が多忙だったというわけではない。

3 看護婦は全国的に不足でした。金沢じゅうにこんなに病院がたくさんあるけれども、本当に看護婦が基準どおりに足りている病院は、二、三しかないということを聞いたことがある。

4 老人医療の特殊性からいうと、看護助手の働きは大きいと思います。優秀な看護婦が少しの人数でかき歩いてもとても間に合いませんので、やはり看護助手というのを必要としております。看護助手は大勢いるほうがいいということです。

5 土用下先生は、医療に関しては非常にまじめな方で、どんなに忙しくても勉強会などには出席されますし、それをテープに取ってきて夜遅くまで聞いて勉強なさったりしましたし、看護婦が手を抜いたりしますと、ものすごく厳しくしかりました。

6 老人を受け入れない病院なんか世間にはいっぱいあるんです。堂々と開業していらっしゃる先生方でオムツの世話をせんならんということになりますと、毛嫌いして、取ってくれとおっしゃるんです。

7 土用下先生は、老人患者の受け入れの問題についてすごく積極的に、部屋がある限りは取ってあげなさいとおっしゃっていました。

8 救急車が患者をいきなり連れて来まして、そして先生に診察していただきまして、どうしても帰せないほどの重症でしたので、先生がどこか部屋がないかとおっしゃるもんですから、部屋はありましたけれども、私は、先生、身元も分からないし健康保険も持っていらっしゃらない方をお入れしていいんですかと申しましたら、仕方ないやろ、患者に変わりがあるかとおっしゃいましたから、私はあのときは土用下院長をものすごく尊敬しました。そして部屋はありませんでしたけれども、六人部屋の間に一人割り込んで入れました。

9 老人病棟といいますと、ほかの主治医の先生なんかササッと終わってしまわれるときがありますが、土用下院長はいちいち血圧を測って、むだと思うような話もまじめに聞いてくださって、時間をかけてやってくださるものですから、すごく患者が喜びまして、こっちの患者をご覧になっているときは、こっちの患者は先生にこうして(両手を合わせて拝むようにして)いたことを私は目撃したことはございます。

10 そのころの全責任をやっておりました岡本総婦長と私と二人が、もう少し態度をちゃんとしまして、先生が何にもおっしゃらないようなことまで私たちは忠義顔をして書類をこしらえたりなどしましたので、あれを私たちがやらなければ、先生は今日、こんなめにおあいにならなかったと思います。非常に私は反省しております。………そして私にこんなことをおっしゃった方があるんです。あなたたちはもしものことがあったときには弁護士さんを頼む金も持たんだろうし、何もかも院長にかっつけておけばいいがや、そこをお互いしっかりせんならんと言って、私たちに発破をかけてまわった人がおりました。岡本総婦長なんかもそういう発言をしておいでることがあるんじゃないかと思いますけれども、今にして思えば岡本総婦長と私がもう少し認識して、書類を作ったりしなければよかったと思っておりますけれども、私と岡本総婦長だけでなくて、若い子たちも先生を信頼しておりましたので、監査までにこれだけの書類を作らんならんというと、はいはいと言って、子供のいるナースまで残業をしてくれましたので、あれをやらなければよかったと思って、今、非常に反省しております。

11 石川県で看護婦を養成する機関は、大学病院と日赤と、それから国立病院と総合看護学校と、あと内灘の医科大学もやっております。それぐらいだとおもいます。

12 非常に看護婦の卒業試験も厳しくなりまして、これだけの業界の要求があるんだから、もう少しやさしくしていただいていいんじゃないかと思うほどの卒業試験が厳しくて、そして落ちる人が割と多いんです。

13 看護婦の養成機関としては、今申しました数では絶対不足だと思います。そのうちに卒業してすぐ結婚していく子もおりますし、全部が就職するわけでもございませんし、就職しても間もなく結婚したり、子供ができて辞めたりしますから、本当に看護婦の数はお医者様の数より少ないです。

上記各証拠を総合すると、本件当時大手町病院においては、被告人を中心として、常時ベッド数をオーバーする程の入院患者、特に老人の入院患者に対する医療上、いささかも欠けることのないよう看護し、介護して来たものであり、この点において被告人は形の上では、正規の看護婦が不足することの一応の認識はあったものの、本件詐欺罪については実質的違法性の認識はなかったものと認められ、被告人が右の如き実質的違法性の認識を欠くことについて、当時の老人医療の現状、これに対する医療機関の対応、関係行政機関の対策等の実情に鑑みるとき、被告人以外の物が大手町病院の責任者の地位にあっても、被告人が執った措置以上のことを期待することは出来なかったものと謂わざるを得ない。この点に関し、検察官は、昭和五三年四月の一般病棟二三四床につき、基準看護一類の承認方の申請書を提出するに当たり、当時大手町病院看護婦の筆頭者であった岡本八重子から看護婦が不足しているのに、無理して基準看護一類の承認を取らなくてもよいのではないかとの申出を受けながら、被告人はあえて、これらの申出をしりぞけて、在籍看護婦の数を水増しした偽りの書類を作成させ、当時一般病棟に付、知事の基準看護一類の承認を取りつけた点を指摘するが、右岡本八重子の検察官面前調書及び第一審第六回公判廷における証言によると、同人等の申出のあった際、被告人は基準看護一類の承認を取り、いわゆる完全看護の体制を維持しなければ、入院患者や今後入院を希望する病気の老人やその家族に大変気の毒だ、大手町病院は、これ迄も、正規の看護婦数を擁している国公立の病院やその他の病院に、優るとも劣らないほど十全な看護介護を為しているのではないかとの自信と実情を訴え、一般病棟に付基準看護一類の承認方申請に踏み切った経緯も認められるので、右岡本八重子の申出の存在は、被告人が本件詐欺罪に付、実質的違法性の認識がなかったとの見解を妨げるものではない。第一審判決は、本件の場合には、被告人に違法性の意識があったことは明らかである旨判示し、原審判決もこれを容認するが、上記各証拠に照らすときは「明らかである」とすることは到底できないところである。第一審判決も指摘する如く、被告人は、第一審第二回公判において「基準看護料加算金の不正受給による詐欺を働こうとする犯意は、甚だ薄かった」旨陳述していることは、「犯意があったことを認めている」ものではなく、かえって詐欺の犯意が確定的なものではない、換言すれば犯意がなかったものと認むべきものである。

第七 違法性の意識について

第一審判決は、「犯意の成立には、犯罪構成に必要な事実の認識があれば足り、それが違法であることの認識を必要としないから違法性の意識の存在を故意の要件とする所論は失当である」旨判示する。しかしながら、故意の成立に違法性の意識を要するかどうかについては学説判例上いろいろに論争されており、学説の多数説は、違法性の意識は不要だが、その可能性は必要であり、違法性の意識を欠いたことについて相当の理由があるときは、犯罪が成立しない(故意が阻却されるとする立場と責任が阻却されるとする立場がある)としており、これに対し、判例は大審院及び最高裁を通じて、違法性の意識はもちろんその可能性も必要でないとする立場を維持しておるところである。それにも拘わらず、下級審では、違法性の意識の可能性がなかったとして無罪とした例が決して少なくない(後記)のである。このような学説並びに下級審の一つの傾向に鑑み、この問題に関し、「故意の成立には違法性の意識の存在が必要である」とする弁護人の主張に対し、敢えて最高裁判所のご判断を仰ぐ所以である。

一 違法の成立には単に事実を認識するだけでなく、あくまでその事実の実現の違法であることまで知らなければならない。その実現すべき結果が人間社会の法秩序に矛盾するものでないならば、もちろん強く非難されるはずはない。すなわち違法な結果の実現を予知しつつ、それを実現すべき行為をするからいけないのである。とすれば予知の内容として重要なのは、実現すべき単純な事実ではなくて、その事実が違法性を帯びているということなのである。従って故意の成立には単に事実を認識するだけでなく、あくまでもその事実の実現の違法であることを知らなければならない。(植松正・刑法教室1)

故意の重い責任を問うための前提として大事なのは適法、違法という刑法上の評価を離れた「単純な事実」の認識ではなく、その事実が違法だということを意識しつつ、あえてその行為をしたということにあるのだから「単純な事実」の認識はあっても違法性の意識がなかったら、無罪にしていいわけである。

二 故意の成立には違法性の意識があることを要しないとの立場はまったく取締の便宜に重点をおいている。しかし取締の便宜などにこだわるのは刑法の理論を構成するうえに弊害を招くものである。取締の便宜という問題は証拠判断で解決のつくことである。

「法の不知は怒せず」(I gnorantu juris nocet.)という法律格言があるが、事実の不知は許されるが、法の不知は許されない。しかし、いわゆる法の不知の結果、違法性の意識を欠いていたとしたら違法性の意識がないという理由で故意の成立は否定される。違法性の意識があるならば、法規の字句は知らなくても故意は否定されない。いわゆる法律を知らないことによって違法性の意識がないことも多いであろう。その意識がなければ故意の成立が否定されることになる。法律の字句は知らなくても、違法性の意識があれば故意犯は成立するが、このような場合には、ときに犯人に同情すべき点のあることもあるから「情状ニ因リ其刑ヲ軽減スルコトヲ得」ということになる。(刑法三八・Ⅲ・但書)

Ⅲ 改正刑法草案(昭和四九・五)21条は「自己の行為が法律上許されないものであることを知らないで犯した者はそのことについて相当の理由があるときは、これを罰しない」と規定するが、この刑法改正の方向に合致した一連の判例が戦前旧刑事訴訟法時代に既に存在したことに注目したい。すなわち

1 大判昭和七、八・四刑集一一・一一五三

被告人ハ本件竹藤区有林ヲ伐採スル当時井堰修繕用材ニ不足ヲ生セシメサル範囲ニ於テ本件井堰立林ヲ目家用ノ為ニ伐採スルコトハ竹藤区ノ認許スル慣例ニシテ差支ナキモノト誤信シタルモノニシテ之ニ付相当ノ理由アリタルモノト認ムルヲ得ヘク従テ被告人ノ本件行為ハ罪ヲ犯ス意ニ出テタルモノト為スヲ得サルカ故ニ窃盗罪ヲ構成スヘキモノニ非ス

2 大判昭和九・二・一〇刑集一三・七六

被告人カ所論ノ如キ慣行ニ従ヒ判示場所ニ於テ漁業ヲ為スモ差支ヘナキモノト誤信シタルニ付相当ノ理由アリト為スヘキ何等ノ事跡ナキヲ似テ被告人ニ罪ヲ犯スノ意思ナカリシモノト為スヲ得ス

3 大判昭和九・九・二八刑集一三・一二三

原判示ニ依レハ右弁護士ニ於テ更ニ叙上示談契約カ詐欺又ハ脅迫ニヨル瑕疵アルモノナレハ右契約無効ノ通告及ビ取消ノ意思表示ヲナスヘキ旨告ケタルヲ似テ被告人等ニ於テ之ヲ信シタルカ如キモ斯ル瑕疵アル示談契約ナランニハ須ラク国家機関ノ保護ヲ仰クヘク自己救済ヲ為スヘキモノニ非サルコト法律秩序、観念ニ照シ疑ナキヲ似テ犯意ヲ阻却スヘキ相当ナル理由ヲ欠如スルモノト謂フヘシ

4 大判昭和一三・一〇・二五刑集一七・七三五

縦シ被告人等ニ於テ右背任行為ニ出ズルモ差支ナシト信シタリトスルモ、是レ行為ノ違法性ニ関スル錯誤ニシテ其ノ錯誤シタルコトニ付相当ノ理由アリタルコトヲ認メ難キ本件ニアリテハ背任ノ故意ヲ欠キタルモノト為スヘカラス

5 大判昭和一五・一・二六法律新聞四五三一・九

処謂法律ノ錯誤ハ即チ行為カ許サレサルモノナルニ拘ラス許サレタモノト信シタル行為ノ違法性ニ関スル錯誤トシテ解セラレ法律ノ錯誤ト雖モ其ノ錯誤シタルコトニ付過失ナカリシトキハ故意ヲ阻却シ過失アリタルトキハ情状ニ因リ其刑ヲ減免シ得ルモノト解セラレルニ至レリ

6 大判昭和一六・一二・一〇新判例体系刑法2・二五六ノ一五一

犯罪構成事実ヲ確認シタル者ト謂モ該犯罪構成事実ヲ実行スル権能若ハ権利アルト誤信シ又ハ法律上該犯罪ノ成立ヲ阻却スヘキ原由タル事実ノ存在ヲ誤信シ而モ其ノ誤信ニ付相当ノ理由アリト認メラレルガ如キトキニハ何人ニ対シテモ、当初ヨリ違法ノ認識又ハ意識ヲ全然期待シ得サル場合ニシテ其ノ認識又ハ意識ニ道義上何等非難スヘキモノアルヲ見サレバ犯意ヲ阻却シ罪ヲ犯スノ意ナキモノト解スルヲ相当トスヘク是亦当院判例カ夙ニ同一結論ヲ採用スルトコロトス

7 長崎控判昭和一八・三・四法律新聞四八四〇・五

公定価格ノ制定セラレタルコトヲ知ラサル右部隊経理部当局者ノ要請アリタルトスルモ其ノ一事ハ被告人ニ於テ右公定価格超過販売行為ヲ法律上許サレタルモノト信スルニ付テノ相当ノ理由ト為スニ足ラサルニヨリ、被告人ニハ結局犯意アリタルモノト認メサルヲ得ス。

四、弁護人は、これらの判例が、その基本的態度として固執している見解によれば、違法性の意識を欠いたことが行為者にとって無理からぬ場合にも、故意責任を追求しなければならないことの不合理性を具体的事案の解決を通じて感じとり、ここから責任主義をつらぬこうとする意図があったことをみとめるものである。前掲の一連の判例の見解はその後の判例によって否定され、大審院は法律の錯誤は故意を阻却しないとする見解を固執するに至っているが、その理由はおそらく戦時における司法の厳格化の傾向に乗ったものであろう(団藤綱要・総論)

五、最高裁判所は、その態度を最初に表明した判例(最判昭和二三・七・一四刑集二・八・八八八)においても、ただ「それは単なる法律の不知に過ぎないのであって、犯罪構成に必要な事実の認識に何等欠くるところがないから、犯意があったものと認むるに妨げない」と述べているだけで、法律の錯誤(不知)は故意を阻却しないということを自明のこととしており、またその後の判例は無造作に右の判例に従っているだけであるが、戦後わが国における最高の裁判所として発足した最高裁判所の態度としてはなはだしく物足らないものといわなければならない。ことに、同じように、戦後西ドイツの最高の裁判所として発足した連邦裁判所が法律の錯誤についての問題の解決にあたり、旧大審院の判例をそのまま無批判に踏襲するという安易な態度をとらず、責任の本質についての反省から、過去数十年にわたりドイツの刑事司法を支配した旧大審院の見解を責任原則に矛盾するとしてこれを否定し、いわゆる責任説を採用した態度と比べてその感を一層深くする。(牧野・刑政新一巻三号四号同二巻一号、牧野・警察研究六九二四巻四号、佐伯・刑事裁判と人権、高田・法と政治三巻四号、福田・違法性の錯誤)。

最高裁判所が法律の錯誤は故意を阻却しないとする見解を採っているにもかかわらず、高等裁判所の判例の中には、違法性の意識の可能性がなかったとして無罪として例が相当の数に上っていることが注目される。

例えば東京高判昭和五五・九・二六判決(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律違反被告事件)は、いわゆる石油カルテル事件について、次のように判示する。

「しかし弁護人らは右被告人らには違法性の意識及びその可能性がなかったことを主張している。もっともこの点については「犯意があるとするためには犯罪構成要件に関係する具体的事実を確認すれば足り、その行為の違法を認識することを要しない」とする法律判断が最高裁判所の判例として定着しているから、犯罪の成否の問題としては右事実については判断する必要がないという見解もあり得る。しかしながら右の趣旨の判例は、違法であることを知らなかったとの被告人の主張は、通常顧慮することを要しないという一般原則を示したものであるか、あるいは当該事件においてはその主張は理由がないとするものであって、行為者が行為の違法性を意識せずしかもそのことについて相当の理由があって行為者を非難することができないような特殊の場合についてまで言及したものではないと解する余地もないではない。そうして右の特殊な場合には、行為者は故意を欠き、責任が阻却されると解するのが、責任を重視する刑法の精神に沿い「罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス」と言う刑法三八条一項本文の文言にも合致する至当な解釈であると考える。昭和五一年六月一日の東京高等裁判所判決(高裁刑事判例集二九巻二号三〇一頁――この判決は羽田空港ビル内デモ事件につき第二次控訴審判決である。判例時報八一五・一一四参照上記は筆者の註)は「無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知っている場合でも、その集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかった場合に、かく考えなかったことについて相当な理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるから右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却する」という、前記と同趣旨の見解の下に一被告人に無罪の言渡しをしたのであるが、右判決に対する上告審において、最高裁判所は「原判決の前示法律判断は被告人に違法性の意識が欠けていたことを前提とするものであるところ、職権により調査すると、原判決には右前事実につき事実の誤認があると認められるから、所論について判断するまでもなく、原判決中被告人に関する部分は、刑訴法四一一条三号により破棄を免れない旨判示し(第一小法廷昭和五三・六・二九判決刑事判例集三二巻四号九六七頁)事実判断に基づき重大な事実誤認を理由として破棄差戻しの判決をしているのである。右の職権調査が行われたことは、最高裁の前記判例に対する前記理解に支持を与えるものである」。

これらの見解に立つと思われる判例として

1 広島高松江支部 昭和二五・五・八特七・一五

2 名古屋高 昭和二五・一〇・二四特一三・一〇七

3 仙台高 昭和二五・一一・二五特一四・一九二

4 仙台高 昭和二七・九・二〇特二二・一七二

5 東京高 昭和二八・九・九特一九・九六

6 福岡高宮崎支 昭和三四・九・一二下級刑集一・九・一九の〇

7 東京高 昭和四四・九・一七 いわゆる映画黒い霧事件 判例時報五七一・九

8 前出 東京高 昭和五一・六・一 羽田空港ビル内デモ事件についての第二次控訴審判決

判例時報八一五・一一四

等相当の高裁裁判例が見られるのである。

六 これを本件についてみると、被告人は、基準看護が必要とする看護婦の数が不足しているに拘らずその事実を偽り基準看護料を騙取したとの事実に関し、看護婦の不足は看護助手を以てカバーし、その実質は基準看護と同等のものであり、従って基準看護料を騙取したとされることには納得がゆかないものがある旨主張する。而して本件当時わが国の医療制度は多くの解決を要する問題を包蔵し、とりわけ老人医療においては行政施策の手遅れと相俟って、社会的にも家庭的にも、最もその対策の講ぜられることの要請されている老人医療が、本件大手町病院に皺寄せられていたと言っても過言ではないのである。看護婦の絶対数の不足の実情にあえいで、一人の看護婦の能力を少しで増大して発揮できるよう看護助手を数多く採用して、その補助者として活動させ、老人医療の充実に全力を注いでいたのが被告人の姿であるといっても決して過言ではないと思う次第である。第一審判決は「正看護婦と准看護婦の不足を看護助手(看護婦見習を含む)でカバーしていたから看護上問題がなかった旨供述しているが、これは看護婦資格のある正看護婦及び准看護婦と看護婦資格がなく看護の補助しか行えない看護助手とを同一視するもので………看護婦の重要性を無視した暴論である」旨判示するが、被告人の言わんとするところは、決して看護婦及び准看護婦と看護助手とを同一視しようとするものではなく、正規の看護婦、准看護婦の活動能力を、看護助手を多くつけることによって倍増し、例えば一人の看護婦が二人分の看護婦の働きができるようにし、もって入院患者特に老人の入院患者に対する医療上欠けるところがないように努力し、その結果概ね基準看護に劣らない程度の医療を施すことができたこと訴えんとしたものである。

本件は前記各証拠から認められるように「行為者(被告人)がその事実を法律上違法でない許されたものと誤信し而もその誤信したことについて相当の理由があってその者に過失の認むべきものがない場合」であり、被告人ならずとも「何人に対しても違法の意識を期待できない」場合に該当し、従って被告人には、基準看護料を騙取しようとの犯意はなかったものとしてその責任を問うことは相当でないといわなければならない。かりに違法の意識があり詐欺の犯意が認められるとしても、その意識は極めて希薄であり、情状酌量の余地が大であると思料ある次第である。

第八 二重の危機(Doubl Jeopardy)について

昭和二五年九月二七日大法廷判決(刑集・九・一八〇五)において、栗山裁判官は、小数意見として「憲法第三九条末段の何人も同一の犯罪において重ねて刑事上の責任を問われないという規定を、既に有罪とされた行為について二重に処罰されない趣旨と解するだけでは狭きに失する……右末段の趣旨は同一の犯罪について二重に訴追(Second Prosecution)されないことに対する保障と解すべきものと思う。」と述べておられる。被告人を、同一犯罪について、二重に刑事手続による処罰の危機にさらすことはアメリカ憲法修正五条は明文でこれを禁止している。弁護人は、本件に関連して敢えて次のとおりその見解を開陳する次第である。

一 所得税法違反被告事件の被害者は国であり、又詐欺被告事件の被害者は保険事業を営む国若しくは地方公共団体であるところ、前者に係る公訴事実第二に記載の昭和五六年分の被告人実際の総所得金額が、

金五億七、七〇一万五、三三五円

であるとされ、又同公訴事実第三に記載の昭和五七年分の前同様総所得金額が、

金七億九、五九九万六、二二三円

であると指摘されている。

二 他方、〈1〉詐欺に係る公訴事実第一関係の別表一覧表一の番号1によると、被告人が五六年中に、石川県社会保険診療報酬支払基金(以下単に支払基金とする)から、基準看護加算金として合計四二五万一、七二〇円。同公訴事実第二関係の別紙一覧表二の番号1によると、同年中に同県国民健康保険団体連合会(以下単に健保団体連合会と称する)から、同様加算金合計金五九二万三、〇六〇円(以上二口総計一、〇一七万四、七八〇円)を不正受給したものとされ、〈2〉更に同上一覧表の番号2乃至13によると、被告人が五七年中に、支払基金から前同様加算金として合計金六、〇〇二万四、一四〇円、同上一覧表二の番号2ないし13の記載によると、同年中に被告人が国保団体連合会から同様加算金として合計七、七三八万八、九六〇円(以上二口総計金一億三、七四一万三、一〇〇円)を不正受給したものとされている。

三 しかるところ、前記所得税法違反罪の公訴事実第一記載の昭和五六年中における被告人の実際の総所得金額の中に、同年中の前記〈1〉の二口の不正受給総計金額一、〇一七万四、七八〇円が含まれているものであり、又同上公訴事実第二の五七年中の被告人の実際の総所得金額の中に、同年中の前記〈2〉の二口の不正受給総計額一億三、七四一万三、一〇〇円が、夫々含まれているものと認められるところ、各両年度の被告人の実際の総所得金額についての各隠し所得(この隠し所得の中には、同五六、七年中の前記〈1〉、〈2〉の各不正受給総金額の相当額が含まれているものと認むべきものである)につき計算された脱税額に対し、所得税法違反罪として起訴され、更に同様両年度における前記加算金についての各不正受給額につき、夫々右所得税法違反と別個に、詐欺罪として起訴されるという結果になっている。尤も右二つの罪は、処罰法規を異にし、各その構成要件も相違するので、一部同一の金額につき、別個の罪名で、各別に起訴されること、法律上巳むを得ないことかも知れないが、実質的には、一部同一の金額につき、別個の立場から夫々断罪の対象とされている点に、憲法の精神に鑑み、特に御留意願いたいのである。

第九 情状一般について

一、司法警察員作成の面前調書にあるような金銭欲が主体となって本件犯行がなされたものでないことについて

1 被告人の司法警察員竹沢警部補に対する供述調査(検第三〇三号、三〇五号)には、「基準看護をやめるわけにはいかなかったのは、新病院建築の資金が必要であり、増収に結びつくことはどんなことでもしなければならないと思っていた。」旨の供述記載があるが、これは同警部補が資金必要と基準看護加算金の受給とを結つけて、理づめで取調べた結果の被告人の真意にそわない供述が調書化されたに過ぎないものと理解できる。

それは、次のことからも明らかである。

まず、本件事実は国税査察官が脱税事件を調べて、脱税は金銭の利得を主たる目的としており、その動機が病院建設等医療設備の充実が動機であると認定されていたため、警察は脱税の調べが終わってから、これに引き続いて詐欺の事案を調べるため、この脱税の動機に容易に飛びついて、被告人の真の弁解にも耳をかさず、無理やり、金銭欲で本件基準看護加算金の不正受給をしたように固める誤りをおかしたものである。警察が右のような誤った供述録取をした痕跡は、種々指摘できるが、次の一点を示すだけでも十分であろう。

被告人の前記警部補に対する供述記載(検第三〇五号)の中に、「自分のやってきたことは、脱税王の詐欺師であった……自分には事業を拡大することが夢であった云々」という部分があるが、被告人が任意取調べにおいて、自らを「脱税王の詐欺師」等と供述するであろうか、被告人は公判廷で、このような供述をしたことはない旨断言しているが、それは当然のことである。被告人の言いもしない「脱税王の詐欺師」と記載したこと一つとりあげてみても、如何に、警察が脱税事件の動機のみにとらわれて、本件詐欺事件の真相を発見しようとしなかったかが、窺われるのである。

2 次に、大手町病院を無類にすることができず、基準看護一類でいかざるを得なかったのは、前記の如く患者本位に病院経営を考えて、そうせざる得なかったものであり、その点につき、被告人は前記陳述書一七丁表以下の六項において、

「看護の本当に必要な手のかかる患者は退院させることは不可能であり、かえって私の病院は基準看護だから面倒な看護は出来るだろうと、市内の他の病医院又は国公立病院から送られてきました。基準看護でないから面倒を見られない、退院しろ、駄目だ、或いは付添いをつけろとは、私には人道上としても出来ませんでした。無類にし、そんな面倒な手のかかる患者を退院させることになれば、多数雇っている看護助手(介護人)も退職させねばならないし、従業員の死活問題にもなり兼ねません。看護婦も基準看護でないから、それ程迄私達はサービス看護が必要ではないとの心の持ち方もおのずと変わり、そんなやっかいな患者の退院をせまるのでありましょう。」と述べている。

これが実情であって、決して金もうけのために基準看護一類の申請をしたものではない。本件において留意すべき重要な点は、本件は決して、今まで無類であったものが、看護婦が足りないのに、敢えて新たに基準看護を不正に申請したという事案ではなく、前述のとおり、岳父経営当時から完全看護の病院として、その後も基準看護二類の病院として、いわゆる自費で付添婦をつけなくても完全看護を受ける病院ということで、困った患者をそのようにして、受け入れていたが、基準看護なしにして、患者を投げ出すわけにはいかず、若干厳しくなった基準看護一類を受けて、患者を投げ出さず、これを受け入れていったという事実である。

3 更に、被告人は検察官に対する供述においても、昭和五三年三月に二類が廃止となり、一類か無類かの時に「現実に受け入れ先のない寝たきり老人を多数抱えており、……曲がりなりにも付添人がなくても、良いような看護をしていたという自負があったので……」(検第三二三号の検事調書四項)、「岡本らとしても、基準看護の承認を返上すれば、病院自体の存立や入院患者にも迷惑をかけかねないと考えて、私に従ってくれたものと考えております。」(同検事調書三項)、「実際のところ、一度承認を返上すれば、再承認が困難であると思われたこと、看護婦自体も基準看護の承認があれば、それなりに入院患者の世話をするでしょうが、無類になれば、それを理由に結局はおざなりな世話したしなくなるのではないかと懸念されたことなどからして、何とか一類を申請しようと考えたのです。」(同検事調書九項)、「大手町病院は寝たきり老人が多く、病院というより養老院的色彩が強く、その世話は正看や准看でなくても、いわゆる「助手」のおばさんでも賄い切れる面が多く、……内容的には十分な看護をしていると考えていたので、一類の申請をしてもよいだろうと考えてしまったのです。」(同検事調書一一項)等と述べているのも、説明は上手ではないが、前述の実情を陳述しているものである。同検事調書末尾において、被告人が同調書の訂正を申し立てて、「不正受給の問題と敬愛病院の建設資金調達や返済とは直接関係ありません。脱税の方の動機になるに過ぎません。」と述べているのは、捜査官が、脱税の動機、金銭利得目的を、不正受給の動機に結びつけようとしているが、事実に反するものであって、不正受給問題はあくまでも、受け入れ先のない、自費で付添婦をつけられない寝たきり老人等を受け入れるための必要からしたことを、述べようとしたのであって、それが真相である。

右の実情は、岡本八重子の第一審証人調書一一丁表以下、第一審証人宮下正次の証人調書五五丁表以下、第一審証人安部健吉の証人調書一七丁裏以下等の各証人の証言によっても、明らかである。

宮下正次は検第一八七号の検事調書九項において「加算金が欲しいという金銭欲だけからそのように考えているとおもいます」と言う供述調書をとられているが、これは加算金が入ってくるという外形のみから、理ずめで述べさせられているに過ぎないものであって、当時基準看護を長年受けていたのが、無類になる場合の患者への影響等について、録取されなかったのは、真相を把えていない一方的な調書といわざるを得ない。供述書の真意は、調書作成の末尾段階で、供述者がつけ加えたところに、真相の片鱗が窺えることがあるものである。宮下正次は検第一八号の司法警察員調書において、被告人の金銭的必要をいろいろと述べさせられた後の末尾四項において、「一類を取らなければならないもう一つの理由があります。二類廃止ということで大手町病院は基準看護がなくなると、これまで付添のいらない病院ということで満床以上の状態であったが、二類の加算金も取れないのに、看護補助者を多く雇って、これまで通り付添人がいらない病院として経営することは困難になり、付添人が必要となると、自己負担で付添婦をつけて入院出来る患者は限られてきて、入院患者が少なくなってしまう……」と述べているのである。警察は、これも金銭欲と結び付けるように調書化しているが、この点の真相を捜査段階でもっと正しく堀り下げられるべきものであった。

第一審公判廷で宮下が証人として、検察官の尋問に対し、「……それが、その看護が全然なくなってしまうということなってくると、入院しておいでる患者さんと、家族の方やとか困られることになるんで、それも困ったことだなあというふうに考えました」(同人の証人調書二三丁前後)と証言し、又弁護人の反対尋問において、基準看護なしになると、入院患者が困り、患者の希望を満たす経営が困難となる実情を詳細に証言するに至っている(同調書五六丁前後)。

4 ここに特に指摘しておきたい重要な点がある。

前記被告人の陳述書一八丁裏以下の第二の七項記載の通り、本件より後の昭和五八年一月に老人保険法が制定され、厚生省告示第二号により、本件で論ぜられているいわゆる寝たきり老人、ボケ老人等の「特定患者収容管理料の算定の対象となる心身の状態にある患者」については、非基準看護病院でも、収容管理料(一日につき)二〇点を看護料加算として認めるに至っている。これは、形式的には、基準看護を充足する看護婦数を有しない病院でも、右のような老人患者を収容する病院には、看護料の加算を与える必要のあることを認めざるを得なくなったからである。

本件病院のように形式的には基準看護に必要な数の看護婦を満たしていなくても、老人医療の特殊性から看護助手等を充足することによって、実質的に老人医療を全うして老人患者を受け入れて治療に当たる病院の経営に対し、行政も遅まきながら、理解を示さざるを得なかった結果であって、この点からも、被告人の本件所為には大いに同情すべき点が存するのである。

老人保健法の規定による医療に要する費用の額の算定に関する基準(厚生省告示一五号昭和五八年・一・二〇、一部改正昭和五九年・二・一三、昭和六〇年・二・一八、昭和六一年・三・一五)は次のように定めている。すなわち「特定患者収容管理料」として「注1別に厚生大臣が定める心身の状態にある患者が特例許可老人病院の医療法第二一条第一項ただし書の規定に基づく道府県知事の許可又は医療法施行規則第四三条第二項の規定に基づく厚生大臣の承認に係る病棟(以下「特例許可病棟」という。)に収容されている場合」に一日につき「二〇点」を算定する。2道府県知事の承認を得て別に厚生大臣が定める基準による介護を行った場合(健康保健の算定方法に基づき都道府県知事の承認を得て別に厚生大臣が定める基準による看護が行われている場合を除く。)は、所定点数に一日につき「六〇点」を加算することとされたのである。

ここにいう「介護」は、看護婦でなしに「介護人」による介護で差支えなく、特例許可病院とは、「六五歳以上の年齢の方の入院の数が極めて高いという病院に関しては、都道府県知事の認可を得、その場合には特例許可のいろいな特典もあるけれども、人数的には看護婦の数とか、あるいは介護人の数とか、そういうふうなものが普通病院と違って人数の制限が緩和される。緩和されるというよりも介護人の人数を多く置かなければならないという仕組になっておるわけである。」(原審第二回公判証人蓑谷郁夫)

弁第六三号の日本医事新報によれば、医事関係の識者の「健保改正と診療報酬の緊急是正に対する意見」の中に、基準看護における看護婦等の人員構成の比率の改定」として、看護要員の確保を図るととに、基準看護制度における看護要員のなかで、正看護婦の占める比率を下げ、准看護婦及び看護助手を、現行より以上に活用するように人員の構成比を改め、基準看護の承認を容易にされたい。これにより、普通看護の病院が基準看護体制を採ることによって、付添看護料金の患者負担がなくなり、全病院としての看護要員の充足と看護の質の向上につながる……」と述べられていることからも明らかな通り、被告人の本件動機が、老人医療及びこれに関する病院経営の社会的必要からも、巳むを得ないことであったことが、認められるものである。

二、基準看護一類の承認取消後における被告人の態度

1 大手町病院に付、昭和五八年八月上旬基準看護一類の病院であり乍ら、正規の看護婦が不足している等が指摘され、診療報酬の受給について、不正がある如きマスコミ報道が為され、更にその後も度々、不当な脱税もしているものとして、被告人を非難攻撃する新聞記事が出されたことを契機として、被告人は当時四〇〇名を越える入院患者の一部を徐々に自己開設の敬愛病院や、その他の病院に移したり、または自宅に引き取らせたりして、減少せしめる措置はとったが、しかし入院患者を放置して、その姿をくらますが如き無責任な態度を取ったことは断じてなく、反省謹慎の姿を堅持し、他の病院に移したり、又は自宅に引き取らせることの困難な事情があり、どうしても退院させることができない約二五〇名の患者の医療行為に従事していた。

2 次に同年九月一九日付で、大手町病院が石川知事から一般病棟三八〇床についての基準看護一類承認の取消通告、並びに管理者(院長)の変更命令が発せられるや、被告人自ら奔走して、先輩の知人医師高島弥生に新管理者就任方をお願いし、更に同年一一月五日大手町病院が保健医療機関指定の取消の苦境に陥った際も、被告人は大手町病院を投げ出して、閉鎖するが如き自暴自棄的な所為に出ることもなく、当時前述の如き事情から、尚入院を続けていた約二五〇名の老人患者や、その家族のことに深く思を致し、大手町病院を医療法人の経営に切り換えることを決意し、右高島弥生院長等の協力を得て、同五九年二月一五日社員一五名(内一名は被告人)を糾合して、「医療法人社団清和会」を設立し、且つその設立に当たり、自己個人所有の病院建物(評価額三億〇、二七六万円)、医療機器、備品(同一、二九二万二、七九五円)、薬品衛生材料(同五〇一万二、三六五円)、車両運搬具二台(同九七〇万〇、四四九円)及び電話加入権四基(同二七万二、〇〇〇円)を、右医療法人に現物出資(右現物出資の評価額合計額三億二、一九三万七、六〇九円)した(弁第二一号の設立財産目録参照)外、被告人が大手町病院の院長時代、同病院の施設、設備の強化整備の為、医療金融金庫から融資を受けた借入金の未払元利金債務金七、二一六万一、〇六九円も被告人の出損で返済し、無借金とする措置を取ったのである。(弁第一〇二号の陳述書二の第一項参照)。このようにして、右医療法人が格別の建設資本を投下する必要もなく、大手町病院の経営を被告人から引き継いだことは、その後の同法人の大手町病院経営に当たり、金銭的に大きなプラスとなっていることは容易に推測できるところである。

3 ところで、右医療法人社団清和会の設立後の同年三月一日大手町病院は同医療法人の経営に変わったのであるが、その前日の二月二九日被告人は大手町病院の開設者の地位も退くこととなった。

前記同五八年九月一八日大手町病院が基準看護一類の承認を取消されると共に、それ迄の基準給食及び基準寝具の承認も取消され、又前述の如く入院患者も約二五〇名程度に減少したところから、大手町病院の経営上必然的に相当の減収状態が続いたにも拘らず、同五九年二月二九日被告人が同病院の開設者の地位を離れる迄の間、看護婦、看護助手は勿論、医師についても退職、減員させることなく、苦しみに堪え乍ら、どこへも移すことの出来ない右約二五〇名の入院患者の看護介護に最善を尽くして来たものである(前記弁第二一号、同二二号の清和会決算報告書、第一審証人安部健吉の原審第七回公判における証言、前記被告人陳述書第二の三項、及び被告人の第一審公判供述、特に第一三回公判おける供述参照)。以上の如く被告人があくまでも責任を回避せず、むしろ財産的に相当の犠牲を払ってまでも、苦境を堪え抜いて来た進摯な態度こそ、本件に付被告人の為、極めて有利な情状のひとつとして斟酌するに値するものであると思料する。

尚、被告人は前記医療法人については、理事その他の役員に就任することを自ら辞退し、一社員として留り、同法人の経営に移った大手町病院(現在の丸の内病院と改称されている)において、毎月五〇万円の給与を受ける一勤務医として勤め、ひたすら悔悟反省の誠を尽くし、今日に及んでいるものである(尚、この点については、前記安部健吉の第一審公判証言及び前記被告人陳述書第二の四項参照)。

三、本件の影響-その功罪

1 本件被告事件により、被告人は医師一般の威信ないし信用を失墜したことは、まことに申訳なく衷心お詫び申上げるものであるが、近次我国において、被告人以外の医師又は病院経営者で、本件類似の容疑事犯を起し、税務当局や捜査当局の取調べを受け、その一部が起訴された事例が存在し、これが最近度々新聞紙上に報道されていることは公知の事実である。改めて深く反省し、その責任を痛感する次第である。

本件を契機として、石川県の老人福祉対策が相当向上改善されたことは、本件の功績面であると言うことができるであろう。即ち、弁第一二号の中村正人の調査表、弁第六一号の石川県厚生部民生課又は衛生総務課の作成に係る資料及び第一審証人上口昌徳の第一〇回公判証言によると、本件当時、県下の公立病院での老人病棟は、県立高松病院等三カ所で、計三〇〇床、市長村立病院での老人病床は、計五二〇床、県下の特別老人ホームは、一二ヶ所で定員一、一一〇名の程度であったが、本件を契機として、石川県当局も、老人の福祉保護対策を強化する為、昭和五九年度に約五億円の予算(第一審証人平松昌司の証人調書二〇丁参照)で、新たに、金沢市赤十字病院に、第一老人病棟五〇床の増設を、次に県立高松病院に、ボケ老人の入院を目的とする病床五〇床の増設を計画し、夫々六〇年度からこれをオープンすることとし、次に特別養護老人ホームについても、五九年度末に、三ヶ所、定員二〇〇人を増加する処置を講じ、また同五九年度の新規事業として、石川県が在宅寝たきり老人、若しくは重度ボケ老人の介護者に対し、月額六、〇〇〇円の介護慰労金を支給する制度を新設して、その資金として、七、二〇〇万円の予算を計上して実施することになり、更に昭和六〇年度から定員八〇人の基幹特別養護老人ホーム(老人を介護する専門的な研修等を目的とするもの)を創立する予算を計上しているとのことであり、これらの県の措置は、本件により、石川県当局が受けた影響に、刺激されてとられた措置と認め得るものであり、いわば本件の功績の面とみなすことができる。

四、本件事件について金銭的後始末を完了したことについて

被告人は本件所得税法違反事件につき、国税当局から追徴された三カ年分の所得税本税、延滞金及び重加算税の全額(合計金一一億三、二四二万八、三九一円)を、既に昭和五九年二月二三日から翌年三月一六日までの間に完納している外、本件脱税に伴い追加更正(同五六年乃至同五八年分)された県市民税の追徴分(合計金五、五七四万一、九一〇円)も既に全額納付済みであり、更に本件詐欺に係る基準看護加算金の三年分の返還金(合計金三億六、四〇一万〇、二五八円)も、また既に関係機関に全額返還済みであって、被告人は本件事件に伴う金銭的後始末を早期に実行し、完了しているものである。

(弁第一〇二号の被告人陳述書ニ、特に同書添付の支出金メモ、同第二四-二六号の国税関係の領収証、同第六七号、一〇四号の金沢市長の納税証明書、第一審証人宮下正次の五回公判証言の速記録七二-三丁、及び同証人小西喜三郎の八回公判証言等参照)

第十 本件所得税法違反事件の情状と量刑について

一 国税庁の調査によると、脱税額は過去約三〇年間(昭和二三年~五五年)にわたりほぼ一年毎に増加しているのがわかる。もっとも物価上昇率を加味して事を実質的にみると、ここ一〇年間はかならずしも脱税額が高額化したとはいいがたい。ただ個別事件では大口化した脱税事犯が摘発されている。例えば、〈1〉東郷民安に対する所得税法違反にあっては脱税額二六億三、六五〇万円に上り、量刑は、懲役二年六月執行猶予三年間罰金四億であり(第一審提出税務資料三三番)、〈2〉ねずみ講内村健一に対する所得税法違反にあっては脱税額は二〇億一、四一九万であり、量刑は懲役三年執行猶予三年間罰金七億である。

最近五年間(昭和五六年~六〇年累計)の租税関係事犯の量刑は、司法統計年報(通常第一審における租税関係事犯の終局区分別内訳、地・簡裁総数、法曹時報第三九巻第一号、昭和六〇年における刑事事件の概況上参照)によれば、租税関係事犯の量刑は九七・七%が執行猶予であり、その中所得税違反にあっては九四・二%、法人税法違反にあっては九七・二%が執行猶予付である。直税犯に対する処罰は最近五カ年間において平均九七・一%が執行猶予に付されている。

二 「裁判所(官)の具体的な量定に当たっては、経験的なもの、伝統的なるものが重要な役割を演ずる」ことに鑑み、ここでわが国の直税犯に対する処罰の実情を歴史的に振り返ってみることにする。

わが国の直税犯に対する処罰は、昭和五四年まではそのすべてが執行猶予付の懲役刑であって実刑は皆無であり、併科された罰金刑の金額に関する量刑如何が実は脱税犯処罰の目的とまで化していたのが実情である。そこで法定刑の上限としては、その脱税額と同額相当まで量刑し得るにも拘わらず(所得税法違反二三八条、法人税法一五九条)、実際に検察官の求刑率は脱税額の三~四〇%であり、判決に示した量刑においても、脱税額の二五%前後にとどまっている(松沢智-井上弘道、租税実体法と処罰法)。

これを立法の沿革に見ると、昭和一五年三月二九日法律第二四号所得税法の第八十八条は「詐欺其ノ他不正ノ行為ニ依リ所得ヲ逋脱シタル者ハ其ノ逋脱シタル税金ノ三倍ニ相当スル罰金又ハ科料ニ処ス」と定め定額財産刑主義をとり損害賠償的な性格を有していたが、昭和一九年の改正により、間接税に自由刑及び両罰規定が採用され、量刑に裁量の余地が与えられ、昭和二二年に至り直接税に自由刑及び両罰規定が採用され、定額財産刑主義が廃止された。それまでは逋脱犯に対する処罰は、一般刑事犯に対する処罰のように罪悪性を処罰するためのものではなく、国家に財産上の損害を生ぜしめないことを担保することを目的としていた。したがって刑罰は、国家の租税収入の確保という行政目的の遂行を担保せしめ、実質において、国家に対し損害を与えたものとして、その損害を賠償させることにあった。それが、昭和一九年、昭和二二年の税法改正により、逋脱犯の自然法化、責任主義に基づく刑事制裁が説かれるに至ったのである。裁判例においても、責任説に基づき、昭和五五年に至り、約三〇年ぶりに昭和五五年三月一〇日東京地裁判決は実刑判決を言い渡した(判例時報九六九号一三頁)以来直接国税脱税事犯単独でも、悪質重大なものについては、自由刑の実刑判決が言渡される事例が最近増えてきておる。ここで「悪質重大なもの」として実刑判決の言渡があった事例を第一審並に当審に提出した、国税庁編輯に係る税務訟務資料(刑事篇により概観すると概ね次のとおりである。

1 法人税逋脱事犯における実刑判決(他の犯罪事実と併合されているものを除く)をみても、

〈1〉 前記東京地判昭和五五・三・一〇 特殊浴場経営、逋脱所得額一二億四、九二七万円余、逋脱税額四億八、九〇九万円余。これに対する申告所得は、欠損額△六〇四万円余、申告額六七二万円余、差引所得額は僅か六八万円余、納税額は一八八万円余にすぎない。その逋脱率は約九九・六%であり、申告率は全く納税をしないに等しい。脱税の動機(傘下事業を拡大するための簿外資金の蓄積)、脱税の反覆継続性、脱税資金の使途、罪証隠滅工作等、懲役一年六月上訴の結果懲役一年二月

〈2〉 東京地判昭和五五・五・二八 時計等販売業 約五、〇〇〇万円 懲役一年 上訴の結果八月 執行猶予期間中の犯行 改悛の情顕著、将来の家族生活を案じての犯行

〈3〉 大阪地判昭和五七・八・五 建築業 イ約四〇〇万円ロ約五、九〇〇万円イ懲役二月ロ同六月 上訴の結果一審どおりの量刑で確定、執行猶予期間中の犯行

〈4〉 東京地判昭和五八・二・二八 不動産売買、仲介業 約一億三、八〇〇万円 懲役一年 執行猶予期間中の犯行(判例時報一〇九〇・一八三)

〈5〉 東京地判昭和五八・一二・一四 店舗リース業 約八、九〇〇万円 懲役六月 罰金四〇〇万円 執行猶予期間中の犯行

〈6〉 札幌地判昭和六〇・九・六 パチンコ店経営 約一億八、七〇〇万円 懲役一年(上訴)逋脱率九九・五六% 設立当初から売上げを自動的に記録するコンピューターの作動を一定時間止める 逋脱する一方納税上の特典を享受(判例時報一一七〇・一六〇)。

〈7〉 大阪地判昭和五八・八・五 建設会社役員 約六、二九八万円イ懲役二月ロ懲役六月 逋脱率八五~一〇〇% 申告率一二~二八% 証票偽造 仮名の定期預金 税務調査を受けている 道交法違反による実刑の前歴あり

〈8〉 東京地判昭和五八・一二・二四 会社員 八、九二七万円 逋脱率九三% 申告率〇・〇九% 証拠湮滅 執行猶予期間中

2 所得税法違反事件における実刑判決の例として

〈1〉 東京地判昭和五五・一〇・三〇 建材販売業者 逋脱税額約一億七、〇〇〇万円 逋脱率一〇〇% 懲役一年 罰金四、〇〇〇万円 控訴審において執行猶予に変更、

〈2〉 横浜地判昭和五六・八・七 貸金業 約三、八〇〇万円 逋脱率九九・七% 懲役八月 罰金一、二〇〇万円

〈3〉 東京地判昭和五六・一二・一八 整形外科医 約三億二、五〇〇万円 逋脱率九九・八% 懲役一年六月 罰金五〇〇万円 控訴審においても実刑判決を維持(判例時報一〇八三・一五二)

〈4〉 東京地判昭和五七・四・二六 サラ金業者 約三億二、五〇〇万円 懲役一年六月罰金五、〇〇〇万円

〈5〉 東京地判昭和五七・一〇・二〇 司法書士 約三億四、〇〇〇万円 懲役一年六月罰金七、〇〇〇万円

〈6〉 京都地判昭和五八・八・三 逋脱額一七億三、〇〇〇万円 逋脱率約九八・五% 申告率二・五% 懲役二年 罰金二億五、〇〇〇万円(鶴田六郎法律のひろば三五・六・四参照)

〈7〉 東京地判昭和五七・四・二六 貸金業 逋脱税額約七億五、八八七万円 逋脱率四四~五八% 申告率四二~四六% 罪証湮滅 査察着手後にも犯行 イ懲役一年六月 ロ懲役一年六月

これらの判決から量刑事情を検討すると、逋脱額、逋脱率のほか、動機、逋脱手段の悪質性、前科、前歴納税意識等が重要な要素として斟酌されているようである。

3 租税逋脱犯は反社会的犯罪である(東京高判昭和五六・七・一三判例タイムズ四四七号一四八項)が申告納税方式を採用している所得税・法人税については、人間の浅はかさからつい有利なように申告をし脱税犯に陥りやすいことも現実である。税務当局の指導監督を強化し事実上これを防止する方策こそ肝要というべきである。そうした観点からすれば、租税犯の科刑については、刑事犯とはおのずから差異があって然るべきものと考えられる。なのべく財産刑を以て科刑し、悪質犯や再犯などこれを以て対処し得ないものについて自由刑を科すべきものと考えられ、「申告納税制度の根本を否定する程度の反社会性、反道徳性を有するものであって一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しく支障を生ぜしめる程の悪質性が認められる」ものについては、厳格にその責任を追求すべきであると考えられる。

三、本件逋脱額は、昭和五五年度一億三、六四一万五、〇〇〇円、昭和五六年度二億八、六八四万六、九〇〇円、昭和五七年度三億九、一〇八万九、一〇〇円、計八億一、四三五万一、九〇〇円でこの種事案として多額に上がるものであるが被告人としては、「医師としての診療に忙殺され、会計上の処理は税理士等の指示に従っておりました」旨の陳述にもうかがわれるように必ずしも犯行の具体的方法の仔細にわたって認識して逋脱の実現を意図したものと認めるにはいささか躊躇させるものがあり、また通算申告率三七・七%通算逋脱率七三・四%の事案であり、特段な証拠湮滅工作は施されていないものである。前記東京地裁言渡しの実刑判決等はいずれもその逋脱率は概ね一〇〇%に上り申告率は全く納税をしていないに等しいものであり、その後の実刑判決をみても、いずれも犯行の動機に酌むべきものがなく、欠損申告をする等申告率は全く納税をしないに等しく、証拠の隠匿破棄が行われている事案或いは、加えて所得税違反等により刑の執行猶予期間中の犯行である等いずれも「申告納税制度の根本を否定する程度の反社会性、反道徳性を有するものであって、一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しく支障を生ぜしめる程の悪質性が認められる」事案ばかりである。

検察官請求に係る証拠(検第三三二号)の昭和五六年以降の実刑判決事例も又その例外ではない。すなわち、

〈省略〉

四 一般に租税逋脱犯においては、自己の刑事責任の免脱ないし軽減をはかる目的から往々にして犯行発覚後罪証隠滅行為に走るケースがある。否、多かれ少なかれ自己の犯跡を隠し、弁明を構えるのが大半のケースと言うことができる。その中にあって本件では、国税庁の査察後当初から全面的に自白し、弁解せず、罪を反省し改悛の情を示す意味合いからも一切の隠しだてをせず一貫して国税庁、検察庁の捜査に協力して来たものである。元国税庁査察官、税理士小西喜三郎は、第一審第八回公判において、次のとおり証言しておる。

すなわち「被告人の脱税事件について、国税庁の方で、けしからん、証拠隠滅しておる、けしからんというような声を出した査察官はおりません。証拠は全部そろっております。ということはあとで聞いたんですが、一月にはいってから、査察の部屋へ、委任状を出したから、もう、調査の状況はどういうことになっておるかということで、こっちも元々本職だったですからね。話を聞いただけで、これはもう証拠も全部そろっていて、どうにもこうにもならんというような状態で、証拠隠滅のことは、そんなようことはありません。………まあ事件としては、これは楽な事件です。結局、計算に手間取ったということです。」

被告人は、第一審はもとより、原審第三回公判においても一切事実関係を争わず、裁判の進行に全面的に協力して来たものである。昭和五九年・五・一九検面調書によっても「法廷であれこれを否定するようなみっともないことをするつもりもありません。………又今回の事件について、死んだ浅野宗次や岡本総婦長、吉村元事務長に責任を転嫁するような卑怯なこともしたくありません」と捜査、裁判に対する協力態度は一貫しているのである。本件捜査の過程において、この種案件にあって逮捕・勾留の処分が講ぜられなかったこともこのことを裏付けるものということができる。以上の事実は、逋脱犯の量刑において充分斟酌されるべきものである。

第十一 被告人の生活、人物、社会的功績等

1 弁護人申請の各証人によっても明らかの如く、被告人の生活は、質素な方で、その住宅等も決して豪邸と称する部類に属するものではなく、医療そのものが趣味であるような人物であり、日頃株の売買その他投機的なものにお金を注ぎ込むこともなく、高価な美術品を買い入れるという趣味もなく、また日頃酒色にふける所業も認められない真面目な人物である。

2 被告人は、大手町病院及び敬愛病院の開設者として、その入院患者、特に多い寝たきり老人又はボケ老人に対し、心からこれを敬愛し、老人医療に最善を尽くしていた外、予防医学の立場から石川県下の警察関係職員及び建設省関係職員の健康管理にも永年努力したものである。

3 右のとおり被告人は、医療行為、病院経営によって、社会に大きな貢献をしたのみならず、次に述べる通り、多くの社会的奉仕活動を行い、その社会的功績が大きい。

そのこと自体も、被告人に有利な情状として高く評価されるべきことではあるが、それのみならず、被告人がそのような社会的奉仕の活動をしていることは、被告人が金銭欲で本件所為を行ったものではなく、本件が被告人の医療熱心によるものであることを、雄弁に物語るものといえよう。

4 特筆すべきものとしては、被告人は立派な医師の後輩を育成しようと心を配り、約三〇年前から当初一〇年間は毎月金一〇万円宛、その一〇年間は同様金一五万円宛、最近約一〇年間は同様金二〇万円宛を、金沢大学医学部の母子家庭その他裕福でない学生に対する奨学資金(無償還)として、同医学部学生課に寄付を継続して行ってきているのである。しかも世間にも公表せず、秘かにこのような善行を行っている(弁第九七号の領収書計四通、被告人の第一審第一一回公判供述参照)。

5 次に、若い人達が、健康な心身の持ち主として成長して行くことを祈念する心境から、被告人は進んで金沢市陸上競技会会長及び石川県陸上競技会副会長を勤め、若いスポーツマンに対し、物心両面に亘り幾多の貢献をしてきた(第一審証人大戸宏の証人調書三丁参照)。

6 又、身障者に対する配慮の為、大手町病院が進んで身障者を職員として採用する措置もしている。

7 又、被告人は金沢市第一消防団材木分団協力会の会長をしており、消防団に物心両面及び実際活動でも大いに協力している。

8 又、財団法人石川県更正保護協会で非行防止のための社会を明るくする運動を行っているのであるが、被告人はこれに対しても、過去一〇年位、毎年金五万円相当の寄付を継続している。

9 又、司法保護司会に対しても、昭和五五~六年頃に金一〇〇万円を寄付し、昭和五七年には金五〇〇万円もの多額の寄付をしている。

10 次に、金沢市の教育関係事業にも、民生委員の関係でも多額な寄付をしている実績がある。

11 又、石川県社会福祉協議会へも金五〇〇万円を寄付している。

(以上、7乃至11につき、第一審証人山崎武雄の証人調書、被告人の第一審第一一回公判供述参照)

12 又、海外交換学生の受け入れ、海外への青少年派遣等に関するロータリークラブのロータリー財団、米山財団等へも金数十万円づつの寄付をしている。

13 又、医師会からの派遣として県立准看護学校の内科学の講師を過去五年継続して勤めている。

(以上12、13につき、被告人の第一審第一一回公判供述参照)

14 被告人が以上のような社会的奉仕活動をなした実績に対しては、昭和五二年九月以降内閣総理大臣等から「紺綬褒章」を賜り、尚その後三回に亘り、右紺綬褒章に附する飾板を賜っている外、石川県警察本部長、同県医師会長、労働大臣、石川県知事、金沢市長、法務大臣等から、前後九回に亘り、感謝状、表彰状を受けて、その功績を讃えられているのである(弁第八四号乃至九六号の褒賞の記、感謝状、表彰状、参照)

15 このような意味において、被告人は世人から敬意を表されるに値する人物であるといわなければならない。被告人は、これ迄何等の前歴がなく、善良な人物であったことが認められる。

16 しかるに本件詐欺事件に関し、昭和五八年八月上旬から引き続き読売新聞又は地元北国新聞等から悪徳者の脱税者の如く取り扱われ、いわゆるマスコミから、さんざん叩かれて、今日迄十二分の社会的制裁を受け、それが為に久しく孤独感を味わって来たのである。今日、十分自己の非に対し、深く反省悔悟し、今後決して違法の所為に出ないことを誓っている外、六〇才を過ぎる高齢者でもあり、再犯の恐れなど全くないことが確信できるのである。

17 以上のように見てくると、被告人は一般的に罪を犯した人間の中で、質の良い方であり、その罪を憎んでも、人を憎まずとの見地から、十分同情し、救ってやるのに値する人物といわねばならない。

二、尚ここで、一言附加したいことは、

1 大手町病院が昭和五九年三月一日前叙の如く医療法人社団清和会の経営に移り(現在その名称も丸の内病院と改称されている)、保険医療機関の指定を受けたが、しかし未だ、基準看護一類又はそれ以上の承認を受けていないが、病床数は現在二七〇床で、満床であり、六五才以上の高齢者の入院患者は右病床の九五%以上を占め、その中、寝たきり老人、ボケ老人が約二〇〇名いる状況であって、丸の内病院も、被告人院長時代の大手町病院同様、正に老人病院である。これに対し、丸の内病院は、医師、看護婦、看護助手等の職員を、夫々相当数確保し、その人件費は医療収入約六五%以上必要とする現況であるが、入院患者に対しては、被告人時代と同様完全看護のサービスをしていながら、前記医療法人が大手町病院を経営した右三月一日から六月迄の中間決算の結果では、経営面での赤字は、月三四〇万円位に留まっている現況であるという(前掲証人安部健吉の第一審第七回公判証言参照)。

ところで、右現況を本件につき、被告人に不利な情状とする論議があるかもしれないが、しかしそれは、前掲弁第二一号の同上医療法人の設立財産目録及び第一審における右安部健吉の証言等から、窺知できる次の如き事情を考慮するときは、決して正当な論議ではない。

2 前記医療法人設立に当り、前述の通り、被告人時代の大手町病院建物を、基本財産として、そのまま被告人から現物出資を受け、病院建物建設のため、当初格別の資金を必要としなかったこと。

3 その外、医療機械器具、備品(評価額計金一、二九二万二、七九五円)車両運搬具二台及び電話加入権四基、並びに当面必要な薬品衛生材料(評価額計金五〇一万二、三六五円)を、前同様被告人から夫々現物出資を受け、更に被告人を含む社員六名の出資に係る現金三、〇〇〇万円が存在し、丸の内病院の当座の人件費等の経費の一部に充当できたこと。

4 前述の通り、被告人時代の大手町病院のため、医療金融公庫から融資を受けた借入金の元利金未払債務七、二一六万円余も、被告人が自らの出損で全額弁済して、大手町病院を無借金の状態にして、前記医療法人に引き継いだこと(前掲被告人陳述書2の一項参照)。

5 被告人が現物出資した前記大手町病院建物の敷地約六〇〇坪(被告人所有物件)についても、被告人は当分の間、右医療法人に無償使用を許し、格別の賃料をとらない措置をとっていること。

6 右1乃至5記載のことからして、前記医療法人は被告人から引き継いだ大手町病院(現丸の内病院)の経営上、金銭的負担が極めて軽く、非常にプラスとなっていることが認められること(尚、この点に関して、前述の通り、石川県当局が本件事件後赤十字病院に新たに老人病棟五〇床を増設するに当り五〇億円(一床当り一億円)を計上したということが参考となるであろう)。

7 ところで、丸の内病院の健全な経営の立場からして、同病院の決算を組むに当り、建物や医療機械器具、その他什器備品の償却費(第一審における安部証言では、この償却費は、年間五、〇〇〇万円位であるという)を経費として計上すべきである。又その外、病院建物の敷地についての年間相当額の賃料も、また被告人からの請求の有無に拘らず、経費として計上すべき筋合のものである。しかし弁第二二号の同病院の決算報告書によれば、上記二種の経費は何れも計上されていない(尤も、若干額の賃貸料が経費中に計上されているが、それは右敷地の分でなく、病院建物の後方にある看護婦宿舎三棟、医師宿舎一棟を被告人から借用使用している分の賃料である)。

8 丸の内病院は最近基準給食、基準寝具の各承認を受け得ることにより、この各承認のない時期に比較し、年間約四〇〇万円の増収が見込まれるとのことであるが、それでも十分なる赤字補填は極めて困難であり、結局原審における右安部証言にある如く、将来丸の内病院が現在の二七〇床の病床を三〇〇床位に増床し、かつ基準看護一類の承認をうければ格別、そうでないと、ここ数年間は、毎年相当額の赤字経営が続き、黒字経営に転ずることは困難であると認められること。

9 蓋し、最近民間病院の経営は、弁第一七号雑誌中央公論中の「病院倒産が多発する日」と題する記述にもある通り、「近年の病院倒産は凄まじい。病・医院に倒産はないという神話はすでに過去のものである」

むすび

弁護人は量刑の均衡を保たねばならず、また刑事政策の中で正当な役割を果たすべきものであり、憲法三一条が英米法系の「適正手続due process」の規定であるところから、刑罰法規に規定された犯罪と刑罰が、規定上もその具体的適用に際して均衡を保っていることは、罰刑法定主義の要求するところと考える。応報観念の満足並に一般威嚇作用を考慮するだけでなく、刑事訴訟法二四八条を念頭にして犯人の年令・性格・犯罪の動機・方法・犯罪後における犯人の態度その他の事情を全体的に考慮して量刑が行われているのが現状であると思料する。刑事司法の最終目標を、犯罪者を再教育して善良な市民として社会に復帰させることにあると考えるときは、個々の犯人に対する刑はその個性や個人に特殊的な生活歴その他の事情こそ重視さるべきであってこれを全く無関係な抽象化された犯罪の重さないしは非難の度合のみによって画一的に決定されるべきでないことは今や何人も否定するところではないと思います。

わが国の社会文化的特質の一つは、正邪を峻厳に区別する対立的・論理的な欧米文化とは異なり、調和的情緒的な日本文化に根ざす寛容性と柔軟性にあり、この特質が応報や「法秩序の防衛」よりも「悔悟反省」による更正意欲を重視し、あるいは若干の再犯危険性を予測しながら更正のためあえて「最後の機会」を与えるという形で執行猶予の運用がなされていると見ることもできる。わが国の刑法には重罪・軽罪の区別がなく、また法定刑の幅が広いため、殺人などの重大犯罪に対しても執行猶予を付しうるという点でわが国の執行猶予制度は欧米諸国に比べて極めて柔軟な構造をもっているといえよう。

裁判も検察もまた「その人をよくするためのものである。その人をよくするためにあらゆる努力は法の目的に一致する」という三宅正太郎判事の言葉(三宅正太郎全集第一巻書の一)を思い浮かべ、以上弁護人において縷々申し述べたところを十二分に斟酌いただき、原判決を破棄の上、刑の執行猶予の思典に浴せしめられ、その余生を老人医療に献身する機会を与えられたく衷心から上申する次第である。

昭和六二年〈D〉第三五六号

○ 上告趣意書

所得税法違反、詐欺被告事件 被告人 土用下和宏

右の者に対する所得税法違反及び詐欺被告上告事件につき左記のとおり上告の趣旨を陳述する。

昭和六二年五月一四日

弁護人 依田敬一郎

最高裁判所第一小法廷 御中

目次

第一点 本件事実のうち原審が認めた詐欺の事件は被告人にとって本件行為に出ずるの止むを得なかった期待可能性のないものであるにかかわらず、これを考慮することなく被告人に詐欺の故意があるとして有罪判決を認めた原審判決は判決に影響を及ぼすべき法令違反及び重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものであること

一 まえがき・・・・・・一一四一

二 期待可能性について・・・・・・一一四二

1 期待可能性理論の重要性・・・・・・一一四二

2 期待可能性についての学説・・・・・・一一四二

3 期待可能性理論を認めた下級審判例・・・・・・一一四五

4 期待可能性についての最高裁判例・・・・・・一一四七

三 本件事件と期待可能性の適用・・・・・・一一四九

1 本件事件の事実の大要・・・・・・一一四九

2 本件事件の事実の背景・・・・・・一一五〇

(一) わが国における老人医療の実情・・・・・・一一五〇

(二) 高年齢者の入院希望者の増加・・・・・・一一五二

(三) わが国医療制度全般についての民間依存型の特色・・・・・・一一五四

(四) 本件事件当時における看護婦の全体的不足・・・・・・一一六一

(五) 石川県政における老人福祉対策のおくれ・・・・・・一一六四

3 本件事件に至るまでの大手町病院における経緯・・・・・・一一六七

(一) 昭和四三度基準看護二類の申請当時の事情・・・・・・一一六七

(二) 老人患者増加により実体があわなくなった事情・・・・・・一一六八

(三) 基準看護二類が廃止になったことと基準看護一類の申請・・・・・・一一六九

4 本件看護基準一類の申請とその止むを得なかった事情・・・・・・一一七三

(一) 無類とすることは完全看護でない病院になることであること・・・・・・一一七三

(二) 無類とすれば患者に退院を求めたり付き添いが必要となることになり、それが患者及び家族として不可能であったこと・・・・・・一一七三

(三) 看護婦自身も完全看護でないからということで、充分な看護ができないこと・・・・・・一一七六

(四) 看護婦確保が困難であったこと・・・・・・一一七七

(五) 結論・・・・・・一一七七

5 老人患者看護ということから看護助手でも正看護婦の不足を補って十分看護が出来たこと・・・・・・一一七八

6 止むを得ないことではなかったのではないかという考え方について・・・・・・一一八五

(一) 基準看護一類の受給を受けなくても利益があったのであるから充分な看護ができたのではないか、ということについて・・・・・・一一八五

(二) 基準看護一類の申請は敬愛病院建築費の借入金返済の為ではなかったのか、ということについて・・・・・・一一九〇

第二点 原審判決が弁護人の被告人には詐欺の事実につき違法の認識又は違法の認識の可能性がなかったとする主張につきなした判断は判決に影響を及ぼすべき法令の違反と重大な事実の誤認があり原審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものであること・・・・・・一一九一

一 違法の認識についての原審判決の判断・・・・・・一一九一

二 違法の認識の理論について・・・・・・一一九五

1 違法の認識の理論は認められるべきであること・・・・・・一一九六

(一) 違法の認識についての学説・・・・・・一一九六

(二) 違法の認識についての学説の下級審判決例・・・・・・一一九九

(三) 第一審及び原審判決の考え・・・・・・一二〇一

2 原審判決及び第一審判決の違法認識論の間違・・・・・・一二〇一

(一) 違法性の意義について・・・・・・一二〇一

(二) 原審判決及び第一審判決の解釈とその間違・・・・・・一二〇三

三 本件事件と違法認識理論の適用・・・・・・一二〇五

第一点 本件事実のうち原審が認めた詐欺の事実は被告人にとって本件行為に出ずるの止むを得なかった期待可能性のないものであるにかかわらず、これを考慮することなく被告人に有罪判決を認めた原審判決は判決に影響を及ぼすべき法令違反及び重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認めるめられるものである。

一 まえがき

本事件に執行猶予がつかなかったのは本件事件が所得税違反のほかに詐欺事件があったためであると考える。

本件所得税違反事件は脱税額が八億円を越える多額な事件ではあるが、脱税事件の情状は、捕脱額のみによるべきでなく、捕脱の割合を考慮すべきものと考えるが、多く実刑判決を受けたような逋脱の割合が九十%から一〇〇%に近い悪質な事犯ではなく、その脱税により得た金も病院建設という社会的な事業に使われているのである。しかして被告人は多額な借入をして右脱金や延滞税、重加算税の支払をしているのである。また多年病院長として医療業務特に現在社会的に最も問題となっている老人医療に尽力をつくしたうえ、数々の社会的な奉仕活動を行っており、自らはゴルフ、マージャン等の娯楽をさけ、右の業務に精勤して今日に到ったものである。通常なら執行猶予になって然るべきであったと考えるものである。

それが執行猶予にならなかったのは脱税事件のみでなくそれ以外に詐欺罪という事件があったからであると考える。

然らば本件詐欺事件は詐欺事件として被告人を非難すべきものであろうか。弁護人は、左に非ず、と信ずるものである。それは被告人が自己の医師としての使命と考える老人の完全看護のために本件行為に出ずるほかなかったからである。

すなわち、本件は被告人には期待可能性なく責任のないものである。

二 期待可能性について

1 期待可能性理論の重要性

罰刑法定主義と責任主義は犯罪論についての基本原則である。

これは何人も異論のないところであり、近代国家における基本的人権擁護の根本理念であると考える。

しかしらば責任とは何であるかということにつき、何故処罰を受けなければならないかという責任の根拠(又は基礎)については現在多くの学者によって論ぜられているところであるが、それについての学説はしばらくこれを措くとして、責任の内容は期待可能性だということは学者の通説いや定説といってよいと考える。

古くは責任の内容は責任能力と責任条件としての故意、過失だとされており、故意とは犯罪事実の認識であり、過失とは不注意による犯罪事実の不認識と考えられていたのである。ところが刑法学の発展は、右の犯罪能力や故意、過失を通ずる責任の本質を探究し、これを期待可能性としてとらえることになったのである。

2 この期待可能性について犯罪論の体系上の地位については多くの学説が存在する。その一はこれを故意、過失の内容とするものであり、その二は故意、過失とは別個の責任要件とするものであり、その三は、期待可能性のないことを超法規的責任阻却事由とするものである。

上告理由としては煩に過ぎるかもしれないが、弁護人は、期待可能性について学説を明らかにしたいと考える。それは太平洋戦争後の学説で、これを犯罪論の体系にとり入れておられないのは戦前の教科書を改定した故牧野英一博士、故草野豹一郎博士及び草野博士の学説をそのまま承継したというべき故斉藤金作博士だけであって、それ以外に弁護人が現在手にすることの可能な教科書ではすべてこれを犯罪の体系にくり入れられているからである。

(なお、故牧野英一博士は期待可能性は「能力、犯意又は過失のいずれかに還元して理解し得られるものである」(刑法総論全訂版下巻昭和三四年五一七頁)というものであり、草野博士は「期待可能性の存在如きは、特別の場合に顧慮せらるべきこと、猶、違法問題に於ける違法阻却と異なるところはないと考えて居るのである」(刑法要論昭和三一年九〇頁)というのであって前者は前述のその一、後者はその二に分類することもできるものである。斉藤博士はただ期待可能性の意義を説明するだけである(刑法総論昭和三〇年一三七頁)。)

期待可能性を犯罪論の体系にとり入れる学者は次のとおりである。

(一) 当該違法行為に出ることなく適法行為の期待可能性であることを故意の要件とする学者は次のとおりである。

小野清一郎 刑法講義総論新訂版昭和二五年一五六頁

龍川幸辰 犯罪論序説改訂版昭和二六年一三四頁

団藤重光 刑法綱要総論初版昭和三二年改訂版昭和五四年二九九頁

龍川春雄 刑法総論講義昭和三五年一三〇頁

正田満三郎 刑法体系総論昭和五四年二六二頁

植松正 刑法概論1総論初版昭和二八年再訂版昭和四九年二〇四頁

(二) 当該違法行為に出ることなく適法行為の期待可能性のあることを故意又は過失と並立する第三の責任要素とするものは次のとおりである。

大塚仁 刑法概説総論初版昭和三八年改訂版昭和六一年四一八頁

西原春夫 刑法総論昭和五二年四二八頁

(三) 当該違法行為に出ないことの期待可能性のないことを超法規的責任阻却事由とするものは次のとおりである。

木村亀二 刑法総論昭和三四年三二八頁

江家義雄 刑法(総論)昭和二七年一四七頁

佐伯千仭 刑法講義総論昭和四三年二八九頁

植田重正 刑法要説総論初版昭和二四年全訂版昭和三九年一二四頁

香川達夫 刑法講義総論昭和五五年二四二頁

吉川経夫 刑法総論初版昭和三八年改訂版昭和四七年二〇六頁

福田平 刑法総論初版昭和四〇年全訂版昭和五九年一九九頁

藤木英夫 刑法講義総論昭和五〇年二二四頁

大谷実 刑法講義総論昭和六一年三六五頁

井上正治 刑法学総則昭和二六年一二二頁

平場安治 刑法総論講義昭和二七年一一二頁

荘子邦雄 刑法総論初版昭和四四年新版昭和五六年三七二頁

平野龍一 刑法総論Ⅱ昭和五〇年二七四頁

中山研一 刑法総論昭和五七年三九三頁

奈良俊夫 概説刑法総論昭和五九年二〇四頁

内田文昭 刑法Ⅰ(総論)昭和五二年二三九頁

中義勝 刑法総論昭和四六年一七五頁

伊達秋雄 刑法入門昭和三五年一一六頁

青柳文雄 刑法通論Ⅰ総論昭和四〇年三二一頁

中野次雄 刑法総論概要昭和五四年一九四頁

柏木千秋 刑法総論昭和五七年二五〇頁

安平政吉 新修刑法総論昭和四五年三二六頁

平出禾 刑法総論昭和五八年一八四頁

以上多くの学説のうち(三)の期待可能性を責任阻却事由とする学説が多いのは、これを(一)のように故意、過失の要素としたり、(二)のように故意、過失と並立する第三の責任要素とすることは実務において、検察官が最初から期待可能性の立証をしなければならなくなるという考慮からであると思われる。

3 期待可能性を認めた下級審の判例

しからば、期待可能性の問題は実務において戦後如何に取扱われたのであろうか。

前述のとおり、戦後の殆どの学者が犯罪論の体系において期待可能性をみとめたことは当然、これが実務に反映し、この理論の採用により多くの無罪判決がおこなわれているのである。判決集に掲載になった下級審判決の主なるものに次のものがある。

(1) 福岡高裁昭和二四年三月一七日判決(最高刑集一〇巻一二号一六二六頁)(某炭鉱労働婦人部長である被告人がスト破りに対し炭車の前に立ちふさがる等をして業務を妨害した事例にたいして期待可能性なしとしたもの)

(2) 仙台高裁昭和二五年八月三一日判決(高裁刑事判決特報一二号一六〇頁)(麻薬施用者が旧麻薬取締法(昭和二三年法律一二三号)三九条に違反して麻薬を施用した場合に同法四二条一項による記録の作成を期待することは不可能であるとしたもの)

(3) 東京高裁昭和二五年一〇月二八日判決(高裁刑事判決特報一三号二〇頁)(鮮魚めかじきの市場相場は公定価格の倍以上であり、かつ需要急増見越の際では、公定価格で買入ることが不能であり、他方外国輸出という国策との見地から業者は市場価格で入手するほかなく、「物価庁」もまた暗黙に市場価格を承認していたと認められる場合には、業者に公定価格の遵守を期待することは不可能であるとしたもの)

(4) 東京高裁昭和二六年四月三日判決(裁判所時報八二号三頁)(牛乳の市場相場が公定価格を遙かに超過して居り、需要増加の際に対し公定価格を以て生産業者より牛乳を買付けることができないときは公定価格超過の対価を以て牛乳を入手するほかなかったとするもの)

(5) 福岡高裁宮崎支部昭和二六年一二月一四日判決(高裁刑事判決特報一九号一六八頁)(鯖釣漁業のため発動機船に甲板員として乗り込んだ者は、海上で船長が停船させ密輸入品を積み込んだ場合には幇助行為に出ないことを期待されないとしたもの)

(6) 仙台高裁秋田支部昭和二八年二月三日判決(高裁刑事判決特報三五巻八七頁)(違法に麻薬を譲り受けた医師は、それを帳簿に記載することを期待されないとしたもの)

(7) 東京高裁昭和二八年四月六日判決(高裁刑集六巻四号四五八頁)(肥料配給公団幹部が公団の資金を貸付金名義をもって公団職員に配分したことが、公団業務の円滑な運営上止むを得ないものであったとされたもの)

(8) 東京高裁昭和二八年一〇月二九日判決(高裁刑集六巻一一号一五三六頁)(失業保健料の納付業務の履行が不可能であると認められる場合には、失業保健法違反をしないという期待可能性はないとしたもの)

(9) 札幌高裁昭和二九年一二月二七日判決(高裁刑事裁判特報一巻追録七七二頁)(配炭公団役員がストを避けるため、組合の要求に応じて、規定上禁止された貸付を行い、帳簿上の返済があったように取扱ったことは期待可能性がないとしたもの)

(10) 福岡高裁昭和三〇年六月一四日判決(最高刑集一二巻一五号三四九六頁)(労働争議に際し労組員が会社幹部に暴行を加え且つ引続き監禁した事件において争議に相当の理由があり、急速な解決をしたこと、会社側幹部が逃避的態度を示したこと、他の組合員の勢いに引き摺られたものであること、加えた危害が高度でないことからみて、右の所為に出ないことを期待することは可能であると認め難いしたもの)

4 期待可能性についての最高裁判例について

ところが、最高裁判所は、この期待可能性を認めることの可否について、未だ正面から判断を示してはいないものと考える。すなわち、最高裁判所昭和三一年一二月一一日第三小法廷判決(裁判官は島保、河村又介、小林俊三、本村善太郎、垂水克己)(最高刑集一〇巻一二号一六〇五頁)は、前述3の(1)の事案に対する上告審につき傍論としては「期待可能性の不存在を理由として事件責任を否定する理論は刑法上の明文に基くものではなくいわゆる超法規定責任阻却と解すべきものである」(一六〇頁)といっているが、事案の解決としては当該行為が業務妨害の構成要件にあたらないとして、結局原審の無罪判決を維持したのである。さらに最高裁判所昭和三三年第三小法廷判決(裁判官は島保、河村又介、垂水克巳)(最高刑集一二巻一五号三四三〇頁)は前述3の(10)の事案に対する上告審につき、やはり傍論として「ところで刑法における期待可能性の理論は種々の立場から主張されて帰一するところをしらない有様であるが、仮に期待可能性の理論を認めるとしても、被告人らの行為が苟くも犯罪構成要件に該当し、違法であり且つ被告人らに責任能力及び故意、過失があって法の認める責任阻却事由がない限り、その犯責を否定するに足りる論拠を示さなければならないことはいうまでもないし」(三四四三頁)として、原審判決を破棄したのである。

右の二の最高裁判所の判決例は、何れも同じ裁判官関与のもとになされた判決であるが、期待可能性の理論を理論としてはこれを認めながら、事案に対するその適用を避けたものなのである。原審判決である高裁は何れも期待可能性の理論を適用して無罪判決をしたのである。検察官の上告理由は期待可能性理論の適用の不当を主張しているのである。それならば、その期待可能性理論の適用によって右事件の判断をなすべきであったのにかかわらず、これを避けて、前者は有罪、後者は無罪の事実認定を行ったのであって、これでは実務上、期待可能性の理論をどう扱うべきかの指針になり得ないものである。

右昭和三三年の最高裁判決以来、期待可能性の理論を適用した判決例が、判例集に掲載されることが殆どないのであるが、実務上は期待可能性のない場合の事例を昭和三一年の判決の例にならって構成要件に該当しないとしているのではないかと弁護人らは想像する。

しかしかかることは決して妥協なものではなく、実務上期待可能性の理論を採用することが望ましいものと考えるのである。

しかし本件にこそ期待可能性を適用すべき事案と考えるものであるが、これにつき最高裁判所の判定を得ることは、決して本件事件のみならず、それが今後多くの刑事事件における裁判の指針となるものと考えるものである。

三 本件詐欺事件と期待可能性

1 本件詐欺事件の事実の大要

本件詐欺事件は被告人が同人の経営する大手町病院において各種保険等の診療報酬につき基準看護一類に相当する看護婦がいないのにかかわらず、右基準一類に必要な看護婦数を充足しているかのような水増した看護婦数を掲載した基準看護申請をしてその承認を受け、その基準看護料の支払いを受けていたというものである。

しかして基準看護婦制度とはいわゆる完全看護制度のことである。すなわち、基準看護とは各種保健等による診療報酬につき、医療機関が被保険者である入院患者に対し看護を行った場合、基本的な看護料のほかに、入院患者数に対する看護婦数に応じた種類に従った看護料を給付する制度のことである。

右基準看護料には五種類(特一、特二、一類、二類、三類、)あり、三類は行われなかったものであるが、従前被告人の経営していた大手町病院では基準看護二類の承認を受けていたところ、昭和五三年三月以降一般病棟につき二類の承認が行われなくなったので同年四月一般病棟二三四床につき基準看護一類、結核病棟六六床につき基準看護二類の申請をし、さらに昭和五六年一〇月には結核病棟を廃止して、一般病棟三八〇床につき基準看護一類の申請をしてそれぞれの承認を受けたのである。

基準看護二類は入院患者五人に対し看護婦一人以上であり、基準看護一類は入院患者四人に対して看護婦一人であることが必要であったが、その看護婦の数の割合は正看護婦、準看護婦、看護助手が五対三対二であるところ通達により当分の間は四対四プラスアルファ対二でも承認することになっていたものである。しかし、基準看護婦一類の看護料は昭和五六年六月以降患者一人一日一一〇点(一点は一〇円)であたものである。

2 本件事件の事実の背景

しかして、被告人が右基準看護一類の申請を行ったことは被告人にとって止むをえなかったものであるが、まずその所為に至った背景について陳述する。

(一) わが国老人医療の実情

昭和五〇年の日本の六五歳以上の人口は八八六万人で、総人口に占める割合は七・九%にすぎないが、昭和七五年には、一、九〇六万人、一四・三%にまで増加する。欧米諸国の場合はこの比率が五%から一二%になるのに、フランスでは一七〇年、スウェーデンでは一〇五年という長い期間をかけているのに対し、日本は四五年という短期間のうちに、老齢化社会に突入することになる。これが日本の人口構成の変化の特徴であると共に、深刻な問題をなげかける元となっている。

又老齢人口指数〔(六五歳以上人口)の割合〕を見ると、昭和五〇年は一一・七%で、生産年齢人口九人対し、老人一人の割合となっているのに対し、昭和七五年は二一・七%で、五人に一人となるが、昭和五〇年から同七五年迄の伸び率を比較すると、六五歳―七五歳人口が二倍になるのに対し、七五歳以上は二倍半になると見込まれている。

以上のとおり日本における生活水準の向上、医学、医術の進歩や、制度の改善は、平均寿命を著しく向上させ(人生八〇年時代といわれる)、老人の健康にも好ましい影響を及ぼして来た。しかし、かなりの老人が老化現象というさけ難い生物的特性もあって病気にかかり、その機能が低下している。

昭和五〇年の国民健康調査によれば、老人の有病率は青年層の五倍に達し、医師による精密な診断の結果、治療を要する老人は半数以上に達している。また老人の疾病は高血圧性疾患、脳血管疾患、心疾患など長期慢性化しやすいものが多く、また幾つもの疾病が同時に存在し、更に生理的老化と疾病が共存するため、複雑な症状が現れやすい。

次に、老人が疾病に罹った場合、治癒後も何らかの機能障害を残すことが多い。また、たとえ疾病にかからなくても、老化により日常生活の適応能力が低下していくため、次第に介護を要する状態になってくる。昭和五一年の老人実態調査によれば、六五―七四歳の老人の三人に一人、七五―八四歳の老人の二人に一人、八五歳以上の老人の四人に三人が、日常生活適応能力の面で何らかの障害を有している。ちなみに石川県の調査によると昭和五八年四月一日現在で県下の各市町村における六五歳以上の者のうち調査対象八六二名中、治療中の者は五四一人、六三・六%で、その疾患をみると、高血圧症が二三・八%と最も多く、心臓病一〇・八%、白内症八・四%、神経疾患六・六%、糖尿病四・六%となっている。更に調査対象八六二名に付既往症があると答えた者は七二七人、八五・五%、その中で高血圧症が最も多く三二・五%を占め、心臓病一六・八%神経疾患一〇・五%、脳血管障害五・八%となっている。

現在は、老人の多くは子や孫等によって私的に扶養されているが、老人の心身上の特性は前述の如くであるところ、他方において老人の個人所得は、年金制度の未熟等を反映し、一般的に低いものとなっている。したがって、世帯負担の実体を考慮せず、老人だけの所得を考えると、衣食住といった老人の基本的なニーズを満たし、また精神的にも豊かな生活を送るのに充分と言えるまでに至っていない。

の為、病気の老人、特に寝たきり老人や痴呆症状の老人を抱える家庭では、その看病の為、物質的精神的に大きな負担となる。

近次、日本でも人口の都市集中や都市の住宅事情等により核家族が増加し、また若い世代では夫婦共稼ぎの家族が多いので親である病気老人をその卑族が、私的に扶養する割合は次第に低下していくことは勿論、むしろこれを嫌う傾向が強くなる。このまま推移すれば、親を扶養する気持ちが薄れていくものとみられる。更に、このような傾向に伴い、高齢者のみの世帯も大幅な増加を示している。老人との同居率は、日本は欧米諸国と比較すると尚相当高いが、今後日本の人口構造の変化を考えれば、同居率もある程度低下するものと思われる。

欧米諸国の場合、別居していても家族との接触は究めて濃密であるといわれるが、日本では別居すれば子供との接触は少なくなる。したがって、このような状況であれば、家族とのふれあいによる老人の健康保持や、老人の扶養、介護の問題に大きな影響を及ぼして行くものと考えられる。

右事情は弁第九号の書類「老人保護の解説」及び同七〇号の昭和五九年八月二一日付「北国新聞」の記事のとおりである。

(二) 高齢者の入院希望者の増加

前述のように病院の老人をその子や孫等が家庭において介護、看護することが困難だとしてこれを嫌う傾向がある外、昭和四八年一月の老人福祉の改正により、特に七〇歳以上の老人の医療費が無料となった事情も加わり、国公立の病院は付添人のない病気老人の入院を嫌う傾向にあることから、その後老人自身は勿論、その家族や民生委員その他地区老人会等からも疾病又は一人暮しの老人の病院入院希望が逐年増加する状況であった。このことは被告人の経営する大手町病院も同様であったのである。

右の高齢者の入院希望者の増加に関する大手町病院の事務局次長兼経理部長であった証人宮下正次の第一審第五回公判における証言(記録一二五丁裏以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) 先程の証言で、三二年、あなたがお勤めになったころは、結核の患者がほとんどだったということでしたね。

答 はい、そうです。

問 その後、患者さんの傾向はどういうふうに変わりしたか。

答 初めは結核が多くて、で、うちの病院は、まあ、いろいろ入院される患者さんの中にも、健康保険ではいられるとか国民保険ではいられるとか、あるいは生活保護ではいられるとかいうんで、そういう患者さんが随分あるんですけれども、まあ、その私が行った当時からも生活保護ではいられる患者さん、それにかかってという患者さんもけっこうおいでたように思うんですけど。

問 その後老人の患者が多くなってきましたか。

答 そうです。まあ、この高齢社会になってきまして、老人の患者さんは年々増えていったように思います。

問 昭和四八年に老人福祉法の改正で、老人医療費が無料になるというようなことがありましたね。

答 そうです。

問 そのころから、どうですか。

答 まあ、あの制度ができてからというのは、よけい、入院を希望される方というのは多くなったと思いますけど。

問 その四八年の制度ができてから、もう、老人の患者が、圧倒的に増えたわけですか。

答 そうですね。

問 じゃあ、もう、四八年から五〇年代にはいってくると、患者さんはほとんど老人ばかりですか。

答 まあ、世間一般的にもそういう患者さんが多くなったと思うんですけれども、うちの場合は特にそれが顕著だったと思います。

(三) 日本の医療制度全般について民間依存型の特色

日本の医療制度の最大の特徴は、自由開業医制にある。特に病院の経営を諸外国に比べると、その特徴が一層はっきりするといわれている。すなわち、米国でも欧州でも、病院の経営が私的な営利の対象となっている例は究めて少なく、ほとんどの病院は、国又は地方団体、あるいは宗教団体が運営している。ところが、日本の場合は七五・六%(昭和四六年時点)の病院が、本件大手町病院のような私的病院であり、しかもこの割合は徐々に増大している。また全体の医師の四八%は診療所の開設者、つまり開業医である。しかも日本の場合、全くの自由放任主義と言ってよく、地域の病院や診療所を組織化する政策的努力はほとんどみられないといてもよい状況である。また被告人の経営する大手町病院は石川県下における老人看護の最も適当にして大規模の病院であったものである。

右の日本医療制度全般についての民間依存型の特色については弁第一〇号の「ジュリストNO五四八「医師の不足と医師の偏在」浅野健輔」のとおりである。

また、被告人の経営する大手町病院が石川県下における老人看護の最も適当にして大規模の病院であったことは石川県保健医協会副会長の証人平松昌司の第一審第九回公判における次の証言(記録二九九丁以下)のとおりである。

問 (弁護人) 大手町病院の老人の患者が多く増えていったということは、、これは、あなたも間接的にお聞きになっておるし、友人としても話を聞いていらっしゃいますね。

答 はい。

問 あなたの病院も内科だから、老人もおみえになるんでしょうけれども、お宅の病院では、老人を入院させるという施設はないわけですか。

答 実は、ありましたんですけれども、給食とかそういう面で、例えば、私らのあれですと、旅館と違いまして、糖尿病には糖尿病の食事、高血圧なら高血圧の食事とか、そういうふうに分けて出さなきゃいかんですし、それが面倒ですんで、うちの家内は、もう、そんなのは作らないと、それからカロリー計算とかいろんなことがありますからね。

問 そういうことで、お宅の病院は、その老人患者を入院させるわけにはいかないもんだから、それで、そういうお宅の病院で診察をして、老人の方で入院をさせる必要があると、そういう場合に、大手町病院の土用下先生のほうへお願いしたことはあるんですか。

答 ええ、それは、もう、多々あります。

問 それはたくさんあるんですか。

答 はい。まあ、ほかの病院にも送りますけれども。

問 ほかの病院にも送るけれども、大手町病院にもかなり送ったと。

答 はい。

問 お宅の病院以外の病院からも、そういう大手町病院を頼んだようなことも聞いておられますか。

答 ええ、それは、まあ、話ですけれども、方々から、例えば官公立病院とかそういうところでも、はじき出されたといいますか、面倒な患者さんは、どちらかというと、まあ、敬遠されますから、そういう患者さんも送られたとか、そういうことも聞いております。

問 お宅のほうで大手町病院の土用下先生のほうへ受け入れをお願いしたら、もちろん、大手町病院の都合もいろいろ勘案されるでしょうけれども、気持ちというか、態勢としては、一応土用下は、受け入れられる場合には快く受入れてくれておりましたですか。

答 ええ、なんとか、まあ、都合していただきました。

問 証人の平松さんは、内科医として老人患者の医療についても知識が多々おありと思いますんでお尋ねしますけれども、やはり、高齢化社会ということで、高齢者の病気にかかっておる率といいますか、そういう患者さんが増えるとか、そういう傾向は社会的にあるというふうに受けとめていらっしゃいますか。

答 ええ、それは、まあ、老人が増えてますし、死ぬ前といいますか、どうしても病気が増えてきますから、だんだん増えてくると追います。

問 老人性の痴呆症も含んで、高齢者のそういう入院の必要な者がどんどん増えてきておると、そういう社会情勢に今現在もあるわけですね。

答 ええ、そうですね。それから、病院は、家庭からみますと非常に環境がよろしいですから、家庭におりましたら充分なことはできませんけど、例えば暖房一つとりましても、病院は全体が暖房してあります。それで、家庭でしたら、どんなにやっておりましても、うち中を暖房しておくというようなことはまずありませんから、そこで、老人が、その寒いところへ出はいりするとかそういうことはあんまりいいことじゃありませんし、私ら、まあ、冬になれば、積極的に入院を勤めるんですけれども、そういう点でも、それから、手が整っていますし、それから設備がありますし、そういういろんな点で私は病院がよろしいと思うんですけれども。

問 また、家庭のほうでは、老人を自分の家庭で賄いきるというそういう家庭は、なかなか、やっぱり減っておるというような傾向におありですか。

答 ええ、もう、それは随分あると思います。

まあ、世の中、世知辛くなりまして、夫婦共稼ぎとかいろいろなことがありますし、それから、子供の受験のためとか、そういういろいろなことで、老人の面倒をみるということがなかなか難しくなっております。

問 そうしますと、先生の実感としても、老人で入院希望の患者というものは、もう、ほんとうに増加してきておると、そういうことがひしひしと感ずるわけですね。

答 ええ、そうです。

問 そういう老人の入院希望の患者が増えておるこういう社会の中におかれまして、国公立というふうな、例えば公の機関でそういう老人患者を受け入れる態勢というのは十分だとお感じですか、それとも、不十分だというふうに感じますか。

答 それは、もう、十分じゃありません。それは、もう、どうしてもはみ出してしまいますし、私らも、希望しても入れさしていただけないことがあります。ほんで、方々電話したりなんかして、困る場合があります。

問 この石川県下におきましても、そういう公的な老人の入院患者を収容する施設というものは、やはり、不十分ですか。

答 ええ、不十分です。それは、こんなことを申し上げてはなんですが、立派なものがいくつかございますけれども、その絶対的な数が足りないんですね。

問 そういう公の病院では、つまり、この世話の焼けるこういう老人の患者、まあ、重症といいますか、あるいはこういう世話の焼ける老人の患者ですね、そういった患者については、付き添いの関係で、入院を受け入れる態勢にあるんでしょうか、ないんでしょうか。

答 いや、例えば、まあ、申し上げにくいんですけれど、官公立とかそういうところでも看護婦一人が四人の患者をみるという態勢を整えておったところでも、ほんとうは十分なことはできませんです。ほんで、重症になったり、手がいるようになれば、あるいはぼけてくるとか、夜中にどこか外でも歩き回ってしまうとか、大きな声を上げるとか、昼寝ておって夜起きるとか、そういういろんな患者さんが来れば、もう、ほとんど退院させられます。

問 今おっしゃったようなそういう世話の焼ける患者さんだと退院させられるというのは、どういう意味なんですか。

答 そういう十分な治療ができませんから、付添いでも付けてくれれば、それは、面倒をみるかもしれません。

問 患者さん個人で付添いを付ければ面倒をみるかもしれないけれども、そういう付添いを付けないもんだから・・・・・・・。

答 ええ、そうすると、看護婦もこまりますし、どちらかというと、もう、はじき出されるという場合が多いんです。ほんで、例えば、その付添いをつけるとなれば、普通、今まででしたら、一日一万円ぐらいいるそうですから、それの負担に耐える家庭がどちらかというと、少ないわけですね。

問 つまり、付添いを付けないもなのだから、一々付添いを付けないんなら出ていただくということで公立病院からはそういった患者さんははじきだされてしまうと。

答 まあ、現に、私、ちょっと、四、五日は前ですけれども、未亡人の家庭で、おばあちゃんがおいでて、おばあちゃんが中気を起こしまして、官公立病院に入院しておったんです。そうしたら、ぼけてきまして、ぼけには治療がないといわれて退院させられたんですね。ところがその未亡人が熱出しまして、風をひいていまして、今の流感にかかったんですね。そして、その病院へ電話したら、病室がないからだめだと、そういう公立の病院からはじき出されるというそういったふうに言われました。それで、まあ、私は幸い、ショートステー制度というものを知っておりましたんで、市役所の方へ電話して聞いてみなさいと、そう言いましたら、市役所へ電話して、そのおばあちゃんを一〇日間だけ預かると、そして、つれていっていただいたと、そういうような状態ですね。

問 今言ったようなのは一例だけども、そういった具合で、要するに、付添いをつけない場合にはそういう公立の病院からはじき出されるというそういう結果になっておると、そういうわけですね。

答 はい。

問 そういった公立のほうでも、実際、経営の実情としては、どうなんですか、赤字なんでしょうか。

答 ええ、それは、もう、大部分の病院が赤字なことはご存じかと思いますけれども、それは、まあ、国家的要請と申しますか、医療費削減という方向に動いておりますから、ですから、その物価に比例した値上げはしてありませんで、それで、どうしても赤字になってきます。それで、公立病院は、実は、あれはそのままなんですね。税金を取っていないんですね。で、私立病院でしたら税金を取られるんです。ですから、もう、僕は、もうすごい苦しい経営だと思いますけれども。

問 あなたがおっしゃりたかったのは、公立のほうでは、税金は取られないでも赤字になっておるぐらいだと。

答 ええ、ほとんどが、もう、赤字ですね。

だから、私的な病院では、税金はおさめて、かつ、そういう患者さんを引き取るとなると、大変経営が苦しくなるのが当たり前だと、こういうことうあなたはおっしゃりたかったわけですね。

問 はい。

答 そうすると、そういう意味では民間に依存しておるということになるんでしょうけれども、ところで、そういう公的な病院では老人の入院患者を入れるためには十分でないというんですけれども、このへんの金沢あたりでは、大手町病院のほかに、そういう受け入れる私的病院はどこかにあるんですか。

答 いや、かっては、大手町病院しかなかったと僕は思います。

問 先生が見た感じでは、大手町病院しかないというふうな感じだった。

答 ええ。これは、部分的な知合いとか顔パス、そういうことでは一部分はあったと思います。一般的にみまして、まず、大手町病院以外、なかったと思います。ほんで、まあ、大手町病院の特色は、だいたい、私らが送りますのも、おむつを替えてくれるんですね。私の患者さんの話でも、おしっこをしたいと言っておってもなかなか看護婦さんが来てくれないと、大便が出てきても、なあむしてくれない、あるいは、そのままにして長い間おかれると、ですけれども、大手町病院でしたら、おむつを替えてくれるということが一番の特色だったと思うんですけども。

問 今、証人がおっしゃったんですけれども、大手町病院ではおむつをちゃんととり替えてくれると、そういうところに大変特色のあった病院であると、こういうことですか。

答 はい、そうです。それからまた、今の付き添いなしで最後まで面倒をみてくれると、そういう病院が、先ず大手町病院だったんですね。

問 そういう病院は大手町病院しかなかったと言っても過言でないぐらいの状況であると。

答 そうですね。一般的に受け入れましてね。

なお、この点については石川県会議員の証人上口昌徳の第一審の第一〇回公判における証言(記録三五一丁裏以下)、医師浅野繁尚の第二審第二回公判における証言(速記録二丁以下)、被告人の第一審第一二回公判における供述(記録四二丁以下)御参照。

(四) 本件犯罪当時における看護婦の絶対不足

本件事件の時期においては、石川県下の看護婦が絶対的に不足の状態で、しかも資格を有する看護婦は、待遇等の面から国公立の病院に勤めることを好み、その為私立病院では、必要な数の看護婦を確保することは大変な状況にあったものである。

右本件当時における看護婦の絶対的不足であったことについて証人平松昌司の証言(記録三〇八丁裏以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) これは一般的な話になりますけれども、看護婦さんというものは不足しておると、その需要を満たすに足りない状況であるという、その点は、そういう現状はあるんですか。

答 はい、まあ、これは、いつか、医師会で、厚生省のお役人をお呼びしてお聞きしたことがあるんですけれども、そのときの質問で、看護婦対策が厚生省にございますかと言いましたときに、それは全然ないというような返事でした。で、石川県でもたくさん看護婦学校がありますし、養成しておりますけれども、まあ、すぐ結婚するとかあるいは都会へ出て行くとか、仕事を辞める方が多いもんで、それを補うに十分なあれは、現在のところ、ないんですね。

問 じゃあ、一般的に、全国的な傾向としても、看護婦不足ということでしょうけれども、そういう老人を扱う病院というのは、そういう看護婦さんの来手というものはおるもんですか、それとも、比較的困難なものなんでしょうか。

答 私の聞きますところでは、くさいし汚いし、面倒なことをしなきゃいかんというわけで、まず、若い看護婦さんは嫌われて、すくないんじゃあないかと思いますけれども、特にそういう評判がありますから、看護人も、どちらかというと、集まらないんじゃあないかと思いますけれどもね。

この点につき大手町病院の総看護婦長であった証人岡本八重子の第一審第六回公判における証言

(記録一八四丁裏以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) 先程あなたがおっしゃられたように、入院したい老人というのは困った患者が多いし、それから、病院としては十分な看護をしていたということだったと思うんですけれども、基礎看護一類の数には足りないということについては、やっぱり、看護婦を増やさなければいけないという気持ちはあったわけですね。

答 一生懸命募集しましたし、潜在看護婦たちを訪ねて一生懸命探し回りました。

問 あなた自身も、潜在看護婦探しに。

答 はい。何日かを費やして、車で一生懸命探し回りました。

問 院長先生たちも探しておりましたか。

答 はい。

問 この老人の患者さんのたくさんいる病院に、若い看護婦さんなんかのなり手が少ないというようなことでもあるんでしょうかないんでしょうか。

答 あります。

問 それは、どんて事情からですか。

答 老人がほとんどなもんで、若い人にはあまりおもしろくないということと、まあ華やかでないということです。

問 そういう意味で、一般的に、こういう老人のいる病院には看護婦が確保しにくいという事情があるんですか。

答 そうです。

なお、大手町病院の病棟婦長であった証人今村ミヨシの原審第二回公判における証言(速記録三丁裏)、特に「ちらっと聞いた話ですけれども、本当に看護婦が基準どおり足りている病院は二、三しかないということを聞いたことがあります」との証言、元石川県厚生部次長で退職後大手町病院の事務長となった証人吉村敞の第一審第四回公判における証言(記録六三丁裏以下)御参照。

しかして被告人は漫然と看護婦の不足を放置してしたものではない。常にこれが獲得に努力していたものである。

この点については、被告人が弁第一〇〇号の陳述書(一二丁以下)で次のように述べているとおりである。

「勿論三〇年も前から看護婦要員の確保に対し頭をなやませており、学卒者を看護婦学院に通院させ一人前に免許取得させ、充足を図るように努めてきました、多い時は二十~三人も学生が在籍していましたが、免許を習得すると郷里へ帰ったり、国公立病院へ変わったり、結婚と理由に退職したりして大きな犠牲(授業料、制服代、交通費、教科書代は病院負担、午前三時間勤務で、六万~七万支給、免許取得御二年間は勤務することに協定していました)を払って養成しているだけの形が毎年続き困って居ました。潜在看護婦の発掘のため、看護協会、県職安、新聞広告や職員の伝手を求めたり、職員に褒賞金を出して看護婦の充足に努力してきました。さりとて市内の他の病院より引き抜きは規定で禁じられており、看護婦の充当のためには全く苦慮いたしました」と。

なおこの点について被告人の第一三回公判における供述(記録四四〇丁以下)、証人宮人正次の証言(八九丁)御参照。

(五) 石川県政における老人福祉対策の遅れ

石川県の調査によると、昭和五六年の県下における六五歳以上の老令人口は一二万〇〇四六名(全人口に占める割合一〇・六%)同五七年における同様老令人口は一二万六四一三名(同上割合一〇・八%)同五八年における同様老令人口は一二万六四七九名(同上割合一一・一%)であり、その内六五歳以上在宅寝たきり老人(以上前者と称する)及び六五歳独り暮らし老人(以下後者と称する)は、昭和五六年は前者一八六二名(六五歳以上割合三―九%)。同五八年は、前者一八一〇名(同上割合一・四%)。後者五、二七七名(同上割合四・二%)であるが、右三ケ年における各老人病棟整備の状況は、県下の金沢赤十字病院、輪島病院、県立高松病院の三ケ所で合計三〇〇床であり、県下の市町村立病院に対する老人病棟設置委託の状況は、昭和五六年、同五六年、同五七年各合計五〇〇床、同五八年合計五二〇床の程度であり、養護老人ホームは五ケ所でその定員合計六〇〇名、特別養護老人ホームは、昭和五八年末で一二ケ所その合計定員一、一〇〇名の程度であることが判明する。

右五六年の六五歳以上在宅寝たきり老人と六五歳以上独り暮らし老人の合計数は、六一四九名、同五七年の同様合計数は、六五六六名、同五八年の同様合計数は、七、〇八七名であるのに対し、同年における県下の公立の病院での老人病棟及び老人病床の設備設置の状況は八〇〇床乃至八二〇床程度であり、また五ケ所の養護老人ホームの入所定員六〇〇名、一二ケ所の特別養護老人ホームの同五八年度末の収容定員数は一、一〇〇名程度であることを考えると、本件詐欺罪の犯行当時における石川県行政当局の老人福祉政策は、相当立ち遅れていたものといわれなければならない。

右については弁第一二号の中村正人作成の調査表、弁第六一号の石川県厚生部民生課又は衛生総務課作成の資料のとおりである。

また、この点に関する証人上口昌徳の証言(記録三五丁以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) あなたも長い間議会におられるわけですが、石川県の老人福祉対策というか、病人の老人に対するいろいろな対策について関心をもたれたことがありますか。

答 あります。

弁護人請求証拠番号13番を示す

問 昭和五九年四月二三日に厚生環境委員会というのがひらかれてそこでこの「昭和五八年度石川県在宅高齢者こころの健康調査(中間報告)について」というものを出したようですが、そのことは知っておられますか。

答 知っております。

問 これによると県下の調査対象が医療機関に入院機関に入院している者及び福祉施設等に入所している者を除いた八六二名について調査した結果、既に病気の経験のある者が八五・五パーセントで七二七人、高血圧とか心臓病が多く、それから調査時に治療中の者が六三・六パーセントで五四一人と、こういうふうなことが書いてあるわけですが、この書いてあることは県が調査したんですから間違いないのでしょうね。

答 間違いございません。

弁護人請求証拠61番を示す

問 これについてはあなたが証明しているものですから、分かっていますね。

答 はい。

問 この一枚目の上欄の記載によると、そろそろ石川県も高齢者社会になりつつあるということがよく分かるようですが、この一枚目の2項のアに五三年から五九年までの各年別の「六五歳以上在宅ねたきり老人」というのが書いてあるのですが、これを見ると毎年こういう老人は一八〇〇名ほどおるということが分かりますね。

答 はい。

問 次にイのほうの「ひとり暮らし老人」、これも同期間内の各年毎のひとり暮らし老人が男女合わせて五五年以降は毎年四三〇〇人から五千二、三百人いるということがわかりますね。

答 はい。

問 この二枚目へいきますと、県下の病院とかその他の医療機関の数字が出ていますが、これによると老人病棟をもっている病院は金沢赤十字病院、輪島病院、県立高松病院で、昭和四九年から昭和五九年までの間病棟数が全部で三〇〇床しかない。それから4項に老人病床設置委託状況の推移ということが出ていますが、これは県下の市町村立病院に老人病床をつくることを委託しているようですが、五四年から五七年までは合計五〇〇床、五八年は五二〇床、五九年が五四〇床になっておるのですが、これも分かりますね。

答 わかります。

問 次に二枚目に養護老人ホームのことが書いてあるのですが、この中で特別養護老人ホーム一二か所で、その定員合計が一一一〇名となっていますが、この特別養護老人ホームというのは、病人の老人も収容するのですか。

答 原則として六五歳以上の自分の体を自分で構えない老人を収容いたします。

問 その上に養護老人ホームというのがあるのですが、これは病人を入れることが可能なのですか。

答 これは自分の身の回りのことを原則としてできる老人の方々をお入れするわけであります。

問 先ほど見ていただいた一枚目の2項イの「ひとり暮らし老人」というものの内半数以上が病気であるかあるいはかつて病気をやっているということは先ほどの弁護人請求証拠番号13番の厚4という。ぺージの「調査結果の概要」というところで分かるわけですが、こういう人たちは生活機能が低下しているように感ずるのですが、あなたのいろいろな体験でみて一体どんなものですか。

答 すくなくとも七〇歳前後の老人の皆さん方は何か既往症をお持ちで、できうればそういう病院にに入りたい、あるいは施設に入りたいという願いが非常に強いような実感を私らの政治生活の中で得ております。

なお、この点については証人吉村敞の証言(記録七五丁裏以下)

御参照。

3 本件事件に至るまでの大手町病院の経緯は次のとおりである。

(一) 被告人の経営していた大手町病院は被告人の岳父である井村重雄が開設した個人病院であったが、被告人は昭和二九年四月に同病院の管理者(病院長)になり、同四七年開設者(経営者)兼管理者となったものである。

右病院で井村重雄が開設者であった当時の昭和四三年二月に基準看護二類の承認を受け、いわゆる完全看護の病院となったのである。

右基準看護二類の承認を得た当時は一般病棟八八床、結核病棟八五床であり、また右の基準にあう看護婦も存在していたのである。

右の事実については、被告人の陳述書(一丁以下)宮下正次の司法警察員に対する供述調書(記録九六一八丁裏以下)、岡本八重子の検察官に対する供述調書(記録九四〇九丁裏)の「当時の実情として若干看護婦が不足していたもののほぼ二類の要件を満たしていた筈でその後の県保健課の調書等の際も特に看護婦数をごまかして計上したという記憶もありません」との供述御参照。

(二) ところが、その後前述のとおり、老齢化に伴って大手町病院も老人患者が増加するに至り特に昭和四八年一月の老人福祉法の改正により老人患者は急増するに至ったのである。そのため入院患者は常に四〇〇名前後を数えるようになったのである。特に被告人は医師として、寝たきり老人、ぼけ老人といわれる患者が、多くの病院、特に国立、公立の病院できらわれている実情を憂慮し、これを積極的に収容して看護にあたることを行ったため、多くの老人が完全看護の老人病院として入院することになったのである。

このようにして老人患者の数が増えたにもかかわらず、前述の事実によって右基準にあった看護婦を得ることが困難であった。そこで被告人は正看護婦、準看護婦の不足を補うため、通称「おばさん」と称する介護人を看護助手として採用し、看護にあたったのである。しかして被告人としては、これらの看護助手の看護で正規の看護の不足を補い得るものと考えていたのである。

しかして、その昭和五三年頃の看護婦の実情は入院患者約四〇〇名に対して正看護婦一二名、準看護婦二八名、見習看護婦三六名や、通称「おばさん」と称する介護人二七名など等看護助手は六三名であったのである。

右事実については、被告人の陳述書(一丁ないし三丁)御参照。

特に大手町病院に患者が増加した事情は前述2の(二)のとおりである。

また当時の看護婦の数については岡本八重子の証言(記録一七七丁)、吉村敞の証言(記録六二丁)御参照。

(三) 昭和五三年三月看護基準二類が廃止されることになったか。

右基準廃止の事情は行政庁が従前各病院で行われていた完全看護(基準看護)をより充実させようとすることから行なわれたものである。

すなわち、従前基準二類であったものを基準一類にさせようとするものであったのである。しかして、基準一類とは基準二類が患者五人に対して看護婦一人の割合であったものが患者四人に看護婦一人の割合とするものである。

右の点に関する吉村敞の証言(記録七丁以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) 証人は厚生部次長を約二年間なさっておりましたね。

答 はい、そうです。

問 その職責上、基準看護制度というものはご承知でしたか。

答 ええ、おぼろげながら知っておったと思います。

問 どのように理解しておりましたか。

答 まあ、基準看護というのは、入院患者に対してより適切な看護がまあ、行き届いた看護が行われるために、制度上作られたものであるということは理解はしておりました。

問 その結果、一定の要件を満たせば基準看護料というものが加算されるんだということは知っておりましたか。

答 まあ、おぼろげながら知っておったと思いますけれども、そのところは、あまり定かではありません。

問 証人が厚生部次長に在職中、いわゆる薬価基準の改正によって、点数の改正などがございましたか。

答 ええ、あったと思います。

問 その際、証人のほうで決裁をしておりますか。

答 まあ、厚生部次長といいますのは、だから、その決裁をしたかどうかということについては、ちょっと、記憶があまりはっきりしておりません。

問 いずれにしても、厚生省からその種の通達が合った場合には、証人の手元にもその書類は回ってきますね。

答 ええ、全部回ってくるとは限りません。

問 記憶は明らかじゃあありませんか。

答 あまり明らかではありません。

問 昭和五〇年五月に厚生省で開催された衛生主管部長会議に出席したことがありますか。

答 あります。

問 これは、厚生部次長の立場で出席したんでしょうか。

答 いや、部長の代理です。

問 その際、厚生省側から、基準看護二類を廃止するという問題について、なにか通達はありませんでしたか。

答 その点につきましては、各課をあいさつかたがた回ったときに、たしか、渡部とかと言っておりましたけれども、看護課長からそういったことを聞きました。

問 これは厚生省の看護課長ですね。

答 そうです。

問 具体的にはどのような話だったでしょうか。

答 まあ、二類という制度自身がまだ患者にたいする看護が十分とはいえないと、それよりいい看護態勢を整えるために二類というものを廃止して一類にしたいということを厚生部としては考えておるんだということをききました。

被告人の第一一回公判における検察官の問いに対する供述は「基準看護も私の場合は二類であったんです。二類が最低のものやったんです。しかし二類の最低のものでも普通病棟はみな一類にしろということになったもんで、まあ、やむを得ず、またやめるわけにもいかないんでそちらに移行したということなんです」(記録四〇六庁裏)というものである。

従って行政上の監督がそれほど厳しかったものではない。

この点に関する石川県厚生部保健課庶務係長の亀田欣一郎の検察官に対する供述書(記録九九五三丁以下)の供述は次のとおりである。

「昭和五三年四月一三日に、中と、二人で、大手町病院に行き調査をしたのです。

病院側から、

看護婦勤務割表

申し送り簿

看護日誌

免許写し

等の書類の提出を求め、更に、入院患者数を調査し、その上で要件の有無を検討したのです。

この復命書の2ホ病棟看護婦等の看護要員数欄の数字が調査結果になります。

なお、基準看護一類の場合、入院患者数に看護婦数割合は四対一で、原則はその内正看五、准看三、助手二の割合ですが、運用上、「当分の間」四対四+α対二の割合で、良いことになっており、それを基に要員数を算出しております。

調査の結果、配置数は、それぞれ十分に要員数を上回っておりました。

「当分の間」というのは、現在でも生きており、私の方ではこの割合で調査している筈です。

復命書の末尾に、看護担当者については、基準数に達しており、看護業務についても、概ね、良好で四月一日より一類看護を承認して差し支えないと思料される。旨、これは、中の筆跡ですが調査結果を明記しました。

病院から、提出された看護婦数を把握するための書類が、全て虚偽のものであるとは夢にも思いませんでした。

ここまで、完壁に虚偽の書類を準備されたら全く調査の方法がなく、昼に夜、看護婦の点呼をするしか正確な数は、把握出来ないように思われます。」と。

右の供述からは何等実体的調査が行われていないことが明らかである。

また、行政上の罰則規則もないものである。行政法規の違反については、その違反について行政法規上の罰則を設けているのが通常であると考える。ところが本件看護基準の承認とその看護料の受給については法規違反に関する罰則規定が存在しない。それはこの規定そのものが行政指導上のものでこれを厳しく取り締まるのは妥協でないということからだと考える。本件はたまたま被告人所得脱税違反があったため刑法上の詐欺として立件されたものであるが、立法上はこれが違反の看護料受給に対する行政処分の問題は別として、詐欺というようなことは考えられていなかったのではないかと思えるものである。

4 本件基準看護一類の申請が止むを得なかった事情は次のとおりである。

(一) 以上のとおり、行政庁が基準二類をなくしたということは完全看護(基準看護)を充実するということのあったのであり、病院においての基準一類看護を行うことが望まれたという行政上の処置である。

決して基準二類のものにたいして基準看護料の支払いを止めるという財政的ものではなかったと考える。したがって、行政庁としては従前完全看護(基準看護)の病院に対して、従前基準二類のものを基準一類に申請することを望んでいたものであると考える。かかる事情のもとにおいて従前基準二類の病院であった大手町病院経営者(開設者)であった被告人が右基準看護にあう看護婦が獲得できなかったからといって完全看護(基準看護)をとりやめるなどということはできるものではないのである。すなわち完全看護の病院からそうでない病院になるということなど通常としてはできるものではないと考える。これは単に病院の経営(開設者)としての被告人の名誉のためだけでなく、多くの患者の不安を防ぐためにも当然のところであったと考えるものである。

(二) また、看護基準二類の廃止に伴い完全看護(基準看護)をなくすということは多くの患者に退院を求めたり付き添いを要することになる結果となるがこれは患者にとって経済的負担に耐えるものではなかったのである。

この点については、被告人がその陳述書(第六項)で、「無類は、現在の病院の状態(経営的、金銭的でなく、患者本位です。)から出来ず、看護の本当に必要な、手のかかる患者は退院させることは不可能であり、かえって私の病院は基準看護だから、面倒な看護は出来るだろうと、市内の他の病院、または国公立病院から送られて来ました。基準看護でないから面倒を見られない、退院しろ、駄目だ或いは付添いをつけろとは、私には人道上とても出来ませんでした。」と述べているところである。

この点に関し被告人が第一審の第一二回の公判で検察官の問いに対して答えているところは次とおりである。(記録四〇丁)。

「今考えてみると、これは規則に違反したことをやったとおもって反省はしておりますが、しかしそのときはやむを得なかったと思っております。ということは今それを全然廃止したということになりますと付添いも付けなきゃならんことになりますし、また今までおったいわゆる介護人とかそういう者もある程度やっぱり整理してしまわなきゃならんし、患者の選択というものもやはり考えにゃならんということになってくると大変な社会的問題じゃないかと、こういう具合に思いました。」と。

岡本八重子の証言(記録一七九丁以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) その基準看護一類を受けないと無類になってしまうと、こういう事態のときに、総婦長のあなたとしては、そういうことになることは困ったと思われましたか。

答 はい。患者さんや患者さんの家族が大変だろうと思いました、付き添いが必要になると。

問 患者さんや患者さんの家族が、そういう基準看護なしの無類になると困ると、こういうふうにあなたは思われたわけですか。

答 はい。

問 それは、どうしてそんなふうに思われたわけですか。

答 付添いすることができなくて当院においでた方がほとんどなものですから、基準看護してあげられないということになりますと、おのずから付添いが必要になりますので、そう思いました。

問 基準看護なし、無類だということは、いわゆる完全看護じゃあないということになるわけですね。

答 はい。

問 そういう態勢だと、患者さんにやっぱり自費で付添いをつけていただくということになるわけですか。

答 はい。

問 そうなると患者さんが困ると、こういうふうにあなたは思われたということですか。

答 はい。

問 その病院に入って来る方々や家族などから、やぱりここは基準看護ですかというようなことを聞かれることはあるんですか。

答 一番初めに、付添いいなくても全部していただけますかときかれます。

問 それは、完全看護の病院ですかという意味なんですか。

答 そうです。

問 基準看護一類が受けられなくて無類ということになると、患者さんや家族が困るんだということを、あなたは今お話しされたけれども、病院にお勤めの看護婦さんや病院に勤めておる方々は、そういうことになりますと、どういうふうな感じを受けられそうですか。

答 やっぱり、みんな一緒な感じだと思います。

問 どういうことですか。

答 本人や家族が付添いを付けるのを大変だなと感じます。

問 ということになると、気の毒だということで、困るなというふうに看護婦さんたちも思うということですか。

答 そうです。

問 先程あなたが言われたように、とにかく困った老人が来たら、みんなで受け入れるという、院長さんや看護婦さん、病院のみんなの態勢から考えたら、基準看護がなしで無類になるということは、患者さんやみんなのために大変困ると、こういうことですか。

答 そうです。

(二) さらに考慮すべきことは完全看護(基準看護)だからこそ看護婦が老人患者すなわち寝たきり老人やぼけ老人の看護ができたのである。すなわち完全看護という看護人の自負がこれら老人の下の世話までできるのであり、また、その自負は完全看護という制度から生ずるものであると考える。

この点については、被告人がその陳述書(第六項)で、「看護婦も基準看護でないからそれ程迄私達はサービス看護が必要ではないとの心の持ち方もおのずと変わり、そんなやっかいな患者の退院をせまるでありましょう」と述べているところである。

この点に関する被告人の第一二回公判における検察官の問に対する供述は次のとおりである(記録四〇八丁裏)

「看護婦さんにしても基準看護が許可になっておるからまあ、それだけの看護をやはりして手厚い看護をしなきゃならんということですけれども、基準看護でなくなったら、おのずから、基準看護でないからそういうようなことの手厚い看護といったら語弊がありますけれどもそれほどまでにせんでもいいんじゃないかと、こういうふうに皆さんが思ってその点がなかなかうまくいかなかったんじゃないかと思います。」と。

また被告人は検察官に対する昭和五九年五月一九日付供述調書(記録一一一一四丁裏)でも「看護婦自体も基準看護の承認があれば、それなりに入院患者の世話はするでしょうが、無類になれば、それを理由にして結局なおざりな世話しかしなくなるのではないかと懸念させられた」と述べているところである。

(四) また基準にあった正看護婦を得ることができなかったことも前述3の(四)のとおりである。

(五) 弁護人は病人の治療というものは、看護基準にあわなければやめてしまえというものではないと考える。

規則的にやかましい国立や公立の病院のように、基準にあわなければ入院させなかったり退院させてしまったりする治療、或いは寝たきり老人やぼけ老人のようにやっかいな病人を入院させなかったり退院させてしまう治療と、被告人のような不備は不備としてこれに対する対策をたてて多くの老人患者の治療にあたってきた被告人の治療と果たしてどちらが社会的に妥当であったのであろうか。

なお、本件を契機として、石川県の老人福祉対策が相当向上改善されたことは本件基準看護一類の申請が止むをえなかったとの間接的な証拠になるものと考える。

すなわち、弁第一二号の中村正人の調査表、弁第六一号の石川県厚生部民生課又は衛生総務課の作成に係る資料によると、同五九年度の新規事業として、石川県が在宅寝たきり老人、若しくは重症ボケ老人の介護者に対し月額六〇〇〇円の介護慰労金を支給する制度を新設して、その資金として、七二〇〇万円の予算を計上して実施することになったのである。

また原審における弁護人請求証拠番号によれば老人保健法による特別許可老人病院については、特患者収容管理科に一日につき二〇点というのが認められ、それが都道府県知事の承認を得て別に厚生大臣が定める基準による介護を行った場合は六〇点の加算がなされるになったのであり、右厚生大臣の基準というのは患者六人に一人る正看護婦または準看護婦と患者八人につき一人の介護がいればよいというのである。これは被告人が大手町病院で基準看護一類承認のもとに行った看護の止む得なかったことの間接的証拠となるものである。この点につき、原審における被告人の第三回公判における供述(速記録二三丁以下)、敬愛病院の事務長である証人蓑谷郁夫の原審第二回公判における証言(速記録二丁裏以下)御参照

5 本件看護の実情

本件被告人の大手町病院における治療は老人患者の看護ということからみれば正看護婦や準看護婦でなく、通称「おばさん」といわれる看護助手による介護でもって、正看護婦の不足を補って充分な看護がきたものである。むしろ、このような人の看護であったからこそ充分な看護ができたものであるとさえいえるものである。

この点については被告人が、前述の陳述書(一三丁裏以下)で次のとおり述べているところである。

「老人痴呆、寝たきり老人は、精神的知能低下が著しく、その精神的な症状は、自分の気持ちを受け入れられ、安心する事を求めている。思うようにならない事に対して、我慢する力が弱い。

「苦」を回避しようとする。環境の変化に対して敏感である。周囲の実情を敏感にキャッチし微妙に反応する。プライベートが傷つきやすい。自分のペースを固守しようとする。なんでも良いから「やりとげたい」という要求をもつ。生きたいという願望がある。不自由に苦しんでいる。この様に色々な症状があります。重要なことは受容的な態度で接し、患者の言動の意味を理解するように努める。ぼけ老人も人として尊重することがであります。

看護介護にあたっては、相手のペースに合わせる介護、適度な刺激を与え孤立させない。規則正しい日課は必要であるが無理に押しつけない。柔軟な対応に注意し、身の回り、環境を清潔にし、体を清潔に清拭することが大切であります。寝たきり患者では、衣類の着脱、食事の介助、床ずれの防止、体位変換、全身清拭、入浴の世話、リハビリに連れて行く、洗顔、洗髪、ひげや爪切り、糞尿の世話、オムツ交換、妄想、興奮、不眠、不潔行為、やたらに歩き廻る等に対する監視介護が必要であり、更には床ずれ、心不全、尿路感染症、老人性肺炎等も併発する為充分な看護が必要ですが、これらの大方の事は看護助手(介護人)で充分に目的が達成されると思っています。特に若い看護婦ではとても気付かない老人の精神的な悩み等に対し、きめ細かい配慮はかえって年配の看護婦助手の方が適当でないかと思います。

とに角、基準看護病院である故に費用患者負担の付添婦をつけず、病院で全部責任をもって看護介護せねばならぬと言う事が私の信条でした。」と。

また証人岡本八重子の証言(記録一七六丁以下)は次のとおりである。

問 (弁護人) その基準看護一類の要件を満たす正看、准看が足りなかったことはともかくとしまして、実質的に、その老人の患者さんの世話をいいかげんにしたと、そんなことはありますか。

答 そんなことはないつもりです。

問 それは、先程あなたが言われた、看護助手やみんなの協力で、老人の患者さんの看護、介助に支障のないように、みんなで協力してきたということですか。

答 はい。とても忙しゅうございましたけれども、誠心誠意しました。

問 患者さんやその家族等から、看護婦さんが足りないから、十分な看護を受けられないという不満や苦情などをあなた自身が聞いたことはありますか。

答 ありません。

問 では、あなたの見た感じでは、一応患者さんや家族が満足いくようなことを自分たちは一生懸命していると、そういうつもりだったんですか。

答 はい。

問 それは、総婦長さんとしても、そういうことは一応自身を持っていえるわけですね。

答 はい。

問 院長である土用下さんも、同様に私たちの働きを認めてくださったとおもいます。

大手町病院の看護助手であった証人荒川敦子の第一審第八回公判における証言(記録二二八丁裏以下)は次のとおりである。

問 あなたが大手町病院に勤めておられた期間をずっとみられまして、大手町病院の患者さんというとお年寄りが多いんですか。

答 はい、そうです。

問 老人が圧倒的に多いんですか。

答 はい。

問 老人の患者さんというのは、病気の状態というか、どんな患者さんが多いんでしょうか。

答 寝たきりの方とかですね。

問 いわゆる寝たきり老人ですか。

答 はい。それから老人痴呆症の徘徊する人。

問 つまりボケ老人といった方ですか。

答 はい、そうです。

問 今、徘徊とか言われましたが、そういった老人の方には、中には、夜徘徊するような人もおるわけですか。

答 はい。

問 それから老人の患者さんだからいろいろ変わったことをされる方もおるわけですか。

答 はい、そうです。

問 例えばどんなふうなことが大変世話のやけることなんですか。

答 例えば、若い時からいろんな手先の仕事をしておった人なんかは、着物や寝具を破ってしまったり、それから食べたりします。

問 では、オムツなんかも破ったりするんですか。

答 はい、そうです。

問 大便なんかを食べたりする人なんかもおるんですか。

答 はい、そんな場合もございます。

問 そんな方々をいろいろとあなた方は介護したりしていたわけですね。

答 はい、そうです。

問 あなた方看護助手の仕事というとどんなようなことをするわけですか。

答 オムツの交換が主な仕事なんですけれども、寝具の交換とか着ている寝衣の交換とか、それから体を拭くいわゆる清拭もします。

問 食事のほうのお世話はどうなんですか。

答 それもします。

問 それは食べさせたり、食べたあとの後始末もするんですか。

答 はい。

問 それからリハビリなんかのときにも世話をするんですか。

答 はい。リハビリに行けるように腰に綿でできたベルトを巻いてズボンはかせたりして、リハビリのような服装をさせて連れていってあげたりとか、そんなことをします。

問 そうすると身の回りの世話その他のいろんなこと合切をやると。

答 はい、そうです。

問 あなた方看護助手というのは普段はどこかの部屋にいるわけですか、それともどこかの病室にいるわけですか。

答 勤務の態勢としては病室にいることになっています。

問 患者さんは大部屋が多いんですか。

答 大部屋が多いです。

問 そうするとそういう大部屋にあなた方がいるわけですね。

答 はい、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしますけれども。一か所にはおりませんけれども。やはり見て歩いたすることが必要なものですから。

問 必要によってはナース室から呼ばれることもあるわけですか。

答 はい、あります。

問 それはどういうふうなときにどういう形でよばれるんですか。

答 ナースコールがあったりとか、それから何かしてほしいと言われたりしたときには、すぐに行きます。

問 先ほどオムツ交換なんかも仕事の中の大きい部分を占めるというお話があったんですが、オムツ交換は毎日いつごろといつごろされるんですか。

答 午前中は朝の四時からと九時から、午後は二時からと七時半からです。

また、そのほかに見て回ったときに換えてあげたほうがいいと思う方については換えてあげたり、また自分で「換えてください」とおっしゃる方には換えてあげたりしております。

問 患者さんに買い物等も頼まれたりすることもあるんですか。

答 はい。

問 当直というのは、どういう時間からどういうふうに待機などしておるわけですか。

答 一応五時半で日勤が終わりますので、それからずっとあくる日の九時までおります。

問 そういう夜中に待機しているというか、病院の中に当直している看護助手は何人ぐらいいるんでしょうか。

答 看護助手は五人です。

問 それはどんなことのためにいるわけなんですかね。

答 オムツを換えるのは大体一〇時で終わって、それから部屋であしたの朝のために休みます。

問 でも何か夜中に火事とか変わったことがあれば介抱できなきゃいかんから、それで待機しているわけですか。

答 そうです。

問 そういった老人の患者さんの精神状態というか気持、そういったものはどんな方が多いですかね。不安定な方が多いですか。

答 はい。

問 あなた方看護助手の方から見ると、お年寄りの患者さんというのはどんなふうに映るといいますか、感じておるわけですか。やっぱりお気の毒な方だと思って接しているんですか。

答 はい。気の毒なというのもありますし、おうちの方から邪魔にされたような形で入ってこられたような方がとっても多いものですから、最初は可愛そうだなという気持ちと、それからだんだん愛情が移っていって、なんかかわいいなというようなそんな気持ちでいつも接しています。

問 あなた方はそんな気持ちにまでなっておると。

答 はい、毎日接しておればなります。

問 あなた方看護助手の方が、そういう老人の患者さんをかわいいと思って愛情をもって接しておると、患者さんのほうもあなた方に対しては大変信頼されますね。

答 はい。家の方以上じゃないかと思います。

なお、看護婦の数は昭和五六年一〇月頃は正看護婦一四名、准看護婦一七名、見習い看護婦四六名といわゆる「おばさん」三六名を入れて看護助手七二名で合計一〇三名である。岡本八重子の証言(記録一七七丁裏)吉村敞の証言(記録六七丁裏)御参照。

6 しかして、本件事件の記録をみると原審判決や第一審判決並びに公判における検察官の論告答弁書のうち、本件看護基準一類の申請は止むを得ないことではないのではなかったという考え方があるので、これについて弁護人らの意見を述べることとする。その第一は、基準看護類として受給を受けなくても利益があったのであるから完全看護ができたのではないか、ということである。

その二つは、本件基準看護一類の申請は敬愛病院建築費借入金返済の為ではなかったのかということである。

(一) 被告人の大手町病院の経営については大きな収入があったことは事実である。判決によっても昭和五六年の実際総所得金額が五億七七〇一万円であるのに現実の納税額は七一〇二万円であるから差引五億〇五九九万円の収入があり、昭和五七年の実際の総所得額が七億九五九九万円であるのに現実納税額は一億六八五万円であるから差引六億七九一四万円の収入があったということに対して、昭和五六年一二月から昭和五八年九月頃まで基準看護料の給付が石川県社会保険診療報酬支払基金に対するもの一億一六〇六万円、石川県国民健康保険団体連合会に対するもの一億四四九二万円であったというのであるからその額からみて収入を看護料に廻せば基準看護一類の申請などしないですんだのではないかという考え方もあり得るかもしれない。

しかし、それは結果論であり、たまたまそういう結果になったのは被告人が大手町病院で正規の病床以上の多くの患者を収容しこれに対して保険機関から基本的看護料や基準看護料を受領したうえ正しい所得税の申告をしなかったからなのである。

正しく行えば患者数も少なくなり多額の税金を支払わなければならぬからそのようなことにはならないのである。

それは次の事実により明らかである。すなわち、本件事件発覚後の昭和五九年二月二九日を以て大手町病院は廃止となり、同月医療法人清和会が設立され、旧大町病院は同法人経営の丸の内病院として経営が行われることになった。しかして右丸の内病院は基準看護が無類の病院として認可どおりの病床の患者に対し、大手町病院時代と同様の看護を行っているが、その経営は欠損経営ということなのである。

これは現在の丸の内病院の事務長である安部健吉の第一審の第七回公判における次の証言(記録二〇二丁裏以下)のとおりである。

問 (弁護人) 今年の三月一日から、旧大手町病院が医療法人社団清和会の経営になったね。

答 (うなずく)

問 その理事長が高島というお医者さん。

答 はい。

問 で、その人が同時に、旧大手町-現在の丸の内病院-の院長になっておるわけですね。

答 はい。

問 清和会が病院を経営するにしたって、お医者さんとか看護婦さんの数がどういうふうになっているか、その点をお聞きしたいんですが、医療法人清和会が経営することになって、まず、病床数をどの程度にしたの。

答 許可になりましたのが二七〇床ということでございます。

問 お医者さんの数は・・・・。

答 お医者さんは、常勤六人で非常勤が四人、それに宿直専門の医者が三人と、こういう形でございます。

問 常勤、非常勤及び宿直専門の三人を加えて一三人。

答 一三人でございます。

問 看護婦の数は・・・・。

答 その当時は、六一人だったと思いますけれども。

問 それは、正看護婦、准看護婦合わせて六一人ということですか。

答 はい。その中には、非常勤、いわゆるパートというもの含まれております。

問 それから、いわゆる看護婦助手というものは何名おりますか。

答 看護助手は、その当時、六十四、五人おりましたんですが、その看護助手というのは、おむつの交換をしたり、食事を食べさせたりというのは、おむつの交換をしたり、食事を食べさせたりといった患者さんの世話をする、俗に「おばさん」といわれている人ですね、そういう人たちと、それから、免許を持っていない見習看護婦、それと、半日勤務して学校へ行くという学生でございます。

問 見習いとか学生、それから俗にいう「おばさん」と称する人たちも含めて、何名になりますか。

答 六十四、五人いたんじゃないかと思います。

問 そうすると、看護婦と看護助手を合わせて、百二十四、五名。

答 はい、そうでございます。

問 これだけの医者、看護婦、看護助手等の人員を抱えると、人件費は相当かかりますね。

答 そうでございます。かかります。

問 あなたのほうの清和会で、今年の一一月二六日に、中間決算の理事会を開いたことがありますね。

答 はい、ございます。

問 そのときに、その六か月間でどれだけの赤字があったか、黒字になったか、記憶ありますか。

答 ございます。

問 医療上の赤字は幾ら?

答 大体二、〇〇〇万円ぐらいの赤字で、繰越しが二百二、三十万ありましたですから、合わせて二千二百二、三十万でございます。

問 六か月間を通じて平均して、ひと月当たり・・・。

答 大体三四〇万ぐらいの赤字になるとおもいます。

問 医療法人の経営になる際に、基準看護の申請をしましたか。

答 しておりません。

問 それから、基準給食、基準寝具は申請しましたか。

答 それは、一応は申請しましたけれど、実績の期間が必要だということでございまして、みつき経過した後において申請いたしております。

問 基準給食はいつ承認になりましたか。

答 基準給食は一〇月一日でございます。

問 今年の一〇月一日?

答 はい。

問 基準寝具は?

答 九月一日でございます。

問 将来、基準看護の申請をして承認を受ける考えはありますか。

答 まあ、私個人としては、是非またお願いしたいと思っております。

問 清和会の決算期というのは、いつからいつまでですか

答 四月一日から翌年三月三一日まででございます。

問 一年決算。

答 はい。

問 先程お聞きしましたように、医者とか看護婦、看護助手なんかの数が相当あるが、人件費がそうとういるんじゃあないかと思いますが、この間の理事会の際に説明された中間決算書によって判断されますと、人件費の経費に占める割合というものはどの程度になっておるか、話題になったはずだわね。

答 はい、そうでございます。

問 何十%くらいですか。

答 大体六割強、六割五分以上になっていると思います。

問 人件費が経費の約六五%以上になっていると。

答 はい、以上です。

問 この赤字は、大体いつごろまでたてば解消されるという見通しですか。

答 これは、まあ許可ベット数が増えれば解消は早いと思いますが、結局、許可ベット数を増やすためには看護婦の数をそれに見合った数に増やさなければなりませんので、その確保がなかなか難しいわけでして、医者は、現在の数でも、ベット数が若干増えても差し支えない数でございますが、看護婦の必要数を充足することが前提となってまいります。

問 (検察官) 板に二七〇床で基準看護一類を取った場合に、ざっと試算しますと、二七〇に一、〇二〇を掛けて、一日二七万五四〇〇円、そして、ひと月を三〇日として計算すれば、ひと月約八二六万円が基準看護料としてはいるという計算になるんですけど、その基準看護一類の基準看護料をもらわなくても、基準給食、基準寝具のほうだけでカバーできるんですね。

答 今のところ、銀行からの借金がありますし、そういったものの返済利息もありますし、まあ、そのほか・・・。

問 だけど、月々三四〇万という赤字の中には、銀行ち対する返済分も一応含まれているんでしょう。

答 一応はいっていますけど、まあ、単純に計算しますとそういうことになりますけれども、経営的な面から考えますと、建物償却とかいろいろな機械器具、什器備品、そういったものを償却しますと、一応、五、〇〇〇万ほど年間に償却費が必要なわけなんです。償却をしましたあとではなおかつ黒字にするためには、今の状態ではやっていかれないということでございます。

(二) 本件基準看護一類の申請は決して敬愛病院建設のための借入金を返済するということのためではない。

この点につき被告人の司法警察員に対する昭和五九年四月一七日供述調査の記載(記録一〇八八一以下)や同年四月一八日供述調書の記載(記録一〇八八八丁以下)には「基準看護をやめるわけにはいかなかったのは、新病院建築の資金が必要であり、増収に結びつくことはどんなことでもしなければならないとおもっていた。」旨の供述記載があるが、これは捜査官が資金必要と基準看護加算金の受給とを結びつけた自己の考えを被告人の供述としておしつけ調書化されたに過ぎないものと理解できるものである。

警察が右のような誤った供述記録をした痕跡は、種々指摘できるが、次の一点を示すだけでも充分であろう。すなわち被告人の前記昭和五九年四月一八日供述調査の記載(記録一〇八八七丁裏)の中に、「自分のやってきたことは、脱税王の詐欺師であった・・・・自分には事業を拡大することが夢であった伝々」という部分があるが、被告人が任意取調べにおいて、自らを「脱税王の詐欺師」等と供述するであろうか。被告人の言いもしない「脱税王の詐欺師と記載したこと一つとりあげてみても、如何に、警察が脱税事件の動機のみにとらわれて、本件詐欺事件の真相を発見しようとしなかったかが、窺われるのである。

また、被告人の検察官に対する昭和五九年五月一九日付供述調書には「目先の例えば新病院の建設資金や病院の設備等の資金の調達といった観点からも目の前の加算金を無視することはできなかったわけです」(記録一一〇九丁裏)との供述もあるが、これも前司法警察員に対する供述と同様検察官の考えをおしつけた結果であり、これに対しては、同調書の末尾において被告人が同調書の訂正を申し立てて「不正受給の問題と敬愛病院の建設資金調達や返済とは直接関係ありません。脱税の方の動機になるにすぎません」と述べているところである。

第二点 原審判決が、弁護人の被告人には違法の認識又は違法の認識の可能性がなかったとする主張につきなした判断は判決に影響を及ぼすべき法令の違反と重大な事実誤認があり原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるものである。

一 違法の認識についての原審判決の判断

原審判決は弁護人の被告人には違法の認識又は違法の認識の可能性がなかったとの主張に対し次の判断をしている。

「論旨は、要するに、故意の成立には違法性の意識ないしその可能性が必要であるとの見解のもとに、原判示第二の各詐欺の事犯について、被告人には違法性の意識がなく、また、被告人はこれが法律上許されたものであると誤解していたものであって、しかもその誤信につき相当な理由があり、何人に対しても違法の意識を期待し得ない場合であるから、故意を欠くのに、原判決が、故意の成立には違法性の意識を要しないと解し、また、被告人には違法性の意識があったものと認定したのは不当である、というのであり、原判決は、右の点で事実を誤認し、ないしは法令の適用を誤り、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである旨の主張と解される

しかしながら、原審記録に基づき所論について調査し検討すれば、この点に関して原判決が「詐欺罪の犯意について」と題する項において説示しているところは、当裁判所としても首肯し得るものである。すなわち、これを要約すると、関係各証拠によれば、被告人は、永年の経験を有する開業医であり、健康保険法及び国民健康保険法における基準看護の制度について十分な知識を有し、自己の経営する大手町病院における看護婦数が右基準に到底達しないことを熟知していながら、その事務職員に指示し、もと従業員であった看護婦に対価を支払ってその名義を借りる等したうえ、架空の看護婦が勤務しているかのように装って虚偽の書類を作成し、原判示のとおり、基準看護料を不正受領した事実が認められるのであって、そのような事実関係のみからしても、被告人が違法性の意識を有していたものであることは優に推認できるのみならず、原判決に挙示の被告人の関係各供述調書、吉村敞の原審証言、岡本八重子の検察官に対する昭和五九年五月二四日付供述調書等によれば、被告人が、違法であることを了解しつつ前記のような操作を行い、各詐欺を行ったことが明らかに認められる。

なお、所論は、被告人が本件詐欺事犯を貢行したのは、基準看護の承認を受けなければ、それまでの完全看護体制による病院経営を維持することはできないと考えたからであり、かつ、大手町病院には基準に達する数の看護婦はいなかったけれども、看護婦の不足は看護助手をもってカバーし、基準看護と同等の看護、介護を行ってきたという自負があったからであって、被告人には実質的違法性の認識がなかったものである、とも主張するので、この点について補足しておく。

なるほど関係証拠によれば、被告人は、看護婦数を偽って基準看護の承認を受けようとする際に、これを諫めた岡本総婦長らに対してそのような趣旨の弁解をしていることが認められるほか、原審及び当番において同趣旨の供述をしているけれども、基準看護料は、看護婦の充実によって手厚い看護が加えられることを根拠として給付されるのであり、看護助手によっては、病状の観察・報告、診断の介補、投薬、注射、検査等、患者の病状に直接影響のある看護が十分になし得ないことは明らかである。たしかに、老人医療には看護婦による看護はそれほど必要ではなく、看護助手ないし介護人が十分いればよい、という考えも理解し得ないものではなく、そのような考え方にたてば、基準看護料とはそのような加算給付がなされて然べきである、とはいい得ても、だからといって給付根拠のない基準看護料を代わりに受給してもよいとはいえないことは見易い道理であって、右のような点を無視し、あるいは曲解する被告人の弁解は、暴論というほかない。また、原判決も指摘するとおり、被告人の当時の所得からすれば、被告人は、基準看護料を不正受給しなくとも、そのいうところの完全看護ないし従前の看護体制を維持、経営することは可能であったことが窮われるのであり、それにもかかわらず、被告人は、そのような検討を真剣に行うことなく、安易に基準看護料の不正受給に走っているのであって、この点からも被告人の右弁解は、不正受給を糊塗するにすぎないものといわざるを得ず、前示関係証拠等からしても、被告人が、違法性の意識を有していたことは明らか、というべきであって、当審における事実取調の結果によっても、以上の認定ないし、判断が左右されることはない。論旨は、いずれもにしても理由がない」と。

また、原審が首肯し得るものとする第一審の判断は次のとおりである。

「弁護人は、判示第二の詐欺事犯につき、被告人は、基準看護に必要な看護婦数が不足しているとの認識はあったが、その看護婦数の不足は看護助手でカバーし、その実質において基準看護と同等の看護を実施してきたと信じていたので違法性の意識はなく、かつ、そう信じたことについて相当の事由があり、被告人ならずとも何人においても違法性の意識を期待できないから、被告人には基準看護料を不正取得しようとの犯意はなかった旨主張する。

しかしながら、犯意の成立には、犯罪構成に必要な事実の認識があれば足り、それが違法であることの認識を必要としない(最高裁判所昭和二三年七月一四日大法廷判決集二巻八号八八九頁、同昭和三二年三月一三日大法廷判決集一一巻三号九九七頁参照)から、違法性の意識の存在を故意の要件とする所論は失当である。犯意は判示のとおり十分認めることができる。

なお、違法性の意識の存在が故意の要件であるとの見解にたったとしても、本件の場合には、被告人に違法性の意識があったことは明らかである。すなわち、(1)基準看護料は知事から基準看護実施の承認を受けた医療機関にのみ支給されるものであり、その基準看護の基準の重点は、入院患者数に対する看護婦数並びに正看護婦、准看護婦及び看護助手の数が一定の割合以上であることであるが、このことは医師であり、また個人病院の経営者である被告人において熟知していたことである。(2)しかるに、被告人が経営する大手町病院では、昭和五三年四月一一般病棟について基準看護一類の承認を受けた当時から正看護婦及び准看護婦の数が常に基準看護に必要な数に達せず、その不足は昭和五六年八月増床に伴う承認を受けた後においても慢性的に続いていたものであり、しかも、その不足の程度は著しく、例えば、右昭和五六年八月当時についてみると、入院患者数が四三七人であったから、その基準看護一類に必要な正看護婦数は四四人であったのに実際にいたのは一二人にすぎず、三二人不足しており、また、同じく一類に必要な准看護婦数は四四人であったのに実際にいたのは一九人にすぎず、二五人不足していた(検察官請求の証拠等関係カード番号154の捜査報告書参照)。このように看護婦数が慢性的に著しく不足していたことは、もとより被告人も熟知していたものであり、だからこそ基準看護実施承認の申請等の際、基準に合った外形をつくるため岡本総婦長に命じて入院患者数を過少にしたうえ、正看護婦及び准看護婦の数を水増しする操作をさせていたものである。(3)被告人は正看護婦と准看護婦との不足は看護助手(看護婦見習いを含む。)でカバーしていたから看護上問題がなかった旨供述しているが、これは看護婦資格のある正看護婦及び准看護婦と看護婦資格がなく看護婦の補助しか行えない看護助手とを同一視するもので、患者の病状に応じた適切な看護を任務とする看護婦の職責任の重要性を無視した暴論である。のみならず、右議論は、正看護婦と准看護婦の数が前記のとおり著しく不足していたことをも併せ考えると、大手町病院の入院患者のほとんどが老人であることから、同病院においては看護よりも介添を重視していたという特殊性を考慮しても、到底容認できない。(4)第二回公判調書中の被告人の供述部分、すなわち被告人作成の「公訴事実に対する認否」と題する書面によれば、被告人は本件詐欺の控訴事実を「そのとおり間違いありません。」と認めたうえ、「基準看護料加算金の不正受給による詐欺を働こうとする犯意は、甚だ薄かった。」と妙な表現ながら犯意があったことを認めている。以上の事実に徴すると、基準看護の要件を充足していないのに基準看護実施の承認を受けたうえ、基準看護料の請求をしてこれを受領することが違法であることは被告人自身認識していたと認めるに十分である。よって、弁護人の主張は採用しない」と。

二 違法の認識の理論について

1 右原審判決のうち原審が第一審の説示ということの第一は「犯意の成立には犯罪構成に必要な事実の認識があれば足り、それが違法であることの認識を必要としない(最高裁判所昭和二三年七月一四日大法廷判決刑集二巻八号八八九頁、同昭和三二年三月一三日大法廷判決刑集一一巻三号九九七頁参照)から、違法性の意識の存在を故意の要件とする所論は失当である」ということである。

しかし、弁護人は、違法の認識又は違法の認識の可能性あることが必要であることを主張したいと思うものである。それは右最高裁判所の判例は何れも故意は刑罰法規の認識を要しないといっているにすぎないものであって、学説上の違法の認識又は違法の認識の可能性とは異なるものであり、違法の認識又は違法の認識の可能性は責任の要素だとすることが今日学説上の定説となっているからである。のみならず、違法の認識又違法の認識の可能性のない場合は故意がないとする多くの下級審の判例も存在するものだからである。

(一) 違法の認識についての学説

違法の認識とは後述のとおり法益侵害又は法益侵害の危険性の認識ということであるが、これについては次のとおり多くの学説が存在する。

その一は違法の認識を故意の要件とするものであり、その二は違法の認識の可能性を故意の要件とするものであり、その三は違法の認識は故意の要件であるがこれを欠いたことにつき過失ある場合を故意と同様に取扱うものであり、その四は自然犯においては違法の認識は必要でないが行政犯においてはこれを必要とするものであり、その五は違法の認識の可能性を故意又は過失とは別の責任の要素とするものであり、その六は違法の認識の可能性ないことを超法規的責任阻却事由とするものである。

第一点の期待可能性の問題の場合と同様に上告理由としては煩に過ぎるかもしれないが弁護人らはこれらの学説をあきらかにしたいと考える。それは、期待可能性の場合と同様に、太平洋戦争後の学説でこれを犯罪論の体系にとり入れないものは、牧野博士を除き他にないと思われるからである(なお、牧野博士の学説は前述の自然犯では違法の認識は必要ではないが、行政犯にはこれを必要だとするものであることは、その教科書を引用するまでもないところと考える)。

違法の認識について学説は次のとおりである。

(1) 違法の認識を故意の要件とする学説はつぎのとおりである(教科書名は第一点の期待可能性の場合のとおりであるから、それを略し、著者名のみを示す)。

小野清一郎 一五四頁

瀧川幸辰 一二七頁

大塚仁 四〇〇頁

吉川経雄 一八〇頁

平場安春 一〇四頁

中山研一 三七二頁

滝川春雄 一二九頁

奈良俊夫 一八四頁

内田文昭 二三二頁

柏木千秋 二二六頁

伊達秋雄 一〇三頁

植松正 二四四頁

安平政吉 二七四頁

(2) 違法の認識の可能性を故意の要件とする学者は次のとおりである。

団藤重光 二九四頁

江家義男 一三三頁

藤木英雄 二一二頁

香川達夫 二一四頁

井上正治 一四四頁

中野次男 四〇頁

平出禾 一五九頁

(3) 違法の認識は故意の要件であるがこれを欠いたことに過失ある場合を故意と同様に取扱うとする学者は次の通りである(なお、この学説の戦前における著名な学説は宮本英脩「刑法大綱」昭和一〇年一四五頁である)。

草野豹一郎 八九頁

斉藤金作 一八〇頁

佐伯千仭 二六七頁

植田重正 一一八頁

正田満三郎 二七八頁

(4) 違法の認識の可能性を故意又は過失とは別個の責任要素であるとする学者は次のとおりである。

木村亀二 三一九頁

福田平 一九二頁

西原春夫 四一五頁

中義勝 一六六頁

青柳文雄 二八七頁

(5) 違法の認識の可能性ないことを超法規的責任阻却事由とする学者は次のとおりである。

平野龍一 二五八頁

大谷実 三四八頁

以上のとおり、わが国において殆どの学者が違法の認識又は違法の認識の可能性を責任の要件としているのである。弁護人らは最後の学説が期待可能性のないことを責任阻却とする学説と同様に検察官の方で最初からこれを立証しなくてもよいということからみて、実務にあった理論ではないかと考えている。

(二) 違法の認識についての下級審の判例

前述の最高裁判所昭和三二年の判例にもかかわらず、その後の下級審判決例では違法の認識を必要とする多くの判決例が存在する。

例えば東京高等裁判所昭和五五年九月二六日判決(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法令違反被告事件、高等裁判所刑事判例集第三三巻第五号四一九頁)は、いわゆる石油カルテル事件について、次のように判示する。

「しかし弁護人らは右被告人らには違法の認識及びその可能性がなかったことを主張している。そこで右主張にかかる事実の存在について判断することにする。

もっともこの点については「犯意があるとするためには犯罪構成要件に関する具体的事実を確認すれば足り、その行為の違法を認識することを要しない」とする法律判断が最高裁判所の判例として定着しているから、犯罪の成否の問題としては右事実については判断する必要がないという見解もあり得る。しかしながら右の趣旨の判例は、違法であることを知らなかったとの被告人の主張は、通常顧慮することを要しないという一般原則を示したものであるか、あるいは当該事件においてはその主張は理由がないとするものであって、行為者を非難することができないような特殊の場合についてまで言及したものではないと解する余地もないではない。そうして右の特殊な場合には、行為者は故意を欠き、責任が阻却されると解するのが、責任を重視する刑法の精神に沿い「罰ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス」という刑法三八条一項本文の文言にも合致する解釈であると考える。

昭和五一年六月一日の東京高等裁判所判決(高裁刑事判例集二九巻二号三〇一頁)は「無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知っている場合でも、その集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかった場合に、かく考えなかったことについて相当な理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるから、右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却する」という、前記の同趣旨の見解の下に一被告人に無罪の言渡しをしたのであるが、右判決に対する上告審において、最高裁判所は「原判決の前示法律判断は被告人に違法性の意識が欠けていたことを前提とするものであるところ、職権により調査すると、原判決には右前提事実につき事実の誤認があと認められるから、所論について判断するまでもなく、原判決中被告人に関する部分は、刑訴法四一一条三号により破棄を免れない旨判示し(第一小法廷昭和五三・六・二九判決刑事判例集三二巻四号九六七頁)事実判断に基づき重大な事実誤認を理由として破棄差戻しの判決をしているのである。右の職権調査が行われたことは、最高裁の前記判例に対する前記理解に支持を与えるものである。」と。

これらの見解に立つと思われる判決例として著名なものに

東京高等裁判所昭和四四年九月一七日判決(いわゆる映画黒い霧事件)高裁刑事判例集二二巻四号六一三頁

前出東京高等裁判所昭和五一年六月一日判決(羽田空港ビル内デモ事件)高裁刑事判例集二九巻二号三〇一頁

が存在する。

(三) また、第一審判決も、前記最高裁判所の判例に従って違法の認識を必要としないとしながら、弁護人らの違法の認識の主張に対して判断を示しているのであり、また原審判決はこれを首肯できるといったうえ自らも弁護人らの違法の認識についての主張につき判断を示しているのである。このことは原審判決も第一審判決も犯罪論につき違法の認識の必要であることを認めていたものといわなければならないものである。

2 原審判決及び第一審判決の違法の認識論の間違

原審判決及び第一審判決は前述のとおり違法の認識についての判断を示し、本件につき被告人に違法の認識があったとするのであるが、これは犯罪論における違法性ということ及び違法の認識ということの解釈を間違えた妥当を欠くものなのである。

(一) 違法性の意義について

違法性とは法益の侵害又は法益侵害の危険性があるということである。決して個々の刑罰法規に違反するということではないのである。

上告趣意書において違法論につき教科書的な主張を陳述することにつき弁護人としても躊躇しないわけではないが、原審判決及び第一審判決の不当を正するため敢て陳述させていただく次第である。

違法性については形式的意義と実質的意義がある。形式的意義とは行為が刑罰法規に違反することである。実質的意義については、多くの学説があることは周知のとおりであるがそれを大別すれば法益侵害説と規範説とわかれる。前者は違法性の本質を法益侵害又は法益侵害の危険性にあるとするのである(瀧川八〇頁、佐伯一七〇頁、平野二一二頁、その余の学説の引用は本件上告に特に必要ないと思われるのでその引用は省略する)。また後者の違法性の実質を規範違反と考える学説はその内容を或は「公の秩序又は善良の風俗に反すること」(牧野上巻四二三頁)、「国家的秩序の精神目的に反すること」(小野一一九頁)、「法秩序の基礎となっている社会的規範に違反すること」(団藤一七〇頁)、「国家・社会的倫理規範に違反すること」(大塚旧版二二七頁)といわれるのである。(その余の学説の引用も本件上告に特に必要ないと思われるので省略する)。しかして、違法性の本質を規範違反だとする学説も違法性の本質が法益侵害であることを否定するものではなく違法性とは法益侵害又は法益侵害の危険性につきるものではなくそれ以外に前述のような内容を有するものであるとするのである。それ故に大塚教授はその著の改訂版では違法性の本質を「国家・社会的倫理規範に違反して法益に侵害または脅威を与えることである」(三〇七頁)とされたのである。

畢境するに、違法性とは法益侵害又は法益侵害の危険性である。違法論(違法性阻却論)は正当防衛も緊急非難論も正当行為論も或いは超法規的違法性阻却論もこの法益侵害又法益侵害の危険性が阻却されるかということなのである。したがって、「行為の違法の認識は刑罰法規の認識と同一ではない」(瀧川一二八頁)のである。この点についてはなお上告理由補充書において陳述する。

(二) 原審判決及び第一審判決の解釈とその間違

以上のとおり違法性とは法益侵害又は法益侵害又は法益侵害の危険性であり、違法の認識とは法益侵害の危険性の認識である。ところが第一審判決の判断もまたこれを首肯できるという原審判決の判断も、被告人に違法の認識があったというのは行政法規に違反することを知っていたからだというのである。すなわち原審判決が第一審判決の判断を首肯し得るとした判断の内容を再述すれば次のとおりである。「これを要約すると、関係各証拠によれば、被告人は、永年の経験を有する開業医であり、健康保険法及び国民健康保険法における基準看護の制度について十分な知識を有し、自己の経営する大手町病院における看護婦数が右基準に到底達しないことを熟知していながら、その事務職員に指示し、もと従業員であった看護婦に対価を支払ってその名義を借りる等したうえ、架空の看護婦が勤務しているかのように装って虚偽の書類を作成し、原判示のとおり、基準看護料を不正受領した事実が認められるのであって、そのような事実関係のみからしても、被告人が違法性の意識を有していたものであることは優に推認できるのみならず、原判決に挙示の被告人の関係各供述調書、吉村敞の原審証言、岡本八重子の検察官に対する昭和五九年五月二四日付供述調書等によれば、被告人が、違法であることを了知しつつ前記のような操作を行い、各詐欺を行ったことが明らかに認められる」と。

右判断は原審判決及び第一審判決が違法性ということを個々の行政法規(本件の場合刑罰法規でない)に違反していることを知っていたというだけなのである。犯罪論における違法の認識があったということにならないのは勿論である。弁護人は原審判決や第一審判決が犯罪論における基礎的な理論さえ知らなかったということをまことに遺憾なことだと考えているものである。

しかして、原審判決は、さらに弁護人らが被告人には実質的違法の認識がなかったという主張に対しても前記のような判断を示しているのであるが、その要旨は「老人医療には看護婦による看護はそれほど必要でなく、看護助手ないし介護人が十分いればよいという考え方も理解できないではないが」、「基準看護料は、看護婦の充実によって手厚い看護が加えられることを根拠として給付されるのであり、看護助手によっては、病状の観察・報告・診断の介補、投薬、注射、患者の病状に直接影響のある看護が十分になし得ないことは明らかである」から違法の認識がなかったとはいえないということであると考える。

しかし、弁護人らはこの原審判決も弁護人らの被告人には実質的違法の認識がなかったとの主張に対する判断にはなっていないと考える。それは本件における法益とは何か、その法益侵害があったのか、被告人にその法益侵害の認識があったかどうかということに目を覆っているものと考えるからである。

本件の法益とは基準看護婦の給付金が完全看護(基準看護)に使われたかどうかということであると考える。基準看護料が正看護婦に支払われたかどうかということではないと考える。換言すれば本件においては完全看護が行われたかどうかということなのである。すなわち正看護婦、准看護婦又看護助手等による完全看護が行われたかどうかというのである。行政法上は患者の数に対する看護婦の数の割合と、その看護婦の正、准、助手の割合を以て完全看護の基準が定められているが、それは完全看護に対する行政上の基準であって、具体的な場合に何が完全看護であるかはその病人にとって個々に考えられなければならないものである

本件の場合は患者の数にあう看護婦(助手を含む)の数はあったのである。ただ正看護婦又准看護婦は第一点において陳述のとおりの事情によってこれを獲得できなかったので、そこでこれにみあう看護助手を採用して看護にあたったのである。老人患者(寝たきり老人とかぼけ老人)の看護については看護助手の看護によって正看護婦や准看護婦の不足を補って完全な看護ができたというのなら、被告人に法益侵害についての認識がなかったということは極めて当然のことであったと弁護人は考える。

このことは被告人の当時の所得からすれば基準看護料の受給を得なくても被告人のいう完全看護が可能であったとういうこととは関係のないところであって、それが法益侵害の認識があったことの理由となるものではないのである。

被告人の違法の認識がなかったという主張は基準看護料の不正受給を糊塗することでも、暴論ということでも決してないと考える。原審判決こそ違法性と違法の認識との意義を十分に理解することなしに行った不当な判断ではないかと考えるのである。弁護人は本件において最高裁判所が違法の認識の理論の採用とこれが正確な意義について今後の下級審裁判所に対する指針となる判断を示されることを希望しているものである。

三 本件事件の違法認識論の適用

1 被告人が本件事件につき違法の認識のなかったことにつき、被告人が陳述書(弁第一〇〇号、一二丁裏以下)で陳述するところは次のとおりである。

「時代の変遷、社会環境の変化により高歳化社会、核家族化の進行と相前后して、老人医療費の無料化が制定され、老人患者は益々増加の一途をたどり、開業医、国公立病院では、重症者、ぼけ老人、寝たきり老人患者については、看護が面倒で社会復帰が出来ないのみならず、長期入院になれば管理料も漸減し(六ケ月以上入院患者の入院管理科は、始めの二週間の1/3~1/4となる)、新しい患者を回転しなければ、経営上にもプラスにならないということで退院させるのが日常茶飯事でした。

私の処は基準看護であり、その様な患者も入院させて居り、面倒みが良いとの理由でどんどん紹介してこられるので引き受けてきました。それは私は人道的立場からも、又医師の義務的責任からも当然のことと思っていたからです。看護婦(有免許者)は不足しているが、老人の場合、左程高度な看護技術を必要としないものが多く、看護助手(介護人)でも、看護婦の指導のもとで充分その役割を果たすことが出来ると思い、又実際上その通りですが、不足看護婦の希望者がおれば勿論補充するのですが、絶対数として不足しているので、看護助手を多数採用し、看護、介護にあたらせ看護の万全を期し日夜努力して来ました。」「以上述べました如く、大手町病院の入院患者、特に寝たきり老人、ぼけ老人の心身の特色、これに伴う看護、介護の特異性からして、形の上で、正規の看護婦が多少不足しても、それを在籍の看護婦、私を中心とした医師団の努力でカバーするほか、入院患者に対し、愛情を持ち、いわゆるスキンシップ的な身の廻りの世話をする看護助手(年配の女性)を正規の枠以上の数を確保配置すれば(大手町病院では現実に、この種の看護助手は常時三十名前後確保していました)、入院の老人患者の医料看護上、決して欠くところがなく、万全を期しうるものと、心中固く信じていました。

(私は当時は勿論今でも基準看護で、大手町病院は入院の老人の患者に対し、他の病院がなしている以上の手厚い看護介護をして来たと確信しています)。そのことは、同病院では入院患者や、その家族から、看護婦が不足で十分な看護がして貰えないというような苦情をきいたことがなく、むしろ多くの入院患者及びそ家族等から感謝されることが少なくなかった点からしても、御理解いただけるものと思います。」

被告人の第一審第一二回公判において検察官の問いに対する供述(記録四〇七丁)は次のとおりである。「私は始め実際問題としての基準看護を十分にやっておったわけですから、それに対してそれが違法性があるというようなことはあまり思っておらない。もちろんそういうことを思っておったら私はその基準看護の申請も、まあ、やむを得ず一類にせなきゃならなかったんですけれども、それもやらなかったと思います。」また被告人は検察官に対する昭和五九年五月一九日付供述調書(記録一一一六丁)でも「大手町病院は寝たきり老人が多く病院というより養老院的色彩が強く、その世話は正看や准看でなくてもいわゆる「助手」のおばさんでも賄い切れる面が多く、確かに基準看護一類の要件を満たしていないことは百も承知しておりましたが、内容的には十分な看護をしていると考えていたので一類の申請をしてもよいだろうと甘く考えてしまっていたのです。」と述べているところである。

2 弁護人が第一点の二の2ないし5で述べた事情は被告人が右の供述のように考えていたことを肯定させるものであると考える。

畢竟原審認定の詐欺の事実は違法の認識又違法の認識の可能性の欠くものであって無罪とされなければならないものであると信ずるものである。

○ 上告趣意書

被告人 土用下和弘

右の者に対する御庁昭和六二年〈D〉第三五六号所得税法違反、詐欺被告事件について左記のとおり上告趣意を補充陳述する(上告趣意書第二点の第二項の2の(一)御参照)。

昭和六二年五月二六日

弁護人 依田敬一郎

最高裁判所第一小法廷 御中

目次

一 序説(違法の認識とは形式的な刑罰法規違反の認識ということではなく、実質的な一般的法秩序違反の認識であること)・・・・・・一二〇九

二 違法の認識を形式的違法の認識と考える学説泉二新熊博士(「日本刑法論」)・・・・・・一二一〇

三 違法の認識を実質的違法の認識と考える学説(1)瀧川幸辰博士・・・・・・一二一一

四 同(2) 小野清一郎博士・・・・・・一二一四

五 同(3) 宮本英脩博士・・・・・・一二一六

六 同(4) 草野豹一郎博士・・・・・・一二一七

七 同(5) 島田武夫博士・・・・・・一二一八

八 同(6) 戦後の学説・・・・・・一二二〇

九 違法の認識の可能性を認めた判例と立法・・・・・・一二二一

一〇 違法ということを実質的に解するが、故意の要件として違法の認識を必要ないとする学説(1)牧野英一博士・・・・・・一二二一

一一 同(2) 泉二新熊博士(「刑法大要」)・・・・・・一二二四

一二 学説が判例は故意の要件として違法の認識を要しないといっている場合の判例は、形式的違法の認識を要しないといっているのであって、実質的違法の認識を要しないといっているのではないこと・・・・・・一二二五

一三 違法の認識についての学説と判例の解釈の違いによる実務の混乱・・・・・・一二二七

一四 むすび・・・・・・一二二八

1 弁護人は上告趣意書第二点で、故意の要件として違法の認識又は違法の認識の可能性が必要であることを主張したが、それは違法ということを刑罰法規違反という形式的意義でとらえることなく、一般的な法秩序違反、その実態は法益侵害又は法益侵害の危険性(法益侵害説)とか倫理違反又は公序良俗違反(規範違反説)という実質的意義にとらえ、かかる意義における違法の認識又は違法の認識の可能性が必要だということなのである。

ところが、違法の認識につき違法ということを形式的意義にとらえて、違法とは刑罰法規に違反することであると解し、故意に違法の認識を要しないとするものがある。大審院判例や最高裁判所の判例で(というよりも判例要旨として)、故意の要件として違法の認識を要しないとするのは殆どかかる事例である。

大審院時代の判例で、故意に違反の認識を要しないとする典型的な判例とされている大正一三年四月二五日の判決(大審院刑事判例集三巻三六七頁)は「方言ニモマト称スル獣類ハ法律ニ於テ捕獲ヲ禁スル鼠ナルコトヲ知ラス之ヲ捕獲スルモ罪ト為ルコトナキモノト信シテ捕獲シタルトキハ法律ノ不知ニシテ犯意アリト為スニ妨ナシ」というのである。また本件において第一審判決がかかげる最高裁判所の判例も同様である。すなわち、昭和二三年七月一四日の大法廷判決は「「メチルアルコール」であることを知って之を飲用に供する目的で所持し又譲渡した以上は、板に「メチルアルコール」が法律上その所持又は譲渡を禁ぜられている「メタノール」と同一のものであることを知らなかったとしても、それは単なる法律の不知に過ぎないのであって犯罪構成に必要な事実の認識に何等缺くるところがない」(最高裁判所刑事判例集二巻八号八九一頁)というのであり、昭和三二年三月一三日の大法廷判決は「刑法第一七五条の罪における犯意の成立については、問題となる記載の存在の認識とこれを領布販売することの認識があれば足り、かかる記載のある文書が同条所定の猥褻性を具備するかどうかの認識まで必要としているものではない」(最高裁判所刑事判例集 一巻三号一〇〇九頁)というのである。

これに対して、今日の学説の殆どや多くの下級審判決が故意の要件として違法の認識又は違法の認識の可能性が必要であるとしているのは、違法ということを一般的法秩序違反という実質的意義でとらえているものである。したがって、これに対し右判例のように違法ということを刑罰法規違反という形式的意義にとらえて故意の要件に違法の認識が必要でないといったところで議論があわないのである。

このことは学説上も実務上も必ずしも明らかにされていないと考えるので、この点に関する弁護人の意見を補充したいと思うものである。

二 かつては、学説も違法ということを刑罰法規違反という形式的意義に考えていたものである。太平洋戦争前においてわが国の実務を支配していたといわれる泉二新熊博士はその著「日本刑法論上巻(総論)」(四二版昭和二年)で違法の意義を「犯罪ハ違法ナル行為ナリ違法ナル行為トハ法ノ命令禁止令ニ違背スル行為ナリ換言スレハ法規ノ禁止スルコトヲ行ヒ命令スルコトヲ為ササルノ謂ナリ而シテ法ノ命令禁令ハ社会的生活利益ヲ保護スルヲ目的トスルモノナルカ故ニ此命令禁令ニ対スル違背ハ畢竟法益ニ対シテ危害ヲ及ホス可キ行為ナラサル可カラス」(三三五頁)と解し、違法の認識ということについては次のように述べておられるのである。

「犯罪ノ故意即チ犯意ノ成立スルニハ本人カ犯罪構成事実ノ全部ノ認識スルヲ必要トスルコト既ニ述ヘタルカ如シ而シテ此點ニ付テハ学者ノ見解悉ク一致セリ然レト其他尚ホ行為者カ自己ノ行為ノ違法ナルコトヲ認識スルコトモ亦犯意ノ要素ニ属スルヤ否ヤニ付テハ学説ノ一致セサル所ナリ之ヲ大別シテ積極消極ノ両説トシ積極説ヲ更ニ分チテ一般的要件説及ヒ特別要件説トナス」(四六三頁)

「消極説ニ依レハ行為ノ危険性アル事実ヲ認識シツツ之ヲ実行スル者ハ社会ノ秩序ノ維持上之ヲ処罰スルノ必要アルコト明カナリ然ルニ若シ違法ノ認識ヲ以テ故意ノ成立要素ナリトセハ行為者カ自己ノ行為ノ法規ニ違反スルコトヲ知ルニアラサレハ犯罪ノ成立ヲ認ムルコト能ハサル可ク而モ行為者カ法規ヲ知ルコトハ一般ノ場合ニ於テハ事実ニ反スルカ故ニ多数ノ場合ニ於テ犯罪行為ヲ処罰スルコト能ハサルニ至ル可シ法典第三十八条第三項ニ於テ法律ヲ知ラサルヲ以テ犯スル意ナシト為スルコト得スト規定シタルハ消極説ヲ根拠トスルコト疑ヲ容レス」(四六八頁)

「蓋法律ノ不知ハ情状ニ因リ刑ノ減軽ノ理由トセラルルニ止リ犯意ノ成立ヲ妨クルモノニ非サルコト法典第三十八条第三項ノ解釈上明白ニシテ即チ違法ノ覚知ハ犯意ノ要素ニ属セスト為スヲ正当ナリトス」(五九頁)と。

三 ところが、現在の学者や下級審の判決は、違法ということ――少なくとも違法の認識という場合の違法ということ――を右のような形式的意義の刑罰法規違反ということでなく、それを一般的法秩序違反という実質的意義でとらえ、その実態を法益侵害又は法益侵害の危険性とか倫理違反又は公序良俗違反だとしているのである。

わが国の学者で、違法ということを実質的意義でとらえて、故意の要件に違法の認識を必要とした最初の学者は故瀧川幸辰博士ではないかとかんがえる。その著「刑法講義」(昭和四年改訂版昭和五年)で同博士は次のようにいわれている。

「形式的にいえば、犯罪は違法の行動である。行動が国家の承認する条理に違反するときに違法となる。即ち違法の実質は国家的条理違反である。条理は道徳的・宗教的・風習的の命令として、また取引上・職務上の要求として、個人を規律するところの規範の総称である。法律の内容は、それが倫理的性質を帯びる限り、条理と一致する。この犯意において法律は条理という基礎的構造の上に建てられた上層建築にたとうべきものである。「殺す勿れ・姦淫する勿れ・偽り誓う勿れ・隣人を愛すべし」という命令・禁止は、人間の社会生活と時期を同じくして、生じた条理であって、倫理的にも、時間的にも、法律以前のものである。従って、違法は、形式的には法律に違反することであるが、実質的には法律の立つところの条理に違反することである。社会の一つとしての国家は、法律をもって或る義務を規定し、時代に応じて変化する倫理的価値を、時代・時代・の型に鋳込むことによって、形式的違法(法律の軽視)と、実質的違法(条理違反)との一致に努める。」(八二頁)

「一 責任条件は、心理的には行為者が客観的出来事を知るほか、更に行為の評価を知ること、少なくとも知り得ることを必要とするという立場を総称して、「違法の認識」を責任条件の内容とする学説と名付ける。広く違法の認識というなかには、三つのものが含まれる。(一)刑法の認識、(二)刑法以外の法律の認識、(三)条理違反の認識の三つ。第一は心理強制主義の立場である。刑罰法規をもって、犯罪と刑罰とを明かにし、各人に刑罰の苦痛と犯罪を抑えることの不快とを比較せしめして、犯罪を未然に防ぐという立場である。この意味の認識を要求する学説は、既に過去のものとなって居る。第二は法律錯誤を、刑法の錯誤刑法以外の法律錯誤との二つに分ける立場である。即ち刑法の錯誤は責任を否定しないが、刑法以外の法律錯誤は責任を否定するというのである。この見解の認め得ないことは後に述べる。第三は責任条件の内容として、事実そのものを知ることよりも、事実が条理に反して居るか否かの点を知らねばならないという見解である。既に述べた如く、条理違反の認識は責任条理にとって第一義的のものである。これは、犯罪という出来事のほかに、その評価を認識することが必要であるという意味である。責任条件にとっては、条理違反の認識が第一義的で、出来事の認識は第二義的のものに過ぎないという意味である。既ち責任条件の心理的要素は、それ自体が重要なのではなく、それが倫理的要素の「状況」として一般的であるという点に意味がある。従って錯誤が責任を不定する場合において、問題の重心となるものは、錯誤のために条理違反を認識し得なかったという点であって、錯誤の内容が何であるかの点は、重要ではない。要するに謂ゆる事実錯誤であろうが、法律錯誤であろうが、更に法律錯誤が刑法的のもの・非刑法的のものであろうが、錯誤理論の立場からは、全く同一に取り扱わるべきである。

二 三八条三項は、行為者の行動が構成要件に該当し、そうして行為者が条理違反を認識する以上、行為者が刑罰法規を知ると否とに拘らず、罰せられて然るべきだという意味の規定である。条理違反を認識する人は、自己の行動が最小限度の社会的価値をすらもたないことを知る人、許されたこと・許されないことを区別し得る人である。行為が法律的に許されて居るか否かを知ることは、行為者の責任を定めるにつき、実は第二義的のものに過ぎない。贈賄を手段として議員を買収する政党の首領は、買収条理違反を知る限り、罰せられねばならない。買収が贈賄罪の構成要件に該当するか否かを知ることは、行為者にとっても、また刑法にとっても、第二義的意味のものに過ぎない。」(一三五頁以下)と。(同博士が違法ということを条理違反ということから法益侵害又法益侵害の危険性ということに改説されたことは本件上告に関係ないことであるのでそれについての陳述はさしひかえる。)

四 同様な学説が故小野清一郎博士である。同博士がその著「刑法講義総論」(昭和七年)でいわれるところは次のとおりである。

「犯罪の成立あるが為には、構成要件を充足する事実あるのみを以ては足らぬ。其の構成要件該当なる行為が違法なること、即ち法律秩序の精神又は其の規範的要求に反することを必要とする。違法ならざる行為は犯罪を成立せしめない。此は刑法本来の目的上疑ふべからざる事理に属するのみならず、現行刑法の規定に於て其の第三五条乃至第三七条は、此の趣旨に依りて理解さるべきものである。

然らば行為の違法性の本質は何であるか。其は法律秩序の精神に反することであり、法律の理念に反することでありる。即ち正義に反することである。然るに法律秩序の精神とするところ、法律の理念とするところは社会生活の文化的秩序を維持することである。此の見地より行為の違法性を考ふるに、其は行為の反文化性といふことになる。歴史的社会生活に於ける文化の意味に反する行為、即ち違法なる行為である。

行為が構成要件に該当するといふことと、それが違法であるといふこととは、之を区別して考へなければならぬ。行為が構成要件に該当するといふことは、既に述べたる如く、刑罰法規に於て一般的に思考された観念上の形象合致することであり、其の多かれ少かれ抽象的な概念に当嵌まることである。之に反して行為が違法であるといふことは、其の具体的な行為が法律秩序の立場からの直接なる価値判断であり、其の行為が法律秩序の規範的要求に反するといふ意味に於て消極的な価値判断である。勿論構成要件そのものがすでに違法なる行為を定型的に規定したものであるから、それに該当する行為があれば、それは一応違法なる行為であるといふ推定を受くべきであらう。しかし構成要件の一般的・抽象的性質上其は未だ具体的な行為に対して其の端的に違法であるといふ判断を興ふるものではない。構成要件充足の外、更に行為の違法性を以て犯罪の一般的概念要素とせねばならぬ契機は茲に存するのである。」(一〇一頁以下)「一 行為の違法性とは、既に述べたる如く、行為が法律秩序の精神に反することであり、其の実質は社会文化的規範に反することである。従って、違法性の意識とは法律秩序に於て許されざるものであることの意識、社会文化的規範に反するものであることの意識である。斯の如き意識なき行為を故意に出でたる行為として処罰することは道義的責任の理念に反する。従来斯かる意識を要件と為さざりしは、絶対主義的国家観念及び一番予防的・保安的刑罰観の然らしめたところであるが、最近の理念及び実際は漸次此の点に於て道義的責任の理念を徹底せしめようとしてゐる。私は我が現行法の解釈上違法性の意識を、少なくとも未必的に有することを以て「故意」の要件なりと考ふるものである。

法律上の概念構成として特に違法性の意識を必要なりと考ふることは特別の意義を有するか。実際に於て犯罪構成事実の認識あるときは、其の刑事犯に関する限り、而して行為者が責任能力者である限り、当然に其の違法性を意識してゐるものと推定することを得よう。しかし犯罪構成事実の認識あるに拘らず、違法性の意義なき場合がある。斯かる場合に其の意義を有するのである。

二 違法性の意識は法律秩序に於て許されざるものであり、社会文化的規範に反するものであることの意識である刑罰法規を認識することを要せざるは勿論、凡そ如何なる「法規」を認識することも必要でない。「法律を知らざるを以て罰を犯す意なしと為すことを得ず」(第三八条三項)とは此のことを意味するもので、上に述べたるところは何等此の規定に抵触するものではない。但し法律を知らざることに因り違法性の判断が困難にされる場合があり得る。是れ「但情状に因り其刑を減軽することを得」(同条項但書)とされる所以である。」(一四八頁以下)と。

五 以上、瀧川博士や小野博士の学説は、違法の認識という場合の違法とは実質的違法のことをいうのであって、決して刑罰法規違反という形式的違法をいうことではないのである。また、刑法第三八条第三項の「法律」とは刑罰法規をさすのであって違法の認識という場合の違法とは異るものだということなのである。

ところが、故宮本英脩博士は、右の刑法第三八条第三項の「法律」を実質的意義に解され、その著「刑法学粋」(昭和六年)において次のようにいわれる。

「刑法上犯罪ニ対スル観察ニ二様アリ。一ハ単ニ反社会的ナルカ故ニ之ヲ犯罪トスルモノナリ。此立場ニ於テハ犯罪カ主観的ニ違法ト評価セラルルコトハ要件ニアラス。極言スレハ、此立場ニ於ケル犯罪ノ取扱ハ猛獣毒蛇ノ害ヲ除ク作用ト一般ニシテ犯罪人ノ刑事責任ハ全ク社会的責任ナリ。他ノ一ハ、犯罪カ反規範的(違法)ナル結果トシテ反社会的ナルカ故ニ之ヲ犯罪トスルモノナリ。此立場ニ於テハ、犯罪カ主観的ニ違法ノモノトシテ評価セラルルコト缺クヘタラサル要件タリ。換言スレハ、犯罪ハ刑法上犯罪タル以前ニ先ツ一般規範上主観的ニ違法行為タラサルヘカラス。」(二一二頁)

「違法ノ実質的意義ハ法益ノ侵害又ハ脅威ナリ。而シテ斯カル説明ハ実ハ循環的ニシテ、右ノ形式的意義ノ違法ト同語反復ニ外ナラサレトモ、是レ恰モ、法律上人格ヲ説キテ権利主体ト為シ、美学上芸術ヲ説キテ美的表現ト為スカ如ク、イホウ違法モ法益モ共ニ価値的概念ニシテ、性質上事実的概念ヲ以テ説明スルコトヲ得サルニ因ル」(二一九頁)(なお宮本博士が右の形式的意義の違法という場合は刑罰法規違反の意味でないことが明らかである。同博士は行為が一般的法秩序に違反した場合を形式的意義の違法とし、行為の法益侵害又は法益侵害の危険性を実質的意義の違法といわれるのである。)。

「故意ハ違法ノ意識ヲ含ム。此意識ハ、自己ノ行為カ規範ノ定ムル何等カノ違法類型ニ適合スルヘキコト、精密ニ言ヘハ、自己ノ意思ト行為トカ共ニ一定ノ規範ニ依リテ違法ト判断セラルヘキコトノ意識ナリ。」(三〇〇頁)

「故意カ違法ノ意識ヲ含ムヤ否ヤハ従来議論ノ存スル所ニシテ、或ハ刑法第三八条第三項ニ[法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ス]トアルニ因リテ、之ヲ消極ニ解スル見解モ亦之レナキニアラス。然レトモ刑法ノ規定ノ趣旨ハ違法ヲ意識セサルモ仍ホ之ヲ処罰スルコトヲ得ル結果ヲ収ムレハ足レリトシ、其レカ理論上如何ニ説明セラルヘキカヲマテ拘束スルモノニアラス。故ニ予ハ、此規定アルニ拘ラス、故意ハ理論上違法ノ意識ヲ含ムト為シ、若シ此意識ヲ缺クトキハ、縦ヘ事実ノ予見アルモ、以テ故意アルト為スニ足ラスト解ス。蓋シ屡々述ヘタルカ如ク、違法ノ意識ナキ行為ハ直接ニ其価値ヲ否定スルニ必要ナル理論上ノ根拠ヲ缺クカ故ナリ。而シテ予ハ刑法第三八条第三項ハ別ニ之ヲ一般規範ノ不知ニ関スル過失責任ヲ定メタルモノト解シ、同条第一項但書ニ所謂[法律ニ特別ノ規定アル場合]ニ該当スルモノト見ント欲ス。詳言スレハ、規範ヲ知ラスシテ或客観的ニ違法類型的ナル行為ヲ為スコトハ直接ニ其価値ヲ否定スルコトヲ得サレトモ、若シ之ヲ知ルヘクシテ知ラサリシ事情アルトキハ、其過失ヲ理由トシテ間接ニ之ヲ否定スルコトヲ得。即チ右ノ規定ハ規範ノ不知ニ因ル行為モ過失行為トシテ之ヲ違法トシ、且原則トシテ規範ヲ知リタル場合ト同一ノ責任ヲ負ハシムヘキコトヲ定メタルモノナリ。従テ規範ヲ知ラサルニ付キ過失モナキトキハ、違法行為ノ成立スルコトナキハ当然ナリ。但過失ニ因ル規範ノ不知カ仍ホ責任ノ基礎タルカ為メニハ、前ニ行為一般ニ付テ述ヘタルカ如ク、行為者ニ於テ、吾人ハ一般ニ自己ニ関係アル規範ヲ知ルニ努メサルヘカラスト謂フ規範意識ハ之ヲ具ヘサルヘカラス。」(三〇二頁以下)と。

六 右宮本博士と同様の学者は故草野豹一郎博士である同博士はその著「刑法総則講義第一分冊」(昭和一〇年)で「違法とは規範違反又は条理反と云うことであるとされ」(九七頁)、違法の認識については次のようにいわれるのである。

「故意の成立には罪と為るべき事実を認識すると同時に、其の事実の違法性を意識することを要する。

其の違法性を意識すると云ふことは、単に違法性の備はれる事実を事実として認識することではない。事実に存する違法性として意識することである。詳言すれば、自己の為す行為事実が条理上許されないものであることを意識することである。而して行為の条理上許されないものであることは、同時に法律上許されないものであることを要するが、必ずしも其の法律上許されないものであることまでを意識するの要はない。」(一四一頁)

「違法性に関する過失を内容とする過失犯は、之を刑法第三十八条第三項に於て原則として故意犯と同一に取扱はるべきものとして居る。

違法性に関する過失は、罪と為るべき事実に付ての認識はありながら、不注意の結果、其の違法性を意識しなかったのであるから、規範的観察からするならば、事実性に関する過失に比し不注意の大なるものがあると云はねばならぬ。何となれば、罪と為るべき事実に付ての認識に缺くる所がない以上、違法性の意識は可能であり、進んでは故意の存在をも推定しうるからである。刑法第三十八条第三項が、「法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトラヲ得ス、但情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得」と規定して居るのは、行為者に於て自己の行為が法律上許されざるものなるに拘らず、許されたるものと信じたることに付過失あるとき、即ち行為の違法性を意識せざりしことに付て過失しるときは、一応それが故意犯として取り扱はれ、而して、過失の軽微なるときは、其の故意犯に付ての刑が減軽せられうることを明らかにしたものに外ならないのである。」(一五一頁)と。

七 右宮本博士、草野博士の学説は違法の認識につき過失ある場合を故意と同様取り扱うとするのであるが、これに対して何故過失を故意と同視するのかという疑問を解決し、同じ結果を得るため故意には違法の認識の可能性の様式を要するということが主張されることになった。このことをわが国においてはじめて主張されたのは故島田武夫博士であると考える。

即ち同博士はその著「刑法概論(総論)」(昭和七年、第六版昭和一一年)において、「行為の違法性は行為が共同利益を危害するとの法律的価値判断である」(五七頁)とされ、違法の認識については次のようにいわれている。

「故意は客観的犯罪構成要件事実の違法なることを知ってこれを実現する意思である。」(一二三頁)

「近ごろ違法性の認識を法規から解放された一般的な義務違反の認識の意味に解するやうになった。この義務は、社会生活に伴ふ法律以外の義務で、宗教的道徳的慣習的その他の義務を指すのである。マイヤーは、これを文化規範とよび、文化規範は国家から承認されて法律になると解した。故に彼によれば、法律は文化規範の微表であり、文化規範に違反することを認識するときには、それは同時に法律違反の認識になる。私は、この漠然とした文化規範の概念を刑法から駆逐し、これに代ふるに法律規範を以てすることにした。法規規範は、法規には関係なく存在し、これに従ふことが法律社会の利益となる規範である。法律規範を知ってこれに違反する意思は、故意と認めるに十分である。」(一二四頁)

「行為者は法律規範については、少しも考へない場合がある。例えば、街頭を散歩してゐるときに、深い動機もなく、突然店頭の窓硝子を破壊する興味が湧いた。恰も偶然の如く杖を振上げて、その窓硝子を破壊した。本能や衝動に基く行為には、かやうなものが多いであらう。こんな場合には、違法性の認識があたか否かを確定的に証明することは、極めて困難で実際には、蓋然的な証明に委ねられることになる。即ち行為者の認識力を以てするときには、違法性を認識する可能性があるか否かの判断によって、故意が認められることになる。

違法性の認識だけではなく、その認識可能も亦故意の内容として認められねばならぬのである。違法性を認識し得られるのに認識しなかったことを故意の内容とすることは、決して背理ではない。なぜなれば、認識し得られる違法性を認識しなかったことは、既に過失の責任にも認められてゐることだからである。それ故、客観的犯罪構成事実の認識があっても、その違法性の認識や認識可能がないときには故意の責任は認められないことになる。

刑法第三八条第三項に「法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ス」といふ場合の「法律」は違法性の意味に解すべきである。同条項は、法律即ち違法性の認識がなくても、認識可能であれば故意の責任を認め、唯情状によって刑を軽減することにしたのである」(一二六頁)と。

八 以上の学説を戦後の学説と比較すれば次のとおりである。

すなわち、小野博士、瀧川博士の学説は厳格故意説といわれ、大塚仁教授ほかの学者によって承継されていることは上告趣意書第二点の2の(一)(以下上告趣意書という)の(1)のとおりである。

宮本博士、草野博士、島田博士の学説は制限故意説といわれ、宮本博士、草野博士の学説が佐伯千仭博士ほかの学者によって承継され、島田博士の学説が団藤博士ほかの学者によって承継されていることは上告趣意書(2)、(3)のとおりである。

そして戦後は、いわゆる目的行為論の立場から違法の認識の可能性を故意、過失と併合する責任要件であるとす責任説(木村博士ほか)や目的行為論をとらない立場からも故意は認識を中該とするものであるから「認識の可能性」をもって故意とするには「ことばの上の無理があ」ということから違法の認識の可能性を超法規的責任阻却事由とする学説(平野博士ほか)が生じたことも上告趣意書(4)、(5)のとおりである。

九 以上のうち宮本博士、草野博士、及びこれを承継する佐伯博士ほかの学説は故意の要件として違法の認識は必要であるが違法の認識を欠いた場合にこれにつき過失があれば故意と同様に取扱うというのであるが、これを逆からみれば、違法の認識がなくてもこれにつき過失がなければ故意を阻却するということであり、島田博士及びこれを承継する団藤博士ほかの学説も違法の認識を欠いても、その可能性がなければ故意を阻却するということなのである。

これらの学説と同様と思われる大審院判例に次のものがある。

大審院昭和七年八月四日刑事第一部判決、大審院刑事判例集一一巻一一五三頁(区有林を伐採し得る権利を有しないときと雖行為当時における諸般の事情に照しこれを伐採することは区の認可している慣例で差支えないものと誤信をしたことについて相当の理由があると認められる場合には窃盗の犯意があるとすることはできないとするもの)

戦後になってからの同趣旨の下級審判例は弁護人が上告趣意書で陳述のとおりのものである。

また、刑法改正草案第二一条第二項の「自己の行為が法律上許されないものであることを知らないで犯した者は、そのことについて相当理由があるときは、これを罰しない」との規定も右学説や判例に従ったものであると考える。

一〇 しかして、前述のとおり戦前多くの学者が、違法の認識又違法の認識の可能性を故意の要件としたのであるがその場合違法とはこれを実質的意義に解されたのである。このことは、自然犯において違法の認識を必要としないとする故牧野英一博士の場合も全く同様なのである。牧野博士はその著「重訂日本刑法上巻(総論)」(昭和一三年)で違法につき次のようにいわれる。

「犯罪ハ違法行為ナリ。行為ノ違法性トハ法益ノ侵害カ社会ノ常規ヲ逸脱スルコトヲ謂フ。換言スレハ、共同生活ヲ規律ストノ法規ノ目的ニ従ハサルコトヲ謂フ。社会ノ常規ヲ逸脱シテ法益ヲ侵害スルコトニ因リ、茲ニ行為ハ反社会性ヲ帯フルモノト謂フコトヲ得ヘシ。

(一) 違法トイフコトニハニ個ノ意義アリ。先ツ、行為カ法律ニ違反スルトキ之を違法ナリト謂フコトヲ得ヘシ。此ノ場合ニ於テハ、行為ハ犯罪ノ総テノ要件ヲ具備セサルヘカラス。而シテ、此ノ意味ニ於テハ、行為ノ危険性モ亦行為ノ違法性ノ要件ナリト謂フヘシ。之ニ対シ、茲ニ特ニ行為ノ違法性ト為スハ、行為カ各本条ニ該当スルコトノ外、更ニ、其ノ行為カ法律上許サレサルモノナルコトノ意ナリ。前者ノ意義ニ於テノ違法性ニ付テ論スレハ、行為ノ違法性トハ行為ノ反社会性ナリト謂フコトヲ得ヘシ。而シテ、又之ヲ行為ノ形式的違法性ト謂フコトヲ妨ケス。後者ノ意義ニ於テノ違法性トイフコトヲ考フルトキハ、違法ナル行為トハ反常規的ナル行為ト解スルコトヲ得ヘク、称シテ、又、行為ノ実質的違法性ト為スコトヲ得ヘシ。蓋、行為カ反常規性ヲ失フトキハ其ノ行為ハ反社会性ヲ失フモノナリ。然レトモ、反常規性ハ反社会性ノ一要件ニ過キス。

(二) 行為ノ危険性即チ犯罪ノ構成時事カ犯罪ノ事実ニ関スルモノト謂フコトヲ得ヘキニ対シ、行為ノ違法性ハ行為ノ社会的評価ニ関スルモノト為スコトヲ得ヘシ。行為ノ危険性ハ、要スルニ、行為カ各本条ノ要件ヲ具備スルカ否ノ事実判断ニ関スルモノナリ。之ニ対シ、行為ノ違法性ハ、各本条ニ該当スル行為カ法律全体ノ精神ニ違反スルカ否ノ価値判断ニ関スルモノナリ。

(三) 行為ノ社会的常規性トハ、行為カ公ノ秩序及善良ノ風俗ニ反スルコトナキヲ謂フ。従テ、行為ハ各本条ニ該当スルト同時ニ公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スルコトニ因リテ茲ニ罰ト為ルモノトス」(三三八頁)と。

ところで牧野博士が違法の認識についていわれるところは次のとおりである。

「法律ノ錯誤ニ二種アリ。其ノ一ハ法律ヲ誤解シテ罰ニ非サルモノヲ罰ト為ルモノト信スル場合ナリ。犯意ノ成立ヲ来タスコトナシ。之ヲ幻覚犯トス。其ノニハ法律ヲ誤解シテ、不法ナル行為ヲ許サレタルモノト信スル場合ナリ。斯ノ如キ場合ニ於テ犯意ノ成立アリト為スヘキカ否ニ関シテハ、学説上争アリ。犯意ノ成立ニハ違法(法規違反)ノ認識ヲ要スルカノ問題是ナリ」(二一一頁)

「惟フニ、道義的責任論ヨリ考フルトキハ、犯意ノ成立上、違法ノ認識ヲ必要トスルコト一理アルヘシ。然レトモ、社会的責任ノ見地ニ於テ之ヲ見ルトキハ、犯意ハ反社会的情操ノ発現ナルコトヲ以テ足ルモノト解スヘク、而シテ、法律上犯罪トセラルル行為ヲ攻テスルノ意思アルニ於テハ、行為者カ之ヲ法律上許容セラレタルモノナリト信スルモ、尚反社会的ナルモノト謂ハサルヘカラス。予輩ハ犯意ノ成立上、違法ノ認識ハ其ノ要件ト為ルヘキモノニ解ス。即チ、法律ノ錯誤ハ犯意ノ成立ヲ阻却スルコトナシ。」(二一四頁)

「予輩ハ、法律ノ錯誤ニ関シ、所謂自然犯ト所謂法定犯トヲ考フヘキモノト解ス。蓋、自然犯ニ於テハ其ノ行為ハ当然ニ反社会的ナルモノナルヲ以テ、其ノ事実ヲ認識シテ而モ其ノ行為ニ出ツルノ決意ヲ為ス以上ハ、当然ニ反社会的意思ノ成立アルモノト解スヘシ。然レトモ、法定律犯ニ在リテハ、法律上特ニ禁止セラルルカ故ニ反社会的ナル行為トセラルルモナルヲ以テ、此ノ場合ニ於テハ違法ノ認識ナキトキハ、以テ反社会的意思ノ成立ナキモノト謂フヘシ。而シテ、此ノ見解ハ、自然犯ニ付テモ、行為者カ其ノ行為ノ違法ヲ阻却スヘキ特別ノ事由アリト信シタル場合ニ叉適用セラルヘシ。一般道義心ノ上ヨリ考ヘ、一定ノ事由ニ因リ行為ノ違法性ノ阻却セラルルコトカ然ルヘシト認メラルル場合ニ於テハ、行為者ハ一般道義心ノ命スル所ニ反スルノ意思ヲ缺クモノト謂フヘシ。即チ、其ノ如キ場合ニ於テ違法ノ認識ヲ缺クコトハ、犯罪ノ成立ヲ阻却スルトモノ謂フヘシ」(二一七頁)と。

一一 以上のように泉二博士を除く殆どの学者が、違法ということを実質的に考え、その実質的意義における違法ということについて、違法の認識を論ずるに至って泉二博士もこれに倣われたのである。すなわち泉二博士はその著「刑法大要増訂版」(昭和一八年)で違法ということを次のように解されるに至った。

「犯罪ハ違法ナル行為ナリ違法行為トハ法ノ規範即チ法律秩序ノ要求ニ違背シテ共同生活上ノ利益(法益)ヲ侵害スル行為ナリ而シテ犯罪ヲ構成ス可キ違法行為ハ先ツ刑罰法令ノ各本条所定ノ「罪ト為ル可キ事実」ニ該当スル形態ニ於テ法益ヲ侵害スルコトヲ要シ且法律秩序ニ違背スルコトヲ要ス然レトモ違法性ノ実質ニ関シテハ学説区区タリ或ハ公序良俗違背ヲ以テ違法ナリトシ或ハ社会的条理違背ヲ以テ然リト為シ或ハ又社会生活上利害ノ比較衡量ニ於テ有害性ノ超過スル行為ヲ以テ違法ナリトスルカ如キ其例ナリ蓋シ此等ノ観念モ畢意法令全体ノ精神ヨリ抽象セラレ得ル法ノ規範即チ法律秩序ノ要求ト其基本ヲ異ニスルモノニ非ス」(一一四頁)(傍点は弁護人)と。

すなわち泉二博士は違法ということを形式的意義と実質的意義とを併せて理解させることになったのである。そして違法の認識について論ぜられるところは次のとおりである。

「故意犯ニ付テハ犯罪構成事実ノ全部ヲ認識スルノ必要アルコト前述ノ如クナルモ行為者カ自己ノ違法ナルコトヲ認識スルコトモ亦犯意ノ要素ナリヤ否ヤニ付テハ論議アリ第一説ニ依レハ刑罰法規ノ認識ハ犯意ノ要素ニアラサルモ一般的違法性ノ認識ハ其要素ナリトシ(ビンディング、オルスハウゼン、メルケル等ノ採用スル所タリ)第二説ニ依レハ違法性ノ認識ハ犯意ノ要素ニ非サルモ自己ノ行為カ社会条規ヲ逸脱スルコトノ認識ハ犯意ノ要素ナリトシ第三説ニ依レハ違法性ノ認識ハ犯意ノ要素タラサルヲ原則トスルモ特ニ法律カ各本条中不法ノ行為タル可キコトヲ明示シタルトキ(例刑法第二百二十条)は特ニ其行為ノ違法性ヲ知ルニ非サレハ犯意ヲ存セスト為シ(リスト)第四説ニ依レハ犯意ハ元来違法性ノ認識ナリト雖モ自然犯ハ本質上違法ナル実質ヲ事実トスルモノナルカ故ニ事実ノ認識アレハ則チ犯意アリト認メサル可カラス反之法定犯ニ在リテハ成法ニ依リ初メテ当該行為ノ違法性ヲ認ムルモノナルカ故ニ法律ヲ知ルニ非サレハ犯意アリト為スヲ得スト見解シ終リニ第五説ニ依レハ凡ソ犯意ハ罰ト為ル可キ事実ノ認識ニ依リテ成立スルモノニシテ自己ノ行為カ刑罰法規ニ触ルルコト其他一般的ニ違法性ヲ有スルコトニ付テノ価値判断ヲ包含スルモノニ非スト為ス現行刑法第三十八条第三項ノ解釈トシテハ第五説ヲ採用スルヲ可トス即チ現行刑法ニ於テハ行為者カ行為ノ違法性ヲ認識シ得ル能力(責任能力)ヲ必要ナリト為スモ犯意ノ成立上法律規定ノ解釈乃至社会的常規トシテノ法ノ違背ノ認識ヲ必要ト為ササル趣旨ナリト解スヘク同項ニ所謂法律ハ広ク違法性ヲ指示スルモノト解スヘキナリ」と(一六七頁)(傍点は弁護人)。

一二 以上のとおり泉二博士は違法の認識ということを形式的意義と実質的意義の違法性の認識の意に解し故意の要件としては何れの意味においても違法の認識を必要とされないとしているのである。

ところが、判例は大審院時代から最高裁判所にわたって違法の認識という場合の違法ということを殆ど形式的意義としてこれを論じているのである。

残念なことに学者の教科書ではこれについての説明が十分ではないと思われることである。

例えば大塚教授は違法ということを実質的意義に解し「国家・社会的倫理規範に違反して、法益侵害又は脅威を与えることである」(「刑法概説総論改訂版」三〇七頁)とされているが、違法の認識についての学説は「第一は、責任故意の要件として、違法性の意識は必要でないとする立場である。かっては有力であったが(リスト、和泉二・四六六頁)、今日の学説上ほとんど採用されていない。しかしわが国の判例は、ほぼ一貫して、この立場にたち、「犯意があるとするためには犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足り、その行為の違法の認識することを要しない」としている」といわれる(前掲書四〇一頁)。これは殆どの学者の教科書が同様である。

しかし、判例が違法の認識を必要としないといっているのは刑罰法規の認識を必要としないということなのである。

これを同教授が引用される判例について述べれば次のとおりである。

教授の引用される判例は最高裁判所昭和二六年二月一五日第一小法廷判決(最高裁判所刑事判例集五巻一二号二三五頁)であるが、その内容は「原判決は、弁護人の「当時被告人において進駐軍の許可があり違法でないものと信じていたものであるから、犯意を欠き罪とならないものである旨」の主張に対し、所論のごとく当時被告人は判示超過価格による精米の売買につき違法の認識を有しなかったと断じながら右は通常人としての注意を著しく欠き判示超過価格による精米の売買が法律上許可されたものであると信じたことにつき明らかに過失があるものというべきであるから、被告人に犯意がなかったものとして物価統制令違反の罪責を否定することは到底できないと説示したことは所論のとおりである。

しかし、犯意があるとするためには犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足り、その行為の違法を認識することを要しないものである(昭和二四年(れ)第二二七六号同二五年一一月二八日第三小法廷判決刑事判例集四巻一二号二四六三頁以下、昭和二五年(れ)第一三三九号同年一二月二六日同小法廷判決同判例集二六二七頁以下参照)。」というのである。

右判例が「行為の違法を認識することを要しない」といっている場合の「違法」が形式的意義であるのか、実質的意義であるのか必ずしも明白ではないが、右の判例が参照している昭和二五年一一月二八日第三小法廷判決(最高裁判所刑事判例集四巻一二号二四六三頁)は「所謂自然版たると行政犯たるとを問わず、犯意の成立に違法の認識を必要としないことは当裁判所の判例とするところである。(昭和二三年(れ)第二〇二号同年七月一四日大法廷判決参照)。」ということであり、その内容に参照されている昭和二三年七月一四日大法廷判決とは第一項で陳述のとおりのもので、それは違法の認識という場合の違法を刑罰法規の意味に解しているものである。

さらに大塚教授が引用する昭和二六年二月一五日判決が参照している他の判例の最高裁判所昭和二五年一二月二六日第三小法廷判決(最高裁判所刑事判例集四巻一二号二六二八頁)の内容は次のとおりである。

「論旨は、被告人は京都における一流の衣料品問屋である大京繊維株式会社の常務取締役の言を信じ本件ガラ紡織物は統制外の品であると思料して本件取引に及んだもので、いわゆる法律の錯誤があり、違法の認識がないから罪とならない、と主張するのであるが、犯意があるとするためには犯罪構成要件要素である事実を確認すれば足りその行為の違法を認識することを要せず、従って法律の不知乃至いわゆる法律の錯誤は犯意を阻却しない(昭和二四年(れ)三一六五号同二五年四月一八日第三小法廷参照)ことは、臨時物資需給調整法に基づく衣料品配給規則第五条違反の罰についても同様であるから、論旨は理由がない。」と。

右判例が違法の認識という場合の違法を刑罰法規の意に解していることは明らかである(右判例が参照する昭和二五年四月一八日第三小法廷判決は最高裁判所刑事判例集に登載されていないので弁護人にとって内容が明らかでない)。

一三 以上のとおり、判例が故意の要件として違法の認識を要しないといっている場合の違法とは、刑罰法規違反という形式的意義なのである。もし刑法第三八条第三項の「法律」を刑罰法規の意に解すればそれは当然のところである。ところが前述のとおり学説上違法の認識又は違法の認識の可能性という場合の違法とは、一般的法秩序違反という実質的意義なのである。そこに議論があわないところがあるのである。

くどくなって恐縮ではあるが刑法第三八条の第三項の「法律」の意味について判例はこれを「刑罰法規」という形式的意義に解しているのである。

ところが、これを学説についてみると弁護人が上告趣意書(1)にかかげた瀧川博士以下の学者はこの点は判例と同様に解するが、それとは別に違法ということを実質的意義に解してかかる意味における違法の認識が必要であるということなのである。

弁護人が上告趣意書で揚げるその他の学説は刑法第三八条第三項の「法律」を右の実質的意味に解しているのである。

何れの学説も犯罪論の体系上の地位は別として、違法の認識又は違法の認識の可能性を責任の要素とされているのである。

このような判例と学説の考え方の相違が弁護人からみると実務を混乱させているものではないかと考える。すなわち被告人が、具体的事件において違法ということを実質的意義にとらえて違法の認識又は違法の認識の可能性がないと主張するのに対して裁判所は違法ということを形式的意義にとらえてこれを答えるというようなことになっているのであると考える。

本件のごときは、被告人が違法の認識ということを明らかに実質的違法といっているのに対し、原審はこれを形式的意義にとらえてその主張を排斥しているのである。

一四 違法の認識に関する最高裁判所の判例は前述の昭和三三年三月一三日の大法廷判決が最後のものではないかと考えるが、それ以来既に三〇年もの経過を経ているのである。その間に故意の要件として違法性のに可能性を必要とする下級審判例が多く存在することは既に陳述のとおりである。

また学説では故牧野博士の「刑法総論下巻全訂版」(昭和三四年)が故意に違法の認識を要しないとした最後のもので、その後に発表された学説は犯罪論の体系上の地位は別として、違法の認識又は違法の認識の可能性を必要とするものがすべてであると考える。

刑法改正草案第二一条第二項の規定は右学説に従ったものであることは前述のとおりである。現行法上も右草案と同一に解することができることは前述の学説や判例のとおりである(なお、団藤博士・二九六頁注(一七)御参照)。

さらに、西ドイツの一九六九年の改正刑法第一七条は「行為の遂行に当たり、不法をなす認識を欠く場合において、犯人がこの錯誤を回避しえなかったときは責任なく行為したものである。犯人が錯誤を回避しえたときは、その刑は第四九条第一項にしたがって軽減することができる」(法曹会・「ドイツ刑法典」)と規定するが、右改正はドイツにおける学説(責任説)に従ったものである(団藤博士・二九四頁注(一六)の(2)御参照)。

以上のとおり、現在の学説も、下級審判例も、立法(刑法改正草案や、西ドイツ改正法)も、犯罪論としての体系上の地位は別として、すへて違法の認識の可能性を責任の要素としているのである。

それなのに、わが最高裁判書の判例のみが、昭和初期の学説に何時までも拘泥し、これら現在の学説や下級審判例並びに内外の立法例に目を覆うことは許されないことではないかと考える。

弁護人は御庁が犯罪論の解釈につき実務の混乱しているこの間題につき以上の学説や下級審判例並びに内外の立法例に従った解釈を示され、これを本件に適用されんことを切にねがっているものである。

追記 上告趣意書一一〇頁の「実質的意義については」とあるところを「実質的意義は行為が一般的法秩序に違反するということであるが、その実態については」と訂正する。

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